雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

お小遣い制 雑感

2016-01-05 07:10:34 | 私の生き方、考え方&意見

★『お小遣い制が日本のお父さんをダメにする

  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160104-00045669-jbpressz-bus_all

というこんな記事を興味深く読んだ。

    

       

 

 

こんな風に書かれている。

 

かつて、リーマンショック前は4万5000円程度だったということですから、アベノミクスで多少は改善されるのかもしれませんが、4万円だと1カ月の「お小遣い」としては大した金額ではありませんよね。・・・ お小遣い制を採っていると思われる家庭は5割近くに達するとのこと。

ちなみに、お小遣い制採用の割合は、米国20%、中国20%、イタリア7%、英国6%だとか。これだけ見れば、日本は突出した「お小遣い先進国(? )」と言えるでしょう。

・・・・・一家の大黒柱として収入を得ているお父さんのお話なので。とほほです。

 

★ 私自身、月決めの『小遣い』など貰ったことは一度もないので、未経験の分野である。

小学校の子供の頃は、小遣いはおろか『お年玉』も貰ったことはない。子供は金など持ってはならない』ということだったのではなかろうか?

中学1年生の時に終戦で、明石から神戸の中学校に通っていたが、必要な金は貰っていたのだろうが、『小遣い』を月ぎめで貰った覚えはない。

高校3年間は、家から徒歩で明石高校に通ったが、野球部の練習が全てのような学生生活で、『小遣い』など不要だったのだと思う。

いずれにしても、小学校時代は裕福で、中学校以降は一転貧しい生活だったが、金には無縁で生きていた。

高校3年の1月に父が亡くなって、大学に行ったが、家からの通学だったし、片親の引揚者ということで、『授業料免除』で『奨学金』を頂いてたので、『奨学金が小遣い』みたいな大学生活であったのである。

 

★会社に入ってから結婚するまでは、給料は自由になったが、月給が12000円からのスタートなので、とても貯金など出来なかった。

その後、結婚した当時は、月給4万円ぐらいだったと思うが、とても小遣いをもらえるような家計ではなかった。全額家に入れて、『煙草』などは一切家で買って貰ったので、大した金も要らなかったのである。当時は世の中全体がまだ貧しかったので、家計を維持することが最優先課題だったように思う。

そんなことで、今まで一切『小遣い』など定額を毎月貰った経験が皆無なのである。

これは勤め先が川重で給食は出たし、通勤もずっと車だったので酒は基本的に飲めないし、出張時にしか金が不要というような恵まれた?生活環境だったからかも知れない。

人生を振り返ってみると、30代までは給料が安くて苦しかったし、40代には給料は上がったが家を建てた借金の返済でとても余裕はなかったし、50代は二人の子供が大学で金が要ったし、その間ずっと家内は『専業主婦』だったから、貯金など全然なかったのである。

 

★『小遣い』など貰わずに生きてきたが、昼飯代の要るような勤務なら、これは『小遣い的』なものが要るのかも知れないが、私は必要な時に貰っていたような気がする。金は一切家内に任しきりだったが、私自身は基本的にケチというか、日常の無駄な金は殆ど使わない。

サラリーマン後半はちょっと生活にも余裕が出来て、車はBMW背広は仕立て、持つものは結構高価なものを買ったりしたが、これらの出費はすべて家計からである。だから『小遣い』などなしに生きれたのだと思う。

結婚生活など、お互いの協働生活なのだから、まず相手を信じて任してしまえばいいのである。生活を維持できるようにするのは、男の責務だと思うから、必要なものは貰えばいいし、無駄な出費は、控えたらいいと思う。

確かに『お小遣い制が日本のお父さんをダメにする』ような気がする。そんなことなので、私は一生定額の『小遣い』など貰わずに終わるだろう。

お蔭様で『ダメにならずに』生きられた。

 

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家と長男とお墓の話

2016-01-04 07:47:10 | 私の生き方、考え方&意見

 ★娘の長男 門野力也はいまアメリカから日本の大学に留学中で、この正月休み三木に遊びにやってきた。

昨日と今日、2日間二人で過ごしている。

私も長男、彼も長男である。

昨日は、明石の長寿院まで正月の墓参りに二人で行った。

 

かっては20近くもあった古谷家の先祖代々の墓は、阪神大震災の時にほとんどが倒れてしまって、お寺が整理して今は本家の伯父が立てた墓と並んで新宅の父の墓の二つになった

沢山の墓が二つになって、実は内心ほっとしたのである。沢山な墓の位置を覚えるだけでも大変だったのである。

私の息子でもそうだったが、最近の若い人たちは、墓の制度や居士号など全然わかっていない。ましてやアメリカ育ちの力也は、大学生なのに居士を『こじ』と読むことすら知らなかった。

