雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三木の地域活性化をめざす会

2016-05-19 05:25:43 |  燦々 Sun Sun

 

★『三木の地域活性化をめざす会』は5月17日、午後、関西国際大学の経営学科の松本茂樹先生の授業で幕開けした。

 

 

      https://www.facebook.com/groups/1745479739004357/

 

こんなグループをFacebookの中に立ち上げて、三木で活発に動いておられるメンバーや、授業に出席される学生さんもメンバーに加えて、教室外でも話が出来たらいいなと思っている。

既にグループ内でも活発に動いて、授業のスピーカーの話は、みんな収録されたりして載っている。

 

NPO The Good Times についても、その活動の母体になる団体会員についても、そのトータルシステムも、その間に説明し、理解を深めて貰えばいいので、当日お配りした2枚の資料が、コレである

先日の授業ではこの資料の中身にはほとんど触れてはいないのだが、夏のインターンシップも含めての長い期間があるのでその間にいろいろとご説明する機会があると思っている。

 

   

 

これが1枚目で、NPO The Good Times の基本コンセプトとその展開のベースになっている『仕組み』についての私の見解を纏めている。

学問的に合っているかどうかは別にして、私自身は『きっちりと、確りと』纏められていると思っている。その具体的な説明は、今後秋まで、『三木の地域活性化をめざす会』の中でも、このブログでも説明をしていこうと思っている。

 

     

 

こちらが、その『仕組みのベース』になっている団体会員である。

端的に云えば、この団体会員の主宰者が『やりたい』と思うことが『実現する』ことが『めざす目標』であり、それが自然に『実現する』ような『仕組みの創造』が具体的な展開なのである。

 

★それぞれが『めざす目標』=『基本コンセプト』が確りとしていることが、MUST条件なのである。

ところが世の中のいろんなことは、尤もらしい計画や数値計画、予算、それを実行しる組織あたりはちゃんと作るのだが、一番肝心の『基本コンセプト』がぼやけていることが多いので、予算を付けて『イベント』などやったりするのだが、そのうちに何のために「やり始めたイベント」なのかは忘れてしまって『イベントをやること自体が目的』になってしまったりするのが殆どなのである。

三木のまちでの最大イベントと言われる『三木金物まつり』なども『金物産業の振興』が、『三木さんさんまつり』は『緑が丘の活性化』であったはずなのだが、今は『まつりを開催すること』が目標になってしまっている感があるように思えてならないのである。

 NPO The Good Times そのモノは、 極端に言うとFacebook やツイッターやブログなどと同じシステムそのモノだから、それ自体は何もしないのだが、それをお使いになる方が、上手に使えば望む目標が自然に実現するような『仕組み』に仕上がっているのである。

『三木の地域活性化』が緑が丘でも、戸田地区でも『実現するように』団体会員さんと一緒に頑張ってみたいと思っている。

 

 

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

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関西国際大学でのリレー講義

2016-05-18 06:38:06 | 発想$感想

 ★『三木の地域活性化をめざす会』というグループを Facebook の中に立ち上げている。

   https://www.facebook.com/groups/1745479739004357/ 

 

そのメンバーは、

  松本茂樹  関西国際大学経営学科長、NPO The Good Times 理事、燦々SunSun 世話人代表

  殿界寿子  サンロード商店街広報担当、NPO 理事、三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!世話人代表

  向山信吾  土林水庵主宰者、NPO The Good Times 理事

  垂井健   オオムギのこなや オーナー、三木戸田地区活性化プロジェクト世話人代表、燦々SunSun 会員

  大島光貴  神戸新聞 三木市局長、 燦々SunSun 会員

  そして私の6人でのスタートなのだが、その中にこの授業の学生さんたちや一緒に仲活動しようという志のある人たちを仲間に入れて、三木のまちの活性化を『協働しよう』という、ちょっとオモシロい試みなのである。

 

