雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

アメリカの個人を育てる仕組み

2016-01-16 20:47:38 | 発想$感想

★孫の門野哲也のことでFacebook にこんな風にアップしたら、アメリカに住んでおられる津田さんとこんなメッセージのやり取りがあったのである。

私見をもう少し纏めてアップしてみたい。

 

   

 

      

 

★運動のセンスや運動神経は、基本的に遺伝の要素は大きいと思っている。

私自身も野球で日本代表になった伯父などのDNAを受け継いだのか、子どものころから運動はできたし、中学、高校、大学と野球ばかりやっていて、まずまずのプレイヤーとして夏の全国大会にもチームとして明石高校時代に出場したりした。

息子も娘も子供のころから運動はできて息子はサッカーで全日空に入ったりしたのだが、娘のほうの孫たちは、長男はなかなかのセンスだったのに下の二人は体力はあっても、どうも運動センスがなくて次男など小学校2年生のころサッカーをやってたが、リフテイングが5回ぐらいしか出来なかったのである。

日本の場合は、個人よりチーム強化が優先だから、強豪チームは部員が100名もいる部員の中から選ばれたエリート選手中心のチーム強化がなされるシステムが普通なのである。

だから、もし日本でやってたら、少なくともエリートグループには入れなかったに違いないのである。

 

★ところが、アメリカに行った孫たちは、3人ともサッカーをやったのである。

アメリカの子供のチームは年代別に幾つものチームがあって、日本と違ってチームの構成人数1チーム10数人なのである。

チームはいろいろなレベルがあって強いチームに属するためにはそのチームの選抜テストに合格しなければならないのである。翌年はそのチームからさらに高いレベルを目指して移って行くのが普通のこととして行われている。

真ん中の真也などは、Strikers に入りたかったのだが、『デブはダメ』と言われて2年間減量してやっとチームに入れて貰えたのである。ただチームに入ると日本と違って10数人しかいないので、補欠でベンチにいるだけということにはならないし、練習方法を観ていても、徹底して個人を育てる練習方法が採られている。

そのコーチも元アメリカ代表という非常に高いレベルなのである。

末っ子の哲也は小学校の頃は、普通のチームに属していたが、キーパーの個人練習はチーム外で受けていた。コーチにもレベルがあって、高額を払えば元メキシコ代表のキーパーの指導も受けられるのである。そのコーチの指導も目の前で見たが、あれくらいやれば上手くなると思う。日本では中学生がそんなレベルの人のコーチを受けることなど出来ないだろう。

末っ子は、目に見えて進歩して中学に入るころには、Strikersのほうから声が掛かってチームに入れて貰えたのである。

確かに、本人の努力は要るが、その意思があれば非常に高いレベルの指導が受けられる『仕組み』が出来ているのである

日本では、3兄弟の中では突出していた長男は、日本の大学に行きたくて、そのためには日本語学校や塾の授業が忙しくて、サッカーもやってたが、集中する方向が勉強のほうでその目標は達成して今は日本の大学生なのである。

 

次男の真也は、運動センスも、体力もそこそこはあったのだろうが、びっくりするほど真目で何事にも集中する

サッカーもそうだしジムに通って体力も素晴らしい。サッカーを観ていても滅多に転んだりしない。一言で云えば、『強い』と『真面目』という感じで、これは娘婿譲りだと思う。

いま所属しているUCバークレイは、世界の公立大学ランク1位という名門校だが、ここには『サッカー推薦』で入学したのである。

その大学も1学年5,6人しか推薦者を取らないので、チーム全員で20数名なのである。そしてアメリカの大学独特のシステムで、バスケットのように、1試合2回の出場が出来るようで、大勢の選手が試合に出易いようなシステムで、ここにも個人を育てる意思が見られるのである。

兎に角、学生やアマチュアは、個人を育てる仕組みが確り出来上がっていて、日本の名門チームのように100名も部員がいて半分以上が応援団のようなシステムとは全く違うのである。

 

そんな個人が育っていくシステムに恵まれて、孫たちも今のところ順調だがここから先はなかなか大変だと思っている。

 

 

 末弟も次男も、日本に遊びにきていた時、息子の紹介でヴィッセル神戸のサブチームの練習に参加させて貰って、サブチームではそこそこだったが、プロの世界はこれはまた別世界だと私は思っている。