ましてやその命名にお金が必要などは、どう考えても合理的でない『不思議の世界』なのである。

 

  

 

長男と次男では日本の墓の制度は全然異なる

かくいう私も、子どものころは伯父に『古谷家を継ぐのはお前だ』と言われて小学校のころから、当時はこの長寿院の檀家総代をしていた伯父に連れられて何度となく、長寿院を訪れたし、先代のお上人から子供のころにいろんな話を聞かされたりした。

孫の力也も長男だが、どうもこの手の話は苦手なようだが、興味だけは示すので、昨日は長寿院の本堂や松平家のお殿様のお墓を案内したりしたのである。

誰かに知らしてさえいれば、それで私の責任の一端は果たせると思うからである。

 

  

  

 

 これがお殿様のお墓である。その院号は20文字以上もあってこんなに長いのである。

 

   

 

 こんな場所に入ってきた人は、多分檀家の方でも殆どいないのではと思う。

 一応は扉が閉まっているし、それを開けて中に入るのはなかなか勇気がいる。ご住職をよく知っているので咎められたりはしないことが解っているので、孫も案内してみたのである。

私の子供のころは、まだ松平家のお殿様の子孫の方は、お盆などに明石まで墓参でお見えになっていたのである。そしてその時には伯父の家に泊まっておられたのである。

その対応が大げさで、まさに主君と家臣の関係が残っていて、子ども心にこれはとてもではないと思ったものである。

そんな長寿院に関する戦前の私の子供のころの昔話は、外から来られた今のご住職でもご存じのない話かも知れないのである。

 

★今後、日本のお寺や檀家の制度はどのようになっていくのだろうか?

この長寿院とのお付き合いも、私の代で多分終わるのだと思うしそれでいいと思っている。

本家の伯父が外でつくった『いとこ』に明石の本家の土地も家も譲って三木にやってきたのだが、その子供は娘さんばかりで、『古谷』の家を継ぐことは出来ないので、息子や鎌倉の孫に託さねばならぬのだが、息子ですら明石の土地は何の関係もなく、ましてや孫に至っては、何にも解っていない。

然し、このあたりのことは私のほうが無頓着で、もう何年か前に鎌倉の孫に『古谷の家紋』は何ですか?と聞かれて解らずに、妹に聞いて答えたことを思いだす。 なのに今はすっかり忘れてしまっている。関心がなくて覚える気にならないのである。

 

このあたりのことについては、いまの世でもいろいろ詳しい方もおられるのだが、私自身は全然無頓着無関心ある。ただ、周囲に関心がある人が居れば、私が知っていることぐらいは伝えておかねばと思っているだけなのである。

昨日は、外孫にあたる門野力也が、幾らか聞く耳を持っていたと思うので、旧い明石の話や場所も案内したし、長寿院の本堂も、本堂の天井に書かれた私の名前のある位置も教えておいた。

大体、墓などはその人が、この世に存したことを示すためにあるのだろう。

私自身が変わっていて、初詣もしないし、祭りにも関心がない、神社でお祈りしても頼み事など一切したことはない。無宗教に近いのはなぜだろう?

墓などなくても、ネットで探せば、私は幾らでも出てくるし、このブログでも見ればどんな生き方をしたかも解るだろう。

 

★これは昨日撮った長寿院の動画である。

 

 そしてこちらは、門野力也と過ごした2016年1月3日の半日である。

朝、病院に家内を訪ねて、そのあと明石の長寿院に、そして日本にいたころ住んでいた西神のマンションとその近くの公園など、孫ももう昔を思い出し懐かしむそんな年代になったのである。

私と2日間、一緒に過ごすこともないと思うので、この時間を大事にしたいと思っている。私が伯父に連れられていろいろ一緒に過ごした時間は、いま思うと非常に貴重なのである。

 昨日の1日、そんな1日になって欲しいと思っている

 

 

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今年の年末年始

2016-01-03 07:09:32 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今日はまだ新春の「正月三が日」だが、我が家は昨日で終わって、今日からは普通の生活に戻るのだろう。

昨年11月末に家内が足を骨折して、その後手術、入院生活が続いていて、年末の30日に3泊4日で外出許可を貰って家に戻っていたのである。

家内が戻ってきてくれたお蔭で、年越しそばも食えたし、お雑煮も作ってくれた。

いつもは一切台所のことなど手伝わない私だか、今年は料理を運んだり、洗い物をしたり結構忙しかったのである。

さらに、30日からは鎌倉にいる孫も来ていて、3人家族だったので、それなりの洗濯物は多くなったし、それなりに働いたのである。

 