★昨日は、このメンバーたちによる『三木のまちの活性化』に対するリレー講義だったのである。

松本茂樹先生の授業の中で何回かの講義とともに、Facebook グループの中でも繋がればいいし、夏のインターシップでも、いろんな試みをしようというものなのである。

昨日は、そのスタートの顔合わせみたいな90分だった。 

その90分を5分の動画に纏めているのでご覧ください。

 

 

特に、人前での話、ましてや大学の授業での講師など、未経験の殿界さん、向山くんの講師ぶりは堂々としていて、素晴らしかったのは、やはり日頃の活動から来る自信かなと思った。

 

 

私の後を引き受けてくれた殿界寿子さんである。

 

  

 

  

 

緑が丘とサンロードをベースに、『三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!』の世話人代表としての活動展開となる。

こんなホームページを立ち上げたばかりである。 

★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです

 

 

 

 

 こちらは、向山信吾くん。 

ただ一人の『三木生まれ、三木育ち』だけに、三木に懸ける想いが、伝わった講義になったと思う。

 

 

 

既に神戸新聞などでも取り上げられている 健康食品 大麦を三木の戸田地区で栽培し、同時に戸田地区の地域活性化も視野に入れての活動の 垂井健さん である。

 

  

 

 そして、この授業を担当されている経営学科長の松本茂樹先生、神戸ベンチャー研究会や、NPOの理事さん、その地域活性化のプロジェクト燦々SunSun の世話人代表もお願いしているのだが、昨日の講義の中でも仰っていたように、Facebook の中では、毎日お会いしているのである。

 

★もう一人仲間、神戸新聞の大島光貴(左)さんと、今回授業を本格的に撮影してくれる服部洸太郎さん(右)授業前の準備の時の談笑である。

広報の準備はバッチリなのである。

 

  

 

この授業の模様を神戸新聞三木版でご紹介して頂くことになっているのだが、この万歳は、昨日関西国際大学は、春のリーグ戦を制覇して完全優勝、11年ぶりの神宮出場を決めたのである。

明日の神戸新聞 三木版は間違いなく『野球部優勝』のニュースがトップだろうから、

この授業の記事は、別に急ぐ記事でもないので、明後日以降に回るのかも知れない

 

 

 

一番前で万歳してるのは、昨日『飛び入り参加』された三木市戸田地区の木下全康さんである。

昨晩、こんなメッセージが届いたのである。

『古谷さん、こんばんわ。  今日はおつかれさまでした。 知らないことが多くとても勉強になりました。これから自分がどういう形で三木市に仕事を通じて関わり何ができるのか。いろいろと考える素晴らしい機会になったように思います。』

また一人、仲間が『増えたな』と思っている。 

服部洸太郎さんとともに『三木の活性化をめざす人の会』にご招待をしたのである。

 

     

 

 

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薔薇のシュート

2016-05-17 05:40:00 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★我が家の薔薇もシーズンが始まった。

今年は、ちょっとだけだが、ちゃんと世話をしたので、5月半ばだというのにあちこちに『シュート』が見えている。

シュート』とは、薔薇の根元から出るこんな新しい枝のことで、『シュート』が出るということは、薔薇が健康に、順調に育っているという証拠だとも云える。

 

  

 

  

  

 

 これは将来の新しい主枝になり、そこにいっぱい花をつけるので大事にしないといけないのだが、その『シュートの処理』がなかなかややこしいのである。

 

 

★ ネットでその解説を調べてみるとこのように書いている。

  

 

 

 そのピンチの仕方が、何故か鋏を使わずに『指で折れ』と書いてある。

 

 

 

 

 5枚葉の上を折るという。

 

  

 

  そして、さらに伸ばして、花は『咲かせない』というのが、簡単なようでムツカシイ。

今までは『ピンチ』はしたが、そのあとは。花を咲かせてしまっていた。

今年はちゃんと『やってみよう』

 

 

 

★昨年、挿し木して今年の冬に植えたバラにも花が付いている。

これも秋までは、木を育てるために花は咲かせるなと書いてあるが、これもなかなかむつかしい。

 

       

 

          

 

    この木は解説書に書いてるようにちゃんとやってみることにする。

 

        

 

 こちらは、同じ『シュート』でも、蔓バラのシュートで、今のところこの1っ本だけなのだが、これは『ピンチ』などせずに、長くそのままのバスのである。 多分5メートルぐらいまで伸びるのではないか?