 

★孫たちも、ここまでは来た。

5年ほど前、娘婿はアメリカから日本に戻るように勤務先から指示があったのだが、それを断ってアメリカに残ったのは、多分孫たちの教育問題が一番にあったのだと思う。

あの時日本に戻っていたら、孫たちは今のようにはなってはいないと思っている。

経済的にも不安定な時期を乗り切って、何とか今は孫たちにとっては自分の思う方向に歩めている。

将来がどうなるかはよく解らないが、曲がりなりにもここまでこれたのは、両親のアメリカ残留の決断があったことを、孫たちもよく覚えておいて欲しいのである。

あと5年経ったら、果たしてどんなことになっているのだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜マルシェの反省会

2016-01-16 07:57:34 | 発想$感想

 ★昨年11月末に開催された、『緑が丘 日曜マルシェ』 の反省会と今年度の新年会が開催された。

三木でも結構面白いメンバーが集まったが、6時半から9時半まで今年度のまた新しい形でのマルシェに繋ごうと活発なホンネの意見が飛び交ったのである。

反対意見が出ないような会議は意味がない。

集まった人たちの意見が、すべて同じなどは考えられないのだが、大概の会議が建前でしゃんしゃんと進められるのが通常なのである。

 

 

 集まったメンバーは、市会議員さんや、緑が丘のまちづくりの会長さんや、商店街の理事長さん、NPO The Good Times の理事さんなど、結構な肩書もあるのだが、そんな社会の肩書など関係なしに、オオムギのこなやの垂井健さんや、榮太楼の前川さんなどなどが、正論展開で反省会の流れを引っ張られた、そんなざっくばらんな会合だったのである。

最後の締めで、青野さんや三宅さんがお二人とも『これは珍しいいい会合だった』と仰っていただいて、この反省会も大成功だったと思っていい。

この日曜マルシェは、三木市の補助金も絡んでいて、昨年は第1回だったので、従来ペースの支援ベースだったのだが、このマルシェが『地域活性化』を目標にするならば、より末端に近い人たちの意見に耳を傾けるべきだろう。

このマルシェの中心が燦々SunSunのメンバーたちで推進される限りは、『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』という基本コンセプトに沿って、市民が引っ張る『新しい公共』に三木市がついてきてくれる、そんな方向が望ましいしのだろう。

 

 

このマルシェの実行委員長は、この会合の場所を提供してくれている向山信吾くんである。

6月以来、延々と続いている『水曜マルシェ』の主宰者でもある。

 

  

 

 その向山信吾くんと殿界寿子さんの強力コンビが、このマルシェを支えている。

このお二人は、関西国際大学の松本茂樹先生ともども、今年からNPO The Good Times の理事も務めて頂くことになっている。

こんなメンバーを核に、サンロード商店街の理事長の田原さんや、栄太楼の前川さんが支えて、さらにはオオムギのこなの垂井健さん、緑が丘から選出の議員さん草間透さん(草間さんはNPO The Good Times スタート以来の副理事長をお願いしている)イベントはプロ並みの青野さんなどなど、ほかにも昨日は出席されなかったが、多士済々なのである。

もう一人忘れてならないのが緑が丘まちづくり協議会会長の井上輝美さん、水曜マルシェにも毎回顔を出されるし、行政やダイワハウスを繋いで、『緑が丘のまちづくり元年』を今年は目指すという、そんな計画は既に始まっている。

 出席出来なかったひとたち、子供会の新井さんや、仮面舞踏会の東野さんご夫婦、ふきのとうの蔵迫さんなどなど、いいメンバーはいっぱいなのである。

 

★みなさんそれぞれの『想いや立場』もあるので、ムツカシイところもあるのだが、そんな壁を乗り越えるべく、本音のトークが展開されたのがよかった。

第1回の『緑が丘日曜マルシェ』は大成功と実行委員長は挨拶で言ってたが、この反省会もまた大成功、お互いの理解はまた深まったと思っている。

動画をご覧になれば、どんな雰囲気なのか、お解り頂けると思っている。

https://www.youtube.com/watch?v=as9q3UKXu3A

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする