雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

10年後に川重は大きくなる?

2015-01-16 05:53:56 | 発想$感想

★ こんな記事が出ていた。

 

    

 

川崎重工業は、どちらかと言うと地味な会社で、こんなニュースのトップにはあまり出てこないのだが、

こんなニュースが出ていてビックリした。

http://news.livedoor.com/article/detail/9674997/

 

      

 

 これを見る限り、大きくなる会社は川重以外にもいっぱいあるのだが、普通注目されない地味な川重なので、そんな意外性みたいなもので見だしになっているのだと思う。

   

 

川崎重工業が新聞のトップ記事を飾ったのは、 クーデターと言われたj長谷川社長解任劇 の時ぐらいのものである。

あのときはいろいろ言われもしたが、その後は順調に安定しているのは、7つの各事業部門がそれぞれ頑張っている結果なのだろう。

 

10年後大きくなる理由が、二輪事業かと思ったらそうではなくて、防衛産業の潜水艦とか航空機だと言う

 『大きくなる』 と言う意味が『売上高が大きくなる』 と言うのなら、結構二輪事業も脈ありだと思うのだが、『二輪事業』はなかなか注目はされないのである。

でも現在、多分まだ一番大きな売上高を誇っているのは、唯一量産部門の二輪部門のはずである。

最近、確かに航空機部門の売上高が好調でほぼ並んでいるのだろうが、売上高分布はこんな感じなのである。

 

   

 

 

かって川重は造船部門からのスタートだし、造船が新しい新事業の各分野を独りで支えてくれた時期が10年も続いたりしたのだが、現在は売上高では最小部門になってしまっている。

その造船の例でも明らかのように、時代とともに、世の中の変化は激しいのである。

これからの10年は、間違いなく過去の20年以上の変化をもたらすだろう。

記事の中を拾ってみると、こんな表現がなされている。

 

 

ここから10年間、日本企業はこれまで経験したことのないような変化に襲撃される。しかもその変化は急激かつ急速に、旧来の競争のルールを一させていく。手をこまねいていればひとたまりもない「即死時代」がやってくるのだ。

「まず今後数年で起きるのは、水素カーに代表される燃料電池車の急速な普及です。、先行しているのがトヨタ。

燃料電池車の普及と並行して進むのが電気自動車の発展で、「電気自動車が次世代カーの中心になれば業界の風景は一変する。なぜなら、電気自動車は電池とモーターを買ってくればどんな企業でも作れるプラモデルのようなものだから。

さらに、自動車業界を大きく揺るがすのがグーグル・カーの台頭だ。

自動車業界と並んで日本のモノづくりを支えてきた家電業界は、衰退する。

製造業の主役に躍り出るのは、一つには「防衛産業です。中国経済が失速する中で、今後は米国1強時代が復活する。日米同盟はより強化され、安倍政権の政策方針もあって、防衛産業が一大企業群になっていく」。具体的には、「次世代潜水艦を製造できる三菱重工業、川崎重工業や航空機エンジンに強いIHIなどが大きくなっていく」。

意外かもしれないが、工作機械メーカーも主役に浮上する。先進各国で高齢化が進んだり、「中国で人件費が高騰するなど新しい労働問題が発生する中で、ロボット化、オートメーション化がこれから急速に進むから」。

金融業界も大きな変革期を迎えそうだ。「電子マネーの普及とスマホ決済の進展」がその理由。「今後は日本でも現金の使用量が2割減るとも言われている。

保険業界にしても、遺伝子検査で自分の寿命がわかる時代にあって、人々の「いつ死ぬかわからない不安」を取り込んできた生命保険会社のビジネスモデルはどこまで維持できるのか。

百貨店は、「高嶋屋や三越伊勢丹では一日1000万円単位で買い物をする外国人の超富裕層が押し寄せる。

これから10年、先進各国の消費の巨大トレンドは、安全、安心、健康といったテーマに移行しているというのが世界の常識で、たとえば、「和食ブームはこうした流れの典型で、10年後には醤油やお茶など、これまでは日本人しか買わなかったような商品が欧米や新興国でも売れるようになる。

 

 

      

 

 こんな職業は、10年後にはなくんなるという。

 

 10年後川崎重工が大きくなってることを期待する。

それまで、生きて入れるかどうかは解らぬが、少ない株だが、多分株式だけは保有しているに違いないのである

 

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北条鉄道と神戸電鉄粟生線問題

2015-01-15 08:08:07 | 発想$感想

★昨日は『粟生線の未来を考える市民の会』の今年初めての世話人会があった。

 

神戸電鉄の粟生線が年間10億近い赤字で、このままだと廃線になるかも知れないと、

沿線の三木市や小野市が神戸電鉄粟生線活性化協議会などを立ちあげて、いろんな活動を続けている。

 

     

 

これはそのホームページなのだが、

盛り沢山にいろいろあるのだが、典型的なお役所仕事で結構お金も掛っているのだろう。

そのホームページも、形だけは頑張っておられるのだが、いかんせん情報発信力が殆どないので  http://pagerank.bookstudio.com/

Google Page Rank Check でチェックして見ても、その評価0点 なのである。

即ち、世間一般にはその活動も伝わっていないということなのである。

 

 

 ★一方こちらは、粟生線の終点、粟生駅から出ているのが、北条鉄道。

 

  

 

 

こちらは地理的にはもっと田舎 なのだが、結構頑張っていて、  http://www.city.ono.hyogo.jp/p/2/4/3/8/

そのホームページの 同じGoogleの評価は 2点、これはなかなかの評価で合格点なのである。

このGoogleのページ評価は、世の中のサイト 90%が 0点と言う厳しいもので、1点なら1人前、2点は合格、3点なら大満足 と言っていい。

 

 

北条鉄道がなぜこんなにいいにのか?

北条鉄道は、結構その経営改善に頑張っているのである。

ここの副社長か、単なる役員かは、よく解らぬが、私もよく知っている佐伯武彦くんが頑張っているのである

 

気安くくんづけで、呼んでいるが、彼は川重の単車事業部出身、最後は川重の副社長も務めたが、アメリカのリンカーン工場などを担当して、いろいろ頑張った実力派なのである。

私よりは6年ほど後輩にあたるのだが、現役の頃は、いろいろ一緒にやった仲である。

 

その佐伯武彦くさん、先日、『粟生線とまちの将来について考える』 シンポジュ―ムのパネラーの1人として招かれて、なかなか好評だったと、私にも聞こえてきたのである。

正月早々、その感想を手紙で、私宛にわざわざ送ってくれて、 そこには彼らしい厳しい意見が並んでいた。

 

このままでは神戸電鉄の粟生線問題も、それほど変わらないでしょう

『これはあくまでも神戸電鉄の問題だから、神戸電鉄が、その気にならぬと解決しない』  と言っているのである。

北条鉄道はこの数年、いろんな改革、改善をやって、乗客も増え、駅もトイレも綺麗になって、綺麗な女性の駅長さんがいたりして、私の周りのバイク仲間にも人気で、バイクがいっぱい集まったりするらしい。

 

 

 

★佐伯くんのことだから、北条鉄道はカワサキの単車並みの水準での改善改革をやっているに違いないのである。

世の中の経営レベルの厳しさと二輪業界のそれとは、全然そのtレベルが違っていて、かって川重の中で問題事業部だった、車両も、建機も 二輪のメンバーが旗を振ったら、どちらも立ち直ってしまったのである