改良された『四季咲きの蔓バラ』だから、秋口にも花を楽しめるのである。

       

 

 

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レトロヂ 2016

2016-05-16 06:33:53 | 発想$感想

 ★昨日は レトロヂ 2016 だった。

スタートしてから今年で4年目の、三木の旧いナメラ商店街を舞台にしたイベントである。

    

     

 

 

  昭和の時代をちょっと思いだす、なかなか楽しい手作りのイベントで、仲間たちがいっぱい参加なのである。

 

   

 

  三木の稲荷神社の坂道を降りたところ

 

   

 

   三木城址のすぐ下という立地で、展開されている。

 

  どんな感じなのかは、この動画をご覧になれば、その雰囲気はよく解る

 

 

 

  その動画の中から切り取った、主として仲間たちの写真である。

 

 まずは子供たちが喜ぶ こんな風船いっぱいの楽しいそうなゲームである。

 

   

 

 まずは『粟生線の未来を考える市民の会

 4年連続での出店である。

 

       

 

  昭和をイメージさせる 大村崑 ちょっと老けたかと思うが、これはお互い様である。

 

      

 

  昨日も三木の戸田地区の野焼きでご一緒だった

 オオムギのこなや の垂井健さんご夫婦  『オオムギのこな』結構好評で売れていた。

 

       

 

ベントの警備にはいつも顔を出される 青野さん

今回は警備ではなくてこのイベント会場の責任者だそうである。

 

       

 

 仮面舞踏会は、歩いているだけでも人気。 どこかのテレビが追っかけていた。

 

     

   

 

  今、ちょっとお休み中の 向山信吾くん

昨日は二人で、マルシェの会場も含めて全部歩いてきた。 約2時間、暑かったし結構きつかった。 

やはり歳かなと思う。

その向こうは板東さんと垂井さん。

 

   

 

 

このイベントの主宰者の中心、井上章二さん、

ここは、地元である。

その前に、『オオムギのこな』を買いに来られていたおばさん

井上さんのこと先代の息子さんだという認識なのは、やはり地元では、仕方がないのかな。

   

 

 

緑が丘の田原さんも、午後顔を出された。

お会いした瞬間である。 動画の写真は自然でいい

  

 

 仮面舞踏会のダンス

 向山信吾くんも、引っ張り出された。

 

  

 

 

いろんな人が参加して楽しそうだった。

  

  

 こちらが東野さん、 リーダーである。

 昨年、『水曜マルシェ』に登場してくれたメンバーも、一緒に踊っていた。

  

 

 

★ こちらは、垂井さんが垂井さんのカメラでシャッターを押されて、Facebook にタグ付けされたので、

私も写っている。 一緒にいるのは、いつもの仲間たちである。

昨日、会場を歩いてみて、私も三木に知人が増えたな、というのが実感である。

 

  

 

昨日も、お二人ほどに名刺を頂いた。

 

 

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戸田地区の野焼き

2016-05-15 07:34:32 |  燦々 Sun Sun

★昨日は、『三木の戸田地区の整備プロジェクト』の野焼きに行ってきました。

https://www.facebook.com/groups/1534268096877021/

このプロジェクトは、『オオムギのこな』の垂井健さんが、戸田地区の方たちがオオムギの栽培を手伝って頂いたので、そんなご縁で戸田地区の農業放棄地区を借りて整備し、いろんなことを計画して、『戸田地区の活性化』に繋がったらいいなと始められたものです。

 

  

 