★2日の19時過ぎに、病院に送りとどけて、いま戻ってきたところである。

同じ車椅子でも病院は広いし、ベッドだから、自分で殆ど全て出来るのだが、家では畳の上の寝床だから、そこから車椅子に乗るだけでも、大変なのである。

そんな大変な生活ではあったが、4日間年末年始を家で過ごせて、それなりにお互い『正月気分』を味わえたのだが、こんな生活は、4日が限度で、これ以上はお互い大変だと思う。

歩ける ということは普通は何とも思っていないが、歩けなくなるとその有難さは実感できる。自分の足で歩けるようになるのはもう20日間ぐらい掛かるようなので、今日からはまた独りの独身生活がスタートするのだが、孫は明日まで三木にいるので、この2日間、どのように過ごすか? 思案中である。

 

  

 

★昨日の2日は、父の命日でいつもなら明石まで墓参りに行くのだが、それを今日行こうと思っている。

朝は、家内に新聞とコーヒーを届けて、その足で明石まで、行こうかと思っている。

孫も一緒に来るかと言ったら『行く』というので、帰りに昼飯でもどこかで食って、夜は昨日のすき焼きの残りをもう一度と思っている。

 

     

 

昨日は、家内がアメリカから留学の孫に、日本の旨い肉ですき焼きをと張り込んで3パックも買って来たら、流石に3パック目は半分残ってしまったので、今日は年末に頂いた『下仁田ねぎ』がまだ少しあるので、それでもう一度なべの掃除も兼ねてと思ったりしている。

今日からは、男二人の料理なので、100%私流で大丈夫なのである。

家内が居ると、なかなか『私流』を押し通すことは難しい。いつもはホントに一切家の中のことはせずに、家内に任し切りなのである。

 

孫も明日には、関東に戻っていく

そしてまた、私の今年1年が始まるのだが、1月もなかなかいろいろあって忙しいのかも知れない。

いずれにしても、今年の年末年始は、昨日で終わったのである

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静かな元旦

2016-01-02 07:16:57 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★毎年、静かな元旦で幕を開けるのだが、今年は特にその感が強い。

先月来、足の骨折で入院中だった家内が、年末年始に外泊の許可を貰って1ヶ月ぶりに家に戻ってきたが、車椅子でまだ歩けないので、いつものような元旦にはなかなかならない。

それでも、年越しそばや雑煮は自分で作ってくれた。

今年は、そんなことで息子たちも帰省せず、娘のほうの長男と3人で至って静かなのである。その孫も元旦は神戸のほうへ出かけて家内と二人きりのまさに静かな元旦を過ごしている。

新聞と年賀状を取りに外に出た以外は、ずっと家の中で過ごした。

 

  

 

年賀状と言えば、ずっと毛筆で手書きのモノを100枚ほど出していたのだが、3年前に母を亡くして以来、当方からは出さぬようにしているのだが、今年も100枚近く頂いた。

その中で、ネットでご覧になったり、このブログが届く方は、20人ぐらいで、やはりアナログの方が圧倒的に多いのである。

どのように対応すればいいのか? 先輩の方もおられるし、懐かしい方もおられるので、1月中に何らかの対応をしたいと思っている。

 

  

 

1月2日は、父の命日なのである。毎年2日は明石まで墓参に行くことが多いのだが、今年は家内が車椅子だし、2日中に病院に送り届けねばならぬので、ちょっと無理なので、明日にでも孫と一緒に行こうかなと思っている。

花の代わりに。庭の千両を持って行こうと思っている。

高校3年の時の、1月2日に父は亡くなった。父が亡くなったので大学受験を受けることになった。私を大学に行かせるために父は1月2日に亡くなったのかなと最近思うようになった。

 

★この1ヶ月独りで、勝手気ままに過ごしていたのだが、家内が戻り、孫も来ると途端に家事が増えた。正月でもあるし、洗い物も洗濯も量が増えて、独りでいるようなわけにはいかない。

静かな元旦だが、生まれて初めてよく動いた元旦なのである。

それでも、まだ時間も余るので、ネットのパンダ碁を打ったり、天皇杯のサッカーのテレビなど観て時間を潰している。

そんな1月1日で、2016年はスタートした。

 

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謹賀新年

2016-01-01 00:00:58 | 発想$感想

 

  2016年の新春、明けましておめでとうございます。

    今年もまた、精一杯頑張りたいと思います。

 

   

 

 

 

 NPO The Good Times は、スタート以来7年目の活動に入ります。

設立当初からの目標『新しい公共』は、昨年度地域活性化のプロジェクト燦々SunSunを立ち上げての活動が軌道に乗りつつあり、来る2016年度はその一層の推進が期待される状況です。

 

 

 こんな基本コンセプトに基づいて今年も精一杯頑張ります。

 

 

 

 三木の丹生山に登る初日の出です。

コメント (2)
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