北条鉄道に携わっている人たちも、ちょっと面喰ったに違いなくて、それらしき声も聞こえてくるのだが、中味がよくなっているのは間違いないのである。

 

その手紙は、そのまま『粟生線の未来を考える市民の会』のメンバーに参考までにご披露してきた。

粟生線の未来を考える市民の会』 も文字通り 『考える市民の会』であったはずなのだが、昨今ちょっとょっとイベントなどばかりをやる方向に傾いているようにも思う。今年あたりは、初心に戻って、『よく考える世話人会』に戻って欲しいなと、本音でそう思っているので、昨日は率直にそのような私見を述べてきた。

折角の『粟生線の未来を考える市民の会』なので、 名前に恥じぬいい発想をと思うのである。

 

 

     

 

こちらもホームページを持っている。         http://www.aosen-love.com/

 こちらは地道な活動で、来場者44336人が訪れて、その評価は1  。

少なくとも、三木市や小野市や神戸電鉄が肩入れしているホームページが評価0なので、それを上回っていることはご同慶の至りなのである。

 

 

★日本の行政や企業なども、何となく表面を綺麗に見せるだけの、そんな活動が多すぎるのである。

大人数の会議でも 『その時だけ、そのことを考える』 そんは発想からはいつまで経っても、Google の世間一般の評価など、上がるはずがないのである。

いずれにしても、神戸電鉄が北条鉄道に負けてるようでは、ダメですね。

 

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樋渡啓祐さんへの Love Letter

2015-01-14 06:23:48 | 樋渡啓祐さんのこと

樋渡啓祐さんが佐賀県知事選に敗れた。

正直、予想外の出来事で、安倍さん以下政権中央が押したので間違いなく通ると思っていた人が多かったに違いない。

若し、佐賀県知事などになってしまわれたら、それこそ手の届かないところに行ってしまうのかなと、そんなことも思っていた。

 

落選が決まった当日、流石に気落ちされたのか、 当分、ブログもFacebook も休みます と書かれていたのだが、

1日経つと、そのブログは 素浪人日記で復活したし、Facebook も復活をした。

http://hiwa1118.exblog.jp/

 

これでなくてはイケナイ。 

樋渡啓祐さんは、NPO The Good Times で特別にNO.1118 番を選んで会員カードをお渡ししている仲間なのである

そもそもこの日記は、樋渡さんが、高槻市の市長公室長をされていて、いち早くブログに目をつけて、ブログを始められて

その名は『企画部長物語』  そのスタートはこんな話で始まっている。

http://hiwa1118.exblog.jp/495242/

 

その中に残されている 高槻市役所「こちら部長室」  このこちら部長室 こそが樋渡さんと私の出会いの始まりなのである。

このサイトは、既に消えてしまっているのだが、60回近く続いたこのサイトの第1回は 高槻市役所のホームページを日本一にする と言う宣言から始まっているのである。  そして、高槻のHPは見ごと日本一になっている。

その頃の、樋渡さんが一番光り輝いていたような気がするのである

 

 

★樋渡さんと、ホントに繋がったのは、武雄市長におなりになった1年目の11月ごろからなのだが、

それから、何年か『雑感日記』は、 たびたび武雄市長物語に登場するようになり、

その極め付けは、 『雑感日記』 と言うテーマで、ご紹介頂いたりしたのである。

   http://hiwa1118.exblog.jp/7878659/

 

       

 

  ブログはとてもいいなぁって思います。見たい時に見れるし、メールのような押しつけがましさもない。

仕事がら、新聞を含めていろんな方から、批評の対象になるのですが、雑感日記さんが、書いてくれました

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/27954f81dbf3d1a6935d2aa0a6608f23

こんな見方があるのかと思いながらいつも拝見しています。

また、それよりも嬉しいのは、武雄市民の皆さんのことを書いていただいていること。いつもありがとうございます。

 

そんなブログの中で、こんなことを書いています。

2年の実績を踏まえて、
樋渡さんのコメントも自信に溢れていると感じられるのは、ご同慶の至りである。

行政は、『これしか出来ない』などと言わずに、自由に、新しい発想で、新しい財源を探せば幾らでもあると思っている。
人口10万人以下の行政では、そんなに図体も大きくないので、リーダーがその気になれば直ぐ動くと思うのだが

行政に、『経営的感覚を持ち込んでそれを実践した』樋渡さんの行政は今後の方向を示唆していると思う。
3年目も是非素晴らしい実績を示して欲しい。

 

★人口10万人以下の武雄市では通用したが、 佐賀県では今回の結果から見ると 『樋渡流』が通用しなかったとも言えるのである

然し、武雄の仕事より佐賀県の仕事の方が、ホントに大きいかどうかは、これは疑問なのである

佐賀県などの枠にはまってしまうよりも、より自由に、より『大きな仕事』を探せばいいのである。

 

樋渡さんも、行政などの枠を離れて、樋渡啓祐 1118 FAN CLUB など創られて全国展開でおやりになれば、10万人はおろか100万人ぐらいは集まるだろうし1000万人も夢ではナイ

 

NPO The Good Times のシステムも、充分その応援は出来るのになと思っているのである。

今週末には、燦々Sun Sun が正式にスタートする

この狙うところは『新しい公共』なのである。

まあ、夢みたいな話だが、 No.1118番の会員さんのことなので、やると仰ればいつでも、応援する体制は出来ているのである。

 

 

 樋渡さん、忘れずに このLove Letter 覚えておいてください。

少し、時間が経って、少し静かになって、ちょっとでもその気になられたら、どこにでも出向きます。

間違いなく、大きな未来が拓けるはずだと思っています。 仮にどんな事をなさるにしても・・・・・

 

 

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孫たち、二人は成人になった

2015-01-13 07:49:43 | 発想$感想

 ★昨日は世の中、成人の日、成人式だった。

私には孫が4人いる。 みんな男の子ばっかりである。

今年また、1人が成人になって、大人が二人、子どもが二人になったが、どんどん成長して大人の世界に近づいてくる。

 

今年成人式を迎えるアメリカの娘の方の孫は、今日本の大学に留学中で鎌倉の息子の家に居候を決め込んでいるのだが、

性格は結構私に似ていて、あまり世間並みのことは好まぬようなので、

多分昨日の成人式にも参加などしなかっただろうし、単に普通の1日であったに違いない。

アメリカにいる娘は、やはりちょっと気になるのか、Facebookにこんな写真と、コメントを記していた。

 

   

 

  今年の正月は、息子と一緒に三木に遊びに来ていて、20歳になったから酒でも飲むかと言っても、『飲まない』と言う。

何か自分の想いがはっきりしていて、そのあたりは確かに大人の判断が出来ているように思う。

アメリカに10年もいると発想や態度もアメリカ人的で、伯父をつかまえても『伯父さん』とは言わない。

正月一緒にいたのだが『大ちゃん』と呼んでいたのにはビックリした。

確かにアメリカは、誰でもみんな You なのである。

 

 

     

 

 これは1年早く、20歳になった鎌倉の孫、

此方は、1人息子だから、そのように大事に育てられて、これは正月なのか、成人式か正装である。

昨年の写真で、全くまともに見えるのだが・・・

 