 こんなイベントをFacebook上に立ち上げたのですが、当初は参加者は垂井さんと私だけでどうなることかと思いましたが、

当日はこんなに沢山の人たちが集まって、結構賑やかな野焼きになりました。

 

  

 

 初対面の方も3人おられたのですが、

黄色い つなぎの男性は森岡さんで、『消防団長』さんだそうで昨日は大活躍でした。早速Facebook でトモダチになりました。

その後ろ、私の隣が芝田義明さん。川重の作業服を着ておられるので、聞いてみたら川重のOBで、いろんな話が出来てオモシロかったです。67歳とか言われていましたが、戸田地区がさらに近くなったような気がします。

お聞きしたら、この土地を持っておられる横山さんのおばあちゃんの一族もみんな川重の方がいらっしゃるとか・・・世の中狭いものです。

昨日は、神戸新聞の後藤記者さんも取材に来られていましたので、明日の神戸新聞の朝刊には記事が掲載されるのかも知れません。

    

 

  

それよりは半日早く、Facebook にも動画をアップしましたのでこちらにも紹介しておきます。

 

 

 動画の中からの写真です。

 

    

 

    

 

    

 

 

 

 

 

 

★ この戸田地区の活性化にも直接関係があるのですが、こんな『秘密のグループ』がFacebook の中に立ち上がっています。

 

 

 三木の地域活性化をめざすカイ!』 を創りました。

5月17日に関西国際大学の松本茂樹先生の授業で、このテーマの発表と研修が学生さんとの協働で始まります。
『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』という基本コンセプトのNPO The Good Times のメンバーたちでネットをベースの展開です。

その特別プロジェクト燦々SunSun (地域活性化、世話人代表松本茂樹)の『三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!』(世話人代表 殿界寿子)を中心に具体的な展開をめざしています。
そんなこともあって、Facebook の中にそのグループを立ち上げました。授業を受けられる学生さんたちにも参加して頂いて、教室だけでなく、継続、積み重ねが出来ていく仕組みになればいいなと思っています。
非公開グループでスタートします。

 

 

そのサイトの説明文ですが、このグループの中に、『三木の戸田地区の整備プロジェクト』も入っているのです。

17日の第1回の授業には垂井健さんもスピーカーとして学生さんたちに、『オオムギのこな』と『戸田地区』の話をされると思います。

今後、どんな展開になるのか楽しみです。

そのスタートは、もう明後日、火曜日になりました。 

楽しみです。

 

 

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赤字経営  雑感

2016-05-14 06:17:04 | 私の生き方、考え方&意見

★ 三菱自動車が日産の傘下に入ったというニュースが流れている。

このままでは如何に三菱グループと言えども、予想される赤字経営が支えきれないという判断なのだろう。

 

   

 

東芝は7191億円の赤字を計上し、シャープも2559億円の赤字経営で債務超過で東証2部になってしまった。

 

   

 

我が家にあるテレビは、一時ナショナルばかりだったのだが、シャープが絶好調で工場増設を続けた時期にすべてシャープに替わっていって、今は3台のシャープのテレビがある。

テレビそのモノには何の問題もないのだが、シャープが台湾の企業になってしまって『残念』という気持ちはある。

 

 

★企業にとって『赤字』は大変である。

私自身は、カワサキの二輪事業を長く経験したが、特に前半の20年間は赤字の期間が多かったし、やってたことは『赤字対策』ばかりだったような気がする。

ただ、いま言われている東芝やシャープの赤字とは、その規模が全然違って、カワイイものだったがそれでも『赤字は罪悪』だということを身をもって経験した。

 

最初に『経営の赤字』を経験したのは、30代前半仙台事務所長として東北6県の代理店担当の時、各県の自前の代理店が次々に赤字に陥ってその結果、カワサキの傘下に入ってきた時期である。

その状況をつぶさに見てきたのだが、沢山あった代理店で赤字になっていったのは、メーカーの沢山売ろうという方針に協力して沢山売ろうとした『協力的な代理店』から順番に赤字になっていったのである