         

 

 此方のツイッターの写真は、なぜかいつも顔は半分しか写っていない。

今年から就活が始まるのだが、大丈夫かなと思うが、『尊敬する人=祖父』とお世辞を言う常識も持ち合わせているので、大丈夫だとは思っている。

孫二人とも、湘南の大学の同じ学部みたいなところにいるのだが、鎌倉の孫は、家を飛び出したいのか今は下宿で、その空いた部屋にアメリカの孫が居候でおいて貰っているのである。

 

★昨日は、アメリカの孫がSkypeで電話を掛けてきた。

サッカーにハマっていて、今年の第一戦を2-1で昨年の優勝チームに勝ったようだが、その2点を入れた自慢の電話である。

この孫も今年は高校4年生、 秋には大学生で、既に昨年からサッカーで入学が決まっている。 

サッカーで入学出来るような大学か?と思ったら、公立では世界で一番の大学だと言うので驚きである。

ただ、アメリカの大学は、日本と比べものにならぬほど授業料が高いようで、半額免除らしいがそれでも日本の私学並みだと言う。

もう一人末弟の孫も、サッカーやってて、此方はぜひ全額免除の大学を選んで欲しいと、言っていた。

確かに、子どもの教育費の負担は、大変である

 

でも、孫4人の内、二人は成人になった。

まだまだお金の掛る成人だが、正月に孫にアルバイトのことなど聞いてみると、アルバイトで結構な金が貰えるようである。 そう言う意味では、奨学金もあるし何とかなるのかも知れない。

アメリカでは成人の日や成人式などはないようだが、私自身は、成人式など日本でも要らないのではないかと思っている。

着飾った成人式など、子どもの集まりのような気もする

息子や娘の成人式など一切覚えていないし、関心もなかった。 多分二人とも出席などしていないのではないだろうか。

 

成人式などに関係なく、みんな成人し大人になって行く。

孫4人とも、みんな男の子だから、 『自分のことは自分で確りと決めることが出来る』大人に育って欲しいと思っている。

大人とは、『独り立ち』出来ることを言うのだと思う。

4人とも、大丈夫そのような判断が出来る方向に育っていると思っている。

 

 

★2年前、もう一つのブログに孫のことを書いている

2年経って、それぞれ2年分、大人に近づいたなと思っている

http://rfuruya2.exblog.jp/d2013-04-21/

このブログもなかなかいい。  私のいい思い出になっている。

 

 

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三木のイメージの高質化とその広報活動

2015-01-12 08:08:53 |  燦々 Sun Sun

1月中旬に  三木みどりロータリークラブで スピーチを頼まれています。

当日は、その場の雰囲気で、それなりにお話をしようと思っていますが、以下は手元資料として事前にお配りするために用意した資料です。

NPO The Good Times や今年スタートするプロジェクト 燦々 Sun Sun について簡単に説明しています。

世の中に一つしかないシステムの説明は、なかなかムツカシイのですが、いつも言ってることを整理して、並べています。

 

 

 

  提言  『三木のイメージの高質化とその広報活動』

 

三木のイメージ

三木とはどんなイメージを持たれていると思われますか?

イメージとは、他人からの評価です

三木からのいろいろな情報発信によって、その情報を受け取った人達が、それぞれに三木に対してどんなイメージを持つのかということなのです。

情報発信しないところには、イメージがない のです。

そういう意味で、企業でも行政でも、『新しいイメージの創造』は他人に対する情報発信がMUSTなのですが、なかなかそうなっていないのが現実なのです。

       

 

自己紹介

私は1933年生まれ、今年82歳になります。

川崎重工で二輪車関連の事業に、カワサキが二輪事業を始めた最初から関わりました。

そんな中で、二輪車のイメージの向上は、業界の大きなテーマの一つでしたが、大型車のカワサキが即暴走族イメージに繋がった時代もあって、そのイメージ戦略については、もう何十年も自ら取り組んで、今現在もそれを続けているのです。

私自身は、マーケッテングは専門分野です。これは学問ではなくてマーケッテングマインドがあるかどうかが、問われているのです。

 

    

 

現在、NPO The Good Times という世界でただ一つのネットをベースにしたNPO法人を立ち上げて、今年は7年目になりますが、その会員は世界に1万人を越える規模になりました。

世の中に、たった一つしか存在しない独特なものを説明するのは至難の業です。

 NPO The Good Times とはこんな基本コンセプトのNPO法人なのです。

Googleで画像検索すると、こんな写真が並びます。

一言でいうと  

『広報活動』を会員さんみんなで、協働してやっているのです。

 NPO 法人自体は、トータルシステムを創るだけで、特に何もしません。

 

 

 

 

 

『広報活動』とは

広報活動とはどんなことかご存知ですか?

広報活動について、きっちりとお答えになれる方は、世の中にあまりおられません。

 広報とは英語で何と言いますか?

広報は英語でPRと言うのです。PRは聞いたことがあると思われますが、

PR=Public Relations  社会におけるいい人間関係づくり の活動なのです。

関係づくりですから、双方向の情報発信がMUSTなのです。

チラシを撒くことだけでは、単なる広告活動なのです。

 

社会におけるいい人間関係づくり』=Public Relations =広報活動 

NPO The Good Timesはそんな広報活動を続けているのです。

 

 三木のイメージの高質化

三木市長の薮本さんが、市長に当選された時、基本方針3つの中に『三木のイメージ』という項目がありました。

日本一美しいまちをめざす三木』を1年目の7月に掲げられました。

私自身も、提案者として『三木のイメージの高質化』はめざしている目標の一つです。

悪いイメージはすぐ定着しますが、『いいイメージ創り』は非常にムツカシイ高度な課題なのです。数値目標などと違って、『達成した』などとは決して言えないのです。

 

NPO The Good Times は、1973年アメリカで創られたカワサキのコンセプト

Kawasaki. Let the good times roll ! 

カワサキに出会う人達がハッピーになるような活動をカワサキは展開しつづけます

そんな精神を引き継いでいるのです。

当時のアメリカの責任者であった濱脇洋二さんはアメリカ市場での貢献などを認められて、昨年日本自動車殿堂入りをされました。

 

 

三木みどりロータリークラブも、いろんな活動をなさっているのだと思いますが、

三木のイメージの高質化とその広報活動』は、非常に高邁な活動目標になり得ると思いますので、この機会にご提案したいと思います。

もし、ホントにやってみようと言う方がおられたら、この1月18日に正式に立ち上がった 『燦々 Sun Sun 』というプロジェクトの中で、お手伝いをしたいと思います。

燦々 Sun Sun 』は、NPO The Good Times の中での『地域活性化プロジェクト』です。

 

 

    

 

 そのトータルシステムの圧倒的な情報発信力での展開が可能です。

NPO The Good Times の公式ツイッターのフォロワーは、現在47万人、年内に間違いなく50万人を越えるでしょう。

毎日でも50万人の人達に向かって、無料で情報発信が出来るのです。

 