 

沢山売るために沢山仕入れるーー売れ残って在庫が出来るーー資金が足らなくなるーーその資金をメーカーが支援するーーその金利がまた負担になるーー赤字が経常的になりメーカーの傘下、直営になる

自分の能力を知っていて、メーカーの方針に従わなかった代理店は大丈夫だったのである。

 

一言で云えば『頑張り過ぎたらダメ』なのである。

その構図は、シャープがその通りだし、東芝なんかもよく見せようとした結果がこうなってしまったのである。

会社がおかしくなるのは『資金』=金の流れ やバランスシート を重視せずに、売上高や当期利益ばかりを見てしまうからだと思っている。

これは、最初に経験した東北の4年間で身に染みて感じたことである。メーカーに協力的な代理店からダメになっていったのだが、そこには従業員もいるし経営者もいる。カワサキの傘下に入ってよかったと思う人もいるのだが、全般的に云うとそれは不幸だったなと 私は今でも思っている。

 

そう言う経験から、その後の私が担当した分野では、赤字会社の再建ばかりを担当しているのである。

それは極端に言うと、『金を借りずに自分の力の範囲での経営に徹すること』だと思うのだが、それが実際にはなかなかムツカシイのである。それをムツカシクしているのは、経営のトップが『頑張れ』と言うのでついサラリーマン経営者は自分の力以上に頑張ってしまって失敗するのである。

 

シャープの失敗は、その典型かなと思う。 

業績がよかった時に蓄積に回さずに『更なる拡張』で工場増設などで『資金が寝てしまった』結果がこうなったのだと思う。

日本の会社は、みんなPL重視指向だから、バランスシートを読めない一流企業の重役さんが殆どなのである。

自己資本比率』が世界で一番低いのが日本の企業群ではなかろうか?

 

★私自身は、若い時に東北での辛い経験があったので、『資金』や『バランスシート』、『自己資本率』に焦点を合せての経営に徹していたのである。

1990年代、現役の一番最後に担当したKMJグループでは、『7万台、400億円の売上高』という目標も与えられて、それを実現する実績を残しているので、そればかりが表面には出ているのだが、

の時点で私が一番自慢できるのは

7万台、400億円を記録しシェアもトップになったりもしたが、そんなことよりも、その当時のバランスシートの総資産は100億円年に4回転、銀行からの借入金0円の無借金経営自己資本比率35% だったことである。 

今はそうはなっていないのは、その後の経営者たちがメーカーも含めて、自ら担当する期間の『期間損益重視』で短期損益を重視した結果からだと思っている。35億円もあった剰余金は、事業部の期間損益の形で消えていってしまったのである。

 

企業の経営者も、行政の首長などの動きを見ていても、日本のトップは、自分の担当期間の成績ばかりを気にしすぎて、前任者の『よかった実績は引き継がない』のである。

それはいくら良くても『自らの成果』にならないからだと思う。

むしろ継続すれば上手く行くのに、それをやろうとはせずに、『むしろ潰してしまう』傾向があったりする。

企業のトップ、行政のトップなのだから、もう少し大きな見地から、経営や行政をやれるトップの出現を期待したいものである。

 

 

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「しぇあぷろ」と 門野力也、 そして私

2016-05-13 14:45:23 | 私の生き方、考え方&意見

★ 門野力也。  いま、慶応大学3回生、アメリカの娘の長男である。

日本に留学中だが、3人のアメリカの孫のうち一番、ちゃんと日本語も書けるし喋れるし、勿論英語も喋れるし、聞ける。

ネットのことなど、何故か無茶苦茶詳しいのだが、どうも表に出るのが嫌いで、写真をネットに出すのも嫌がるので、

彼のことはあまり触れたことはない。

 

 

    

 

 