燦々 Sun Sun 』の世話人代表は関西国際大学で『地域活動』を扱われている松本茂樹先生にお願いすることになっています。

ネーミング『燦々 Sun Sun 』は、 NPO の最初からの団体会員『三木さんさんまつり』やサンロード商店街などの『さん』も意識してつけたものです。

小さくても、燦々と光り輝くような活動をなさっているところを、繋いで協働し、その活動を常時情報発信する『新しい仕組みの構築』を行います。

 『仕組み』とは、『その手順どおりに進めていけば、自然にめざす目標が実現する』そんなシステムを言うのです。

 

    

 

異種、異質、異地域  ネットの世界は他人が大事なのです。

是非、こんなちょっと風変わりな意見に『共感される方』とは協働したいなと思っています。

めざすものは、『共感ネットワーキング』なのです。

 

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鳥谷阪神残留

2015-01-11 07:07:14 | 発想$感想

★ 鳥谷の阪神残留のニュースが流れた。

 

  

 

 

いろんな意見が続出だが、総じて阪神ファンは、よかったという意見が多いようだが、

球団の関係者や、直接関係する二遊間の選手たちは複雑な心境なのは、よく解る。

 

ポジションが一つ空くとぴうことは、直接の当事者たちにとっては、特に若手にとっては、大きなチャンスだったはずだから、戻ってくるとなるとがっかりなのはよく解る。

ただ、鳥谷の大リーグ移籍希望は、元々無理があったような気もしないでもない。

大リーグに対して、日本のプロ野球が、対等に近く戦えるのは、打力や守備力ではなくて、投手力なのだと思う。

近年、野手で成功した人が殆どいないように思う。 イチローや青木が何とかなっているのは大リーグの選手たちが持っていない特殊な能力を持っているからだと思う。

鳥谷のショートの守備力は、非常に確りとしているとは思うが、特に内野の花形ショートストップで、サーカス的なプレーを平然とやるアメリカでは、セカンドでというのは解らないでもない。

鳥谷の打力もアベレージでは、及第点だとしても、派手さや見栄えでいえば、巨人の坂本の方が大リーグ向きかもしれない。

いずれにしても野手は成功者と言えば松井とイチローだけかも知れない。

鳥谷自身がそんな客観的な評価をどのように思っていたのだろうか?

 

★阪神球団は、4年で16億円も払うのだとか?

プロ野球選手の年俸も、大リーグはまさに天文学的な数字だが、日本の野手に対する評価が高くないのは理解できる。

鳥谷が大リーグを諦めたのは、やはり年俸の差だったのだろうか?

 

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燦々 Sun Sun に懸ける想い

2015-01-10 07:20:50 |  燦々 Sun Sun

★ NPO 法人 The Good Times を立ちあげようと決心したのは、2009年1月末のことです。

そしてその年の6月スタートしました。

その目標に『新しい公共』が登場したのは、2011年の活動方針です

 

    

 

当時このように述べています。

それから、長い年月が流れ、このNPO法人の活動の中心は、どちらかと言うと 『二輪車関連のプロジェクト』中心に動いてきました

 

掲げた目標に向けての挑戦は、いろいろとやってはきたのですが、なかなか思うように動きませんでした。

昨年秋、初心に戻って自分で動くことを決意して、動きかけたのが 燦々Sun Sun なのです

このNPO 法人の一番最初の団体会員は、三木の『緑が丘の子ども会』ですし、すぐ追随して参加されたのが『三木さんさんまつり』なのです。

この二つの団体会員も入会のまま特に具体的な活動には繋がりませんでした。

 

燦々と輝くような素晴らしい活動をされているグループを繋いで『新しい公共』を目指そうと言う原点に帰った活動を企図しているのですが、

そのネーミングを『燦々Sun Sun』 としたのも、いつの日にか、『三木さんさんまつり』が動くことを、その舞台となる『サンロード商店街』 のみなさんも、共感して参加頂くグループをみんな繋いで、『新しい公共』 新しいまちおこしに繋がる活動になればと思っているのです。

 

素晴らしいメンバー7人が集まり、その世話人代表を関西国際大学で、『地域活動』を積極的に研究され、且つ実践されている松本茂樹先生が引き受けて下さいました。

私は、俄然やる気になっています。 今年はもう82歳になりますので、そんなに悠長には構えておられないのです。

現役時代のスピードに戻ってこの2ヶ月動いてきました。1月は3ヶ月目です。間違いなく、具体的に動き出すでしょう。

 

   

 

 既に、会員カードは出来ましたし、

ホームページも、今こんな感じで製作中です

http://www.thegoodtimes.jp/sunsun/

 

 

昨日、午前中に新しく出来た 燦々Sun Sun の会員カード、殿界さんにお渡ししたのは午前中でしたが、

午後には、キーパーソン サンロードの理事長 田原さんが参加されています。

 

それがすぐFBの記事で流れます。

 

 

 そして、それを受けて私が、ブログで繋いでいます。

明日の朝にはこのニュース、NPO The Good Times の公式ツイッターで世界47万人に情報発信されるのです。

https://twitter.com/rfuruya1

こんなテンポこそ、現代のネット最先端の動きなのです。

 

『新しい公共』 今年こそは、実現させるべく、私自身が動こうと思っているのです。

燦々 Sun Sun  その名の通り燦然と光り輝く、活動になるように、世界中に向けて『三木緑が丘』から発信を続けます。

 

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細雪の四姉妹と 根津清太郎と 伯父と父

2015-01-09 07:33:18 | 自分史

★NHK のクローズアップ現代で 『細雪と谷崎潤一郎とその妻 松子』のことなどを特集をしていた。

 

この小説のモデルになった四姉妹や、松子の前の夫、関西随一の豪商と言われた根津清太郎さんとは、何となく繋がっているのである

何処までホントなのか、詳しく解っているわけではないのだが、

根津清太郎さんは、終戦後明石の上の丸の伯父宅に、しばらく居候しておられて、当時中学生であった私は、いろいろと話も聞いたし、二人だけで一緒に食事をしたこともあったりして、いろんな話を直接聞いているのである

 

今まで、誰にも、話したりしたことはないのだが、ご当人たち、関係する方はみんな亡くなってしまっているので、私の知る限りを書いてみたい。

ちょっといろいろ調べてみたら、ひょっとしたら そんなことも本当だったのかも知れないのである

 https://www.youtube.com/watch?v=rRndS9ih2VI

 

 

此方が NHK のクローズアップ現代の中から集約した場面で、昭和の時代、戦時中ではありながら、

大阪の豪商の根津さんなどの裕福な一家の生活などが一部紹介されているのである。

 

伯父は、私が小学生の低学年時代、子どもがいなくて、跡とりだと言って本当に可愛がってくれたのである。

夏冬の休みに明石に戻って来た時は、ずっとあちこちに連れ歩かれたのである。

当時の神戸の花隈や、有馬の料亭に、それこそ芸者さんを多数侍らした席にも何度も連れて行かれたのである。

伯父は戦時中は朝鮮の南鮮合同電力と言う電力会社のオーナー経営者だったので、戦後その会社がなくなってしまうまでは、なかなかの羽ぶりだったのである。

そんなことで、裕福な家庭の生活ぶりは、子どもの頃、経験はしていて、『それはあまりいいものではナイ』 『金があるとロクなことにはならない』と子ども心に沁みついてしまっていて、私自身、金にあまり執着がなくなってしまったのだと思うのである。