そんな彼が、今回学内で『しぇあぷろ』という 何かよく解らないが イベントらしきもの をやったようで、

不思議なことに 代表 門野力也 と書いてある。

 

彼のFacebook からである。https://www.facebook.com/rikiyasoccer62821?fref=ts

そこにもトモダチの発信ばかりで、自分では何も書いていない。

 

 

   

 

    

 

 

イベント初企画のリッキーが 1から企画書書いて、発表者を集め、当日は立ち見が出るほど大盛況に!』

とのトモダチの記述があったりした。

 

企画はするけど表にはあまり出ないのは、考えてみると若い頃の私に似ているのかも知れない。

この写真でも、一番後ろにマスクをして立っているのが孫である。

一生懸命やったからか、それで風邪をひいたとかで、今寝込んでいると連絡があったりした。

 

  

 

  こんな20名ほどの、グループのようだが、大きなマスクをして顔が解らないのが彼である。

 

 

 

★ 企画が出来るというのは『いいことだ』と思う。

  表にあまり出ないのも『いいこと』かも知れない。

 

昨今は、いろんなネットの世界などで、毎日自分の意見を言っている私なのだが、

70歳になるまでは、社会に向かって『自分の意見』など言ったことは一度もないのである。所謂『投書』などもした経験はない。

 

自分の意見を外に向かって初めて言ったのは、

廣野ゴルフ倶楽部の理事長あてに、『廣野ゴルフ倶楽部の公道と面している部分が未整備で汚い』という事実を、

『公道と面している部分は社会との接点です。廣野のゴルフ場の中が綺麗なのはよく承知していますが、社会的責任のある人たちがメンバーに多い廣野ゴルフ倶楽部なのだからは社会の道と接しているその部分もそれなりに整備すべきです』

と「親展」でペン書きで送ったのが初めてなのである。

 

非常に丁寧なご返事を頂いて、即刻対応して頂いたのである

これも毎朝廣野のヨコの道を通って明石の会社に通勤していたので、毎朝思っていたことなのだが、言いだすことが出来ずに、70才になったから、一つぐらい文句を言ってもいいか とお手紙を差し上げたのである。

 

具体的な対応がすぐあったのは嬉しかったし、それがある意味自分の意見を世に言うきっかけになったのである。

さらに2006年、74歳の時にパソコンを覚え2006年9月にブログ『雑感日記』をスタートしてからは、殆ど毎日自分の感じたことを発信するようになったのである。

 

★孫は、ネットの世界は本当に詳しいのだが、ブログも一切やらないし、Facebook もやってるが殆ど発信はしない。

力也がイベントを企画した』のは本当に意外だったのだが、 何となくその気持ちは解る気がする。

黙っていても、周囲から頼まれたら、ちゃんとできればいい』というスタンスなのだろう。

 

これは、私の現役時代のスタンスと同じで、私はいろんなことをやっているのだが、それはみんな周囲や上から『頼まれた』ことをやってきただけのことで、『自分から動いた』ことは1回もないのである。

自分で立ち上げて、自分で動き出したのは7年前、NPO The Good Times を立ち上げてからの75歳を越えてからのことが初めてなのかも知れない。

そういう意味では、も、ある意味息子も、『似てるところ』があって、殆どネットの世界などには現れないのである

私も若し現役なら、今のような情報発信の仕方はしないのかも知れない。

 

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75歳以上の高齢者の車の運転

2016-05-13 06:32:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

 ★ 後期高齢者のゆったりとした生活なのだが、いま住んでいる三木の環境では、『車の運転』がないとなかなか生活がムツカシイだろうと思っている。

でも、果たして何歳ぐらいまで運転は可能なのだろうか?