伯父も、根津さんも戦時中は、そんな花柳界でのお付き合いだったらしく、戦後落ちぶれてしまってからも、そんな昔話を聞かせてくれたのである。

 

★そんな話に中に、 谷崎潤一郎の奥さんは、元根津さんの奥さんだったとかいう話もよく出てきたし、

特にビックリしたのは、

『細雪』に出てくる四姉妹のモデルは、根津さんの元奥さんの姉妹で、

その中の1人と 『父が見合いをしたことがある』 などとも聞かされたのである。

 

ホントかな、と思ったりしたが、流石に父にも、母にもそんなこと聞けるわけがなくて、そんなこと書くのも話すのも、初めてのことなのである

昨日、いろいろ関連したことを、ネットで調べていたのだが、 

ひょっとしたら本当かも知れないと思うような事実に出くわしたので、こんなことも書く気になったのである。

 

父は、生前、朝鮮では殆ど仕事などしていなくて、絵を描いたりて遊んでいたのだが、

書は、橋本海関に習い、絵は橋本関雪 に習った』 と言うのが口癖の自慢であった。

橋本家も明石松平家の家臣で、何か遠い親戚になるとか言っていた。

 

      

 

  その橋本海関先生の墓は、明石の長寿院にあり、こんなブログに詳しく書かれている。

 http://seiyo39.exblog.jp/19958050

 

  そのブログも昨日見つけたし、さらに橋本海関 を調べて行くと

 

  

 

 

 こんな系図が出てきて、橋本海関、関雪 と根津清太郎が繋がったりしているのである。

父が書や絵を習った時期は、多分結婚前のことだったのだろうから、 『松子の四姉妹』 の一人と見合いをしたことも本当にあるのかもしれない。

子どもの頃、朝鮮の家にあった絵は、橋本関雪 の絵ばかりで、父はそれを模写して、幾つも同じような絵を書いていた。

 

根津清太郎さんは、その後、 日劇ミュージックの世話になったりしたなどとは聞いていたが、本当にそうだったようである。

明石の伯父宅にいたころは、私が中学1,2年生の頃だったが、私が大学4回生の1956年56歳で亡くなられている。

父は、私が高校3年生の時、伯父大学3回生の時に亡くなってしまったのだが、 みんな当時は早や死にだった。

 

祖母は102歳、母も102歳まで生きたのだが、

男はみんな早死にで、とても70歳までは生きられないと思っていたのに、82歳を迎える今年も何とか生きていて、こんなことを書いているのが、不思議なのである。

ここに書いておけば、孫たちも見ることもあるだろうから、 これは雑談としてはなかなかオモシロい話だとは思うのである。

 

 

 

 

 

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年寄りの健康

2015-01-08 07:13:26 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★ 年を取ると人は弱る。

だんだんと普通でなくなるのだが、75歳を過ぎると 後期高齢者 呼ばれることになる。

昨年我が家は 私が『盤寿 81歳』  家内が 『喜寿 77歳』 を迎える堂々の『後期高齢者夫婦』 なのだが、いたって普通に健康なのである。

 

二人とも、普通に歩けるし、私はゴルフぐらいなら、殆ど昔と同じぐらい出来る と自分では思っている。

家内は毎週3回ほど水泳教室に行って、その上級クラスで泳いでいる。

食事は、二人とも結構食うので、二人とも肥えてはいる。

でも、普通に元気なのである

 

★それが、アメリカに2ヶ月ほど遊びに行ってた家内が、戻ってくる間際に喉をやられて、咳が1ヶ月ほど続いて、やっと治ったと思ったら、朝寝起きるときに腰が痛いなどという。

起きてしまうと特に何でもないのだが、少々気になっていて、正月も済んだので、昨日は病院に検査に行ったのである。

 

 

最近の病院は、暗くてじめじめしたようなところがなくて、なかなかいいのだが、少子高齢化で当然のことだが、どこの病院も大賑わいである。

初診と言うこともあり、検査などいろいろあって、10時に行って診察が終わったのが1時、それから薬を貰うのにまた1時間、結局4時間も掛ったのだが、診察結果が、『何も問題なし』 だったので遅い昼飯を、回転ずしで お祝いして戻ってきた。

 

★ 私の住んでいる町、緑が丘は40年ほど前に開拓されて、そのころ40才前後だった人たちがやってきて拓けた町だから、その住人達は殆どが、70~80歳のお年寄りの町なのである。

隣近所も、昔からの住人は、すでにどちらかが亡くなっていたり、揃っていても病持ちの方が殆どなのである。

『後期高齢者夫婦』 で二人とも、こんなに元気なのは珍しいのである。

でも、いつなんどき、ダメになるかも解らぬし、私は至って太平楽で、『考えてみてもなるようにしかならない』 と思っているのだが、家内は結構神経質で、口ではエラそうなことを言っているのだが、内心はいろいろ心配で、病院には行きたいのだが、行って結果が悪かった場合が心配なのだと思う。

一昨日だったか、病院に連れて行ってやると行ったら珍しくOKだったので、昨日は病院に行ったのである。

 『結果が何もなかった』 ので、ホッとしたのか4時間も掛ったのだが、診療代が安かったとか、その金額でコルセットも貰えたとか、めちゃご機嫌なのである。

年を取ってからは、人間、食べれて、動けたらそれで80点だと思う。 そこから先は『贅沢』の範疇 だと思う。

 

 

★私自身のことで正直に言うと、 65歳ぐらいの頃よりは、 アタマも身体も、やっていることも、全てのことが、『現在の方がいい』 と思っている。

 これが実現しているのは、 

一つは 『ネット』と言う 体力は使わなくても、アタマさえ使えば、時間がある分、若い人に負けずにやれる世界があること。

もう一つは、それこそ、ストレッチ中心の筋力トレーニングである。朝起きる前に約1時間ほど欠かさず続けている。

目標にしていることは 『若い人と同じように、早く綺麗に歩けること』 

1日に歩く距離は500メートルも歩いたりはしないが、歩けば、ちゃんと綺麗に早く歩けるのである

ウオーキングなど時間が掛るばっかりでそんなに筋力トレーニングにはならないと思っている。

 

まあ、自分自身のことは、自分で決めて、自分の思うようにしかやらないのだが、ちょっと、心配していた、家内の腰が、『何でもなくて』本当によかったと思っているのである。

家内が、元気でいてくれないと、私が勝手気ままに、自分のことがやれなくなってしまうのである。

 

      

今年は、私は 燦々Sun Sun に懸ける。  昨日、NPO The Good Times の団体会員の登録が完了した。

http://www.thegoodtimes.jp/member/#084

久しぶりに、『自分で思いきって動いてみたい』 と思っている。

 

自分がやりたいことを、懸命にやることは、間違いなく健康に繋がるはずである

 

 

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KAZE と Kawasaki. Let the good times roll !

2015-01-07 07:54:02 | カワサキワールド

 

★ カワサキのユーザークラブKAZE の今年の創刊号が送られてきた。

 

     

 

 その表紙を飾ったのはNinja H2R

 

今月号のKAZEには、こんな会員に対するアンケートがついていて、最後に、KAZEについて、ご意見ご要望があれば具体的にお書き下さい。

とあったので、ちょっと辛口になるかも知れぬが、KAZE を創った時の経緯など本音で書いてみることにする。

特にKMJの今のトップの方たち には、ぜひ当時のことも思い出して欲しいし、川重の関係者の方たちにもぜひ考えてみて頂きたいのである。

 

     

 

 

KAZEがスタートしたのは、1989年1月のことである。 

私はその前年の10月1日、当時の高橋鉄郎社長から、『国内で7万台を売れ』との指示を頂いて、カワサキオートバイ販売の専務で川重から3回目の国内出向となったのである。

10月から、レースの本格的再開新取引基準の設定など12月までの3カ月間で、すべての基本構想を新しいものに切り替えたのである。

7万台を達成するためには、従来の期間損益が黒字であればいい などと言う発想ではとても7万台の実現など夢に過ぎないと思ったからである。

ユーザー対策も 7万台を売るためには、もっと広い範囲、社会に目を向けた カワサキの新しいイメージ創造が必要だと思ったのである。

12月までに、カワサキの熱烈なユーザークラブKGRCの解散をやることがMUSTであった。

 

そして明けて1月、新しいユーザークラブKAZEがスタートしたのである

KAZE のネーミングは Kawasaki Amuzing Zone for Everybodyの頭文字をとってのKAZEである。

そのネーミングを承認した一番おおきな理由は、 基本コンセプト通りの for Everybody であったからである。

例えば 1台のマシンを中心にライダー、メカニックや応援部隊、さらにはレースを観に来る人たち全てが二輪ファンなのである。

そんな Everybody のその一番最初の原点の原点が、今はちょっと忘れられているのではなかろうか?

メーカーも、業界誌も、『新車を売り、雑誌を売る』 ことばかりに専念するのでかえって市場を小さくしてしまっている。

 

★KAZE がスタートしてからもう25年以上になる。 

 

Kawasaki . Let the good times roll !

「Kawasaki に出会う人たちがハッピーになるような活動をKawasakiは展開し続けます』 

カワサキの二輪事業の創成期、1973年アメリカでスタートした、このKawasakiの基本コンセプトは、いつの間にかカワサキの中で消えてしまっていたのだが、KAZEがスターとしたころ、20年ぶりに国内のカワサキで復活し、高橋鉄郎本部長の意向で全世界展開となったのである。

Kawasaki に出会う人たちは、ユーザーだけではなくて 道行く一般の社会の人たちの目にも留まるのである。バイクに乗らない一般の人々にも、いい印象を与えるそんな姿勢がメーカーに求められているのである。

いいものさえ供給すれば、お客さま Customer(顧客、得意先、取引先)は満足する受注生産の商品と違って、二輪車と言う社会の公道を走る商品を提供するメーカーや販社は Consumer (消費者)という本当の末端を直視した活動であるべきである

20年以上も前にカワサキにあったCS推進部のCは、間違いなく Consumer Satisfaction だったのである。

時代が変わり、取扱商品が変わっても、 基本コンセプトだけは不変であって欲しい。

      

      

★ 然し、  ひょっとして また消えるかも知れない?

そんな時にでも、こんなカワサキのコンセプトをKawasakiのユーザーたちとともに 受け継いで行こうと立ち上げたのが、NPO The Good Times なのである。

その趣旨に賛同されて、高橋鉄郎さんにはスタート時点から相談役で参画いただいた。会員カードはNO.0030で、昔で言えば監督番号だし、30番台にはカワサキの二輪の歴史を背負った人たちが並んでいるのである

残念ながら昨年まで25年も続いていたKawasaki . Let the good times roll ! は、 

昨年から使われなく消えてしまって、 powering your potential  という平易なものに変わってしまった。

 

Kawasaki. Let the good times roll !    

1970年代のアメリカでこのコンセプトを創られた当時のアメリカの責任者、濱脇洋二さんは、昨年末 日本自動車殿堂入りをされその功績が広く認められたのである。その活動のベースにあったこのがこの基本コンセプトであったはずである。

新しく本社にマーケッテング部門が出来て、新しいコンセプトが創られることは容易に理解できる。

受注産業が主体の川崎重工業の中でも唯一二輪は末端消費者に直結している事業なのである。その事業部の名称もCP事業本部と呼ばれた時期もあった。そのCPとはConsumer Product だったのである。

二輪事業部だけでも、成期の時代から40年以上も受け継いできた事業展開の基本理念だけは、カワサキとして不変なものであって欲しい

powering your potential との併用など幾らでも簡単に出来ることである。

若しこのブログ読まれるカワサキのトップの方がおられたら、ぜひご一考を賜りたい と思っている。

 

        

 

Kawasaki. Let the good times roll !    

中断した後、KAZEとともに、25年以上も世界に宣言し歩み続けた 、

1973年からいえば、40年以上も続いているKawsaki の基本理念であったはずなのである。

 

 

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加藤文博くんとその昔話など

2015-01-06 06:01:12 | カワサキ単車の昔話

★昨日のことだが、 Facebook で加藤文博くんとひょんなことから繋がりました。

正月に息子のサッカーの記事にコメントをくれた松本さん、川重にお勤めで、三木におられて、トライアルもやるとのことで、そのFBの共通のトモダチを見ていたら、山本隆くんもいるし、加藤文博くんの名前も見つけたのです。

https://www.facebook.com/fumihiro.kato.33

 

 

加藤文博  今は世界的な有名人です。

Googleで、 加藤文博 と検索すると

     

 

こんな紹介が現れるし、こんな写真もいっぱいなのだですが、

      

 残念ながら、カワサキに関する記述が、殆どないのです

そんなことで久しぶりに『カワサキ単車の昔話』というカテゴリーで、加藤文博くんのことを書いてみる気になりました。

  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/c/8bb6842e242593b842929fb3d5b47071

 旧い日記をひっくり返して調べてみたのです。

 

 

★ 私が初めて加藤文博くんに会ったのは、

● 昭和45年(1970)8月1日、裏磐梯の京王ロッジ横で開催された福島オート主催のモトクロスの時でした。この時も、山本隆くんとのペアでした。

東京のアラオカモータースの安良岡健さんに頼まれたのか、私が頼んだのか、その時が初対面で、なぜかよく覚えています。

私は仙台事務所で、東北と北海道を担当していた最後の年で、11月から大阪に異動したのです。

● 明けて昭和46年(1971)2月14日、大阪で野崎輪業主催のモトクロス講習会が淀川の河川敷であって、その時も山本隆くんと二人で来てくれています。 日記には、お二人高槻の自宅に来て、モトクロス談義に花が咲いた と書かれています。

このころは、山本隆くんはモトクロスライダーとしては最後の時期で、多分翌年ぐらいには引退しているのですが、カワサキがトライアル車を開発するときに、また加藤文博くんとのペアが復活しているのです。

加藤文博くんが、トライアルの世界で、文字通り世界の第1人者になったのは、ヤマハに移ってからで、金谷秀夫、星野一義、加藤文博、北川圭一, みんな『世界の・・』と呼ばれるまでに成長したのですが、カワサキにいたころは、そんなに有名人でもなかったのです。

私などは、そのころからのお付き合いなので、みんな昔のままの『くん付け』で通ってしまうのです。

 

 

二輪車新聞にも詳しく紹介された、カワサキのファクトリーOB会、これはなかなかのメンバーです。

こんなブログで紹介していますが、http://rfuruya2.exblog.jp/13553004/

 加藤文博くんも勿論いるし、金谷も、星野も、その師匠の片山義美さんまで集まっています。

カワサキのマネージングメンバーも、川重元社長の田崎雅元、副社長の高橋鉄郎、Zの開発責任者大槻幸雄、Team Green初代監平井稔男など、その肩書はスゴイのですが、こちらもみんな昔のレース担当時代の若いころに戻っての出席なのです。

 

   

 

 後列、一番左側が、加藤文博くんです。

 

★ このOB会も 2010年1月23日、のことでもう4年も前のことなのですが、ここからは、昨年の話なのです。

昔からのペア、山本隆くんのブログからその抜粋です

 

若い時からレーシング専門でした!ツーリングは数える位しか走っていません?
・・・・・・
それで本題です、今回 NPO The Good Times 関連のイベントで「竹田城址ツーリング」が企画され、朝来市長と会談する話が出まして、新任理事長が不参加では話にならないと言う事で、片道約100Kmのロードツーリングとなりました!