車を運転する、環境としては混雑もないし、道も広くて綺麗だし、都会の運転と比べたら、至極いい環境にある。

 

運転をする本人のほうは、至って健康だし、目も大丈夫だし、まだまだ大丈夫だと思ってはいるのだが、認知症はともかく『老化現象は』は間違いなくやってくるのである。

運転免許書き換え時に、高齢者講習が義務付けられていて、実技運転に加えて、いろんなテストをやらされるのだが、大体運転技術に関することは大丈夫なのだが、『記憶テスト』をやられると間違いなく『老化現象』は起こっている。

具体的に云うと、一つ一つのことは明確に判断できるので、『認知症』ではないのだが、一つのことに注目すると、ほかのことがおろそかになるのである。 信号が『青』だという判断は間違いなく解るのだが、横にある『右折禁止』の看板を見落としてしまいやすいなどということになっている。 これはテストの結果がそう出るので、最近は交差点などでは非常に注意をしているのだがこんな『老化現象』が進むのは仕方がないのかも知れない。

 

そんなことを思っていたら、今回は新しく75歳以上の人に、次のような違反があった場合は、『認知症』の検査をして、結果がダメなら『運転免許取り消し』となるらしい。

昨日、こんなニュースが流れた。

     警察庁は12日、認知症により引き起こされやすいとされる信号無視や逆走など18項目の「違反行為」を定め、該当する行為をした場合は認知機能検査を受けることになる。・・・・・違反行為をした75歳以上の高齢者に教習所などで実施する認知機能検査を受けさせる制度が新設されたが、・・・改正道交法ではこの制度の対象となる違反行為を具体的に定めていないため、警察庁は・・・・・・18項目の違反行為を選んだ。いずれも認知症が原因となることが多いとみられる行為で、速度違反駐車違反は認知機能の低下との関連が薄いとの理由から含まれていない

 また、現行制度では75歳以上の全員が免許更新時に2時間半の高齢者講習を受けているが、講習前の認知機能検査で認知症の疑いがないと判定された人の講習時間は2時間に短縮することにした。認知症の疑いがある人の講習は3時間に延ばす

ということである。『認知症』は大丈夫だと思うので、事前講習時間が2時間になることは結構なことである。

 

ところで、その『18項目の違反』とは、こんな項目である

 

 

                   

 

 そんなことは絶対にしないと自信のある項目が殆どだが、『これはやるかも』という項目もあるので注意しなければならない。
 
最近はずっと違反もなくて、捕まらないだけではなくて結構交通規則を守って運転している積りではある。
 
これは高齢者講習でのテストの結果が効いている。
そういう意味では、『高齢者講習』が自分のためにも必要だなと感じているのである。
 
 
 
 
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メタボと腹囲と『利権社会』 

2016-05-12 06:23:25 | 私の生き方、考え方&意見

 

★ 昨日の各紙に腹回りとメタボの関係を見直すというニュースが流れた。

 これは久々に『わが意を得た』というニュースである。

 大体私自身は、現役の会社勤めのころから世の中の特に『業界の常識』は都合のいいウソばかりだと思っていて、『業界の常識』には常に反抗しながら生きてきた

この業界では・・・』というのは大体がその業界の都合のいいような解釈になっていて、業界以外の人が『世の中の普通の常識』で考えたらおかしなことばかりなのである。

 

★お医者さんの業界でも、『メタボ』の判定を『腹回り』で判断する傾向が常識化していて、『痩せろ、痩せろ』の一点張りなので、私は結構徹底してそれに反抗してきたのである。『人間死ぬときは大概やせ細って死にますよね』とずっと逆らっていたのである。

肥満の象徴として『腹回り』で診断し、ちょっと多いと『痩せろ』と仰る。3ヶ月に1回、血液検査をして、その値は何ら問題ないのに、一途に『体重を落とせ』の一点張りなのである。

私の腹回りは間違いなく85㎝以上、体重は80キロを超えたりするので、これは70キロ台にはしたいと思っているが、60キロ台などは決して狙ったりはしない。

昨日の新聞は一斉に、この『腹囲』の問題に触れている。

 

   

 

 書かれていることは当然で、これが『世の中の常識』だと思うのである。

 お医者さんでも、行政の職員さんでも昨今は、自分の身を守ることに熱心で、その業界での発想通りに動いている方が無難なのである。

この記事に書かれていることは至極当然で、高血圧や高血糖値をその値などより『腹回り』で判断されるのは明らかに間違いだと思っている。

 

 それにしても、どうしてこんな間違った判断が長年まかり通っていて今回突如変更することになったのだろうか?