しかし朝来市に行くには、青垣町の「ロールアウトパラグライダー」校長の加藤文博の前を素通りするわけにはなりません!そこで豊岡の青木さんに、パラ初体験を進めたら是非ともと言う事で12時にロールアウトスクール事務所で落ち合う事になりました。・・・・・・・
そうこうしてるとローソン1100Rレプリカ、ビトーR&D、SPも到着!

イメージ 4

 
ランディングしてきた元気なKATOちゃんとも逢えたので、私は朝来市長との会談が有るのでゆっくりはできず、出発です。

 
イメージ 5



 
★ これは昨年の KAWASAKI Z1 FAN CLUB 主催の、 竹田城址1泊ツーリングの前日のことで、
 
ここに登場する 青木さんとは、  最近はずっとお付き合いのある
 
  https://www.facebook.com/takashi.aoki.5074?fref=ts   この青木隆 さんなのです。
 
この時に青木さんとも美藤さんとも、朝来の多次市長さんとも、初めてお会いしたのです。
 
世の中、ホントに繋がるものだと思っています。
 
 
加藤文博 くんには、Facebook のトモダチ何人も、ご紹介しましたので、また新たな出会いがあるかも知れません。
 
 
 

    

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年賀状

2015-01-05 08:38:50 | 発想$感想

★昨年の11月初旬にに 年賀状と題して、こんなブログをアップしている

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/3f7f577a542c8f860c8dd7eaa7d4c962

 

 

こんな書き出しで始まっている。

 

 

そして

このように続けている。

 

どうしようか?  心が揺れたのも事実である。

然し、 『止める』 ことにした。

 

 

 

★ 年が明けて、元旦の朝、 届いた年賀状である。

昨年は、母の喪中で、年賀状も来なかったのだが、

1年経って、殆ど同じくらいの年賀状が届いたのである。

 

   

 

 

  当然、先輩の方々からのもあるし、頂いてみると困ってしまった。

昨日、年賀状と題して、まずFacebook にこんな記事をアップした。

 

    

 

 この年賀状の中の4割は、Facebookのトモダチなのである。

『Facebook でも繋がっていますから、当方から年賀状を出さないご無礼をお許し頂きたいと思います。』 とコメントした。

気になっていた 杉沼浩さんなどから、『いいね』を頂いて、 読んで頂いたとホッとしたのである。

 

FBには1000人を超えるトモダチがいる。  

その方たちには、元旦を迎えてすぐ、こんな年賀状をFacebook の中で発信しているのである。

 

 

★昨日、何人かの先輩の方には、年賀状を頂いたお礼と、近況や年賀状を出さなかった私なりの理由をしたためて、返信をお送りしたのだが、

そのほかの方々は、頂いたままになっている。

 

中には 『雑感日記見ています』 などコメントもあったりするので、せめてものお詫びの印に、このブログをアップしているのである。

今年、82歳になる年寄りに免じて、失礼をお許し頂きたいと思っている。 

 

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サッカー雑感

2015-01-04 07:54:35 | 発想$感想

 

★正月休みに、息子と孫が戻って来ていて、

こんな動画を撮って、Facebook にアップしたら、1000回を超えて再生されたりした。

 

サッカーボールを買ってきて、51歳の息子と20歳の孫、家の前でちょっと練習。 

動画に撮れと言うので、2分ほどに纏めた。
ミスしたところは編集してるけど、それなりにカッコウついている。

私も、運動神経では、負けているとは思わぬが、足でボールを扱うのはとてもこうはいかない。

 

とコメントしたりしたのだが、

こんなコメントが来て、コメントを返して、楽しい昔の息子の子ども時代を、思い出したりしたのである。

初めまして。・・・また51歳の息子さん、私と同年代でまたサッカー上手ですね。私も少しサッカーかじりましたが・・・また、同年代なんで兵庫県なら大体うまい選手は知ってるとは自負しています。さて息子さん どこの高校でサッカーされてたのでしょう?

息子は御影工業高校、八木清悟くんと同期、永島、和田くんなどの1年上、彼らとは兵庫選抜のチームメ―トです。小野高校から関学、全日空フリューゲルスでサッカーしてました。反町君などとは小学校時代からよく試合もしてますし、全日空ではチームメ―トです。・・・
 
緑ガ丘中の古谷君でしたか。中三の秋の県大会に私が点を取れず負けました。
後の御影工業高校で全国で負けても泣かなかったんですが中三のこの試合に負けて一度だけ泣きました。今でも一番悔しい試合。
 
緑が丘中が県大会で優勝した時は、息子が2年の時でした。御影工業高校、あの頃強かったですね。息子は小野高校でしたが、御影工の監督さんには可愛がっていただいたのを覚えています
 
古谷君、八木、田中誠、祖母井らが中三で和田くん、藤井くんが中二の、県選抜代表と私たち御影工業一年チームと練習試合したのを覚えています。・・・・緑ガ丘の古谷君は際立ってテクニックのある選手でしたね。高二の時に後輩になった八木に似た驚きのある選手でしたね。・・・

 

この方、当時、兵庫県では一番の強豪だった御影工のメンバーで、今は川重にお勤めだとか、また三木にお住まいのようだから、いつかお会いできるのが楽しみである。

 

★ 私自身は野球をしていたのだが息子のサッカーを見だしてから、俄然サッカーファンになってしまった。 少なくとも見ている限りはサッカーの方が緊張感があってオモシロいし、個人の能力やセンスが発揮できるように思う。

足でボールをコントロールして操ることなど、とても出来ないのだが、もしやってたらそこそこは出来ただろうと思ったりもするのだが、アレだけ走り回るスポーツだから、息の切れることが苦手だから、ダメかも知れない。

野球では『息の切れる』ことなど、練習中のノック以外はないので、バッテリー以外は、楽なスポーツだと言える。そのノックが一番いやだった。守備練習はいいのだが、なぜあんなに何十本も1人を攻め続けるのか? といつもそう思いながらノックを受けていた。

スポーツ全般、『息の切れない』スポーツなど、野球とゴルフぐらいかも、知れない。陸上競技、水泳、スケート、ラグビー、サッカー、テニス・・・みんな息が切れそうである。

 

★そんなやりとりをしていたら、息子が2階からこんなノートを持ってきた。

   

 

何か、子どもの頃から記録してたなとは思っていたが、小学校の頃から、ずっとサッカー止めるまで続いている。

人生の中心にサッカーがあったのは間違いない。

 

   

 

  小学校の頃も、兵庫県でトップクラスにはいた。

 

   

 

大学は、ドイツでサッカーのコーチ留学をしてきた阿部さんが監督と言うことで、同志社と関学どちらも入学出来てたのに、敢えて2部の関学に         入ったりした。

 
 
   
 
 
サッカーは、選抜チームとか、優秀選手を集めての合宿が多かったのは、今と違って選手層が薄かったからだと思う。
上手い選手はいたがチームとして、そんなに強いチームはなかったようにも思う。
 
当時のトップチームのヤンマーにしても、釜本や阿部などは上手かったが、現在の高校チームの方が多分実力は上だと思う。
 
日本のサッカーも強くなったものである。
 
 
 
人間の能力は、鍛えたら信じられないことが出来るものである。
 
サッカーのリフテングなどが、その最たるもので、練習をしないと3回も出来ないが、サッカーやってる人は誰でもちゃんとやれるようになっている。
 
80歳になっても、毎朝続けたら、柔軟性だけは、間違いなく進歩し続けているのである。
 
 
 
 
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ニッポンのジレンマ 日本の大転換

2015-01-03 06:40:19 | 発想$感想

 

★元旦の夜、NHKの 『ニッポンのジレンマ』と言う スペッシャル番組を観ていた。

『40才以上入場禁止?』などと、番組欄に書いてあるものだから、どんな番組なのだろうか? とちょっと好奇心があったのである。

パンダ碁を打ちながら、聞いていたので、そんなに確りと見ていたわけではないのだが、

一言で感想を言うなら、コメンテータの経歴や肩書はスゴイのに、表現力と言うか、話し言葉がもう一つだな と言うのが率直な感想だったのである。

 

 

Facebook に動画と、こんな説明をアップした。

 

 

メンバーは、1人1人ネットで検索して見たが、なかなかの経歴と肩書なのである。

こんな顔ぶれですが、みなさんは顔みたら解るほどの有名人なのですか? 残念ながら私はみんな初対面でした。

北条かや、猪子寿之、五野井郁夫、稲垣あゆみ、先崎彰容、村上裕一、堀口美奈、仲暁子、ドミニク・チェン、安田洋祐、 三浦瑠麗の11人とMCが古市憲寿、アナウンサー青井実 という構成である。

 

 

★元旦スペシャルと言うことで、11人もの出場者だから、1人当たりの発言時間が限られていて、短く、さらに専門用語が入るものだから、正直話しについていけないのである。

もう少し、素人が解るように、普通の言葉で、平易に喋ればいいのにと思った。

経歴が、経歴なだけに、『そんなにムツカシク表現しなければならない』と思っているのではないかと思ったりした。

 

一夜あけて、そのホームページなど覗いてみたのだが、

 

 

 

にこのページの放送後の個人インタビューなど読んでみると、なかなかオモシロいのだが、発想の仕方が、普通の人たちからは離れていまっている。

専門家や、学者はそんな人たちなのかも知れぬが、もう少し『普通の言葉で、普通に話して且つ説得力がナイと』ホンモノではナイのかもしれない。

 

 

★『日本の大転換』はちょっと大袈裟すぎるのかも知れない、

大転換 とは70年前の、戦前と戦後の『大転換』など経験したことから言うと、今の世に、そんなに『大転換』などあるわけがナイ と思ってしまうのである。

世の中が、自然に、なだらかに変わっていくのは、当然だとは思うが・・・・

こんなことを言うので『40才以上入場禁止?』 と言われてしまうのかも知れない。

 

80代のおじん から言うと『妙に言葉だけが頑張りすぎてる』 というのが感想である。

だから、どうも専門家や、コメンテーター、評論家は好きになれないのである。

 

 

  

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NPO The Good Timesの仕組みと 燦々Sun Sunについて

2015-01-02 08:23:02 | NPO The Good Times

★今年はNPO The Good Times は、7年目に入ります。

第1期の仕組みの構築は、一区切りほぼ100%完成して、第2期に入ろうとしています。

 

NPO The Good Times は世界にただ一つのネットをベースに活動する仲間を繋ぐNPO法人です。世の中に存在する多くのNPO法人とは全く異なり、一切行政の補助金や企業の寄付などは頂きません。逆に『末端の人達を結んで』いい活動をされる企業やグループにはその仕組みに基づいて活動資金を支援するNPO法人です。

世の中に一般に存在しないものを説明するのは至難の業です。

一言でいえば、NPO The Good Times はシステム、仕組みそのものですから、ブログやツイッターやFacebook と同じなのです。NPO法人自体はシステムを創るだけで、そのシステムをベースに広報活動を行っています。

 

 

 

Kawasaki . Let the good times roll !  1975年カワサキのアメリカの販売会社KMCで掲げたカワサキの二輪事業の企業活動コンセプトで、『カワサキに出会う人達がハッピーになるような活動を展開し続けます』という活動姿勢の宣言なのですが、その精神を受け継いだNPO法人なのです。

個人会員、団体会員の入会金はそれぞれ1000円、1万円で終身会員です。団体会員は、団体会員プロジェクトと言うシステムにより、独自の会員カードを創り独自の会員を集めることが出来ます。

 

 このNPO法人はネットをベースの活動とし、こんな仮説をもとに設立しました。

 『ネットをベースに活動すれば、「経費はゼロになる」 NPO法人にしておけば、仮にお金が貯まっても関係者で分配することはムツカシイ。NPOの基本コンセプトに共感して、参加された団体会員が集めてくれた個人会員の入会金は規定基準に従って、集めてくれた団体会員さんに活動資金として支援することが出来るはずだ。』

 この6年間、その仮説通りの展開になりました。世界の個人会員は1万人を越え、NPO法人には1000万円以上の入金がありましたが、基本コンセプト通り、規定基準通りに活動資金としてプロジェクト団体会員に支援してきました。

その規定基準とは、500人(50%)1000人(60%)2000人(70%)5000人(80%)を支援します。

 

   

 

多くの会員を集めてくれた、そのプロジェクト会員としては、『孫文を語る会』『二輪文化を伝える会』『KAWASAKI  Z1 FAN CLUBなどがあります。

さらに、昨秋新たに二輪関連を纏めるWorld Good Riders Association(支援率85%)や、アメリカを統括するUi International (支援率85%)などが立ち上がりました。

会員カード代(約15%)はNPO法人が負担しますので、NPO法人には殆んど残りません。現在NPO法人の資産は20万円を切る銀行貯金だけですが、経費がゼロですから、それだけあれば十分なのです。

 

    

 

 今年は新たに、二輪車以外の「光り輝く太陽のような活動をされるグループ」を繋ぎ纏める『燦々 Sun Sun』をスタートさせます。

『燦々 Sun Sun』は、従来のNPO The Good Times の三木市のメンバーとともに、関西国際大学の松本茂樹先生など7人の世話人で立ち上げ、その企画、仕組みの創造は私が担当しますが、世話人代表を松本先生にお願いする方向で進めています。

 

    

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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