 いろいろ探してたら、こんなご意見に出会った。  http://meirusenju.jp/kunika/142/

抜粋してご紹介する。

 

  

腹囲(メタボ検診)に根拠なし

2013年08月20日

偉い役人たちが利権を確保するために如何にいい加減なことをしているのかの代表的事項は、メタボ検診です。メタボ検診とは、ご存じの通り、2008年(平成20年)4月1日から義務化され、腹囲(男性 85cm以上、女性 90cm以上)、血糖値(空腹時血糖値100mg/dl以上またはHbA1c 5.2% 以上)、高脂血症(中性脂肪150mg/dl以上またはHDLコレステロール 40mg/dl未満)、血圧(収縮期血圧130mmHg以上または拡張期血圧85mmHg以上)を測定するものです。メタボ検診を始めるに当たっては、その意義を心血管死亡率の低下などをうたっていました。しかしながら、その根拠は非常に乏しいのです。

・・・・腹囲の基準は疑問符が沢山つくのです。しかも、腹囲がメタボ健診の必須項目になっているのは、世界中でも日本だけなのをご存知ですか?・・・・

読売新聞は、平成22年2月9日の夕刊に「メタボ腹囲根拠なし」という見出しの記事を掲載しました

これに対して、厚生労働省は平成22年2月16日にこの報道を批判した通知を出したのです。しかしながら、これまでの研究で、2月9日の読売新聞夕刊の「メタボ腹囲根拠なし」という見出しは的確なことはあきらかです。腹囲測定は無駄であり、メタボ健診も無駄ということになるのです。読売新聞への官僚の報道批判は、逆に官僚の墓穴を掘る結果となっていました。

 では、何故にメタボ検診が制度化されたのでしょうか?

それはメタボ検診が病院や製薬会社にとって最もおいしい分野だからです。つまり、①高血圧、高血糖、それに高脂質血症は患者が多いのです。商売をされている方はみなさんが希望するように、沢山のお客さんが欲しいのです。その点では、この項目は千万人単位のお客を抱えている分野なのです。②次に、この疾患は直ぐには完治しません。治療には長期間かかるので、その間はずっとお得意様でいてもらえるのです。特に、高血圧で投薬が始まると、一生薬はやめられませんと言われる患者さんが沢山います。本当は、食事や運動などの生活指導で降圧剤を止められることも多いのですが、そんなことをしてはお得意様を無くすことになるので、殆どの医療機関では生活指導をすることは無いのです。③加えて、これらの患者は緊急性や重症化していないことが殆どなので、命にかかわることがありません。従って、専門でない医師が多少マトを外れた治療をしても死ぬことはないし、訴えられる危険性もありません。この様に、メタボ検診は医療関係者にとって最もおいしいのです

 

★このサイトもっと早く見つけていればよかった。

日本はこのような『利権社会』なのである。  これが一番の問題だと思った。

 

 

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人生83年、今まで住んでたところ

2016-05-11 06:40:46 | 自分史

★ 『住めば都』と言うけれど、人は一生のうち、住む場所を幾つぐらい変わるのだろう。

83年生きてきて数えてみたら12ヶ所に住んだことになっている。

 

昨晩ふとんの中で、ふと思って数えてみたら12ヶ所だった。

忘れぬうちにその12ヶ所の記録とその感想をブログに残しておこうと、朝からチェックしたりしている。

12ヶ所は多いのかも知れぬが、人生の半分40代前半までに、10回も住所が変わったのは多分多いに違いない。そのあと40数年をこの三木緑が丘で過ごしている。

 

 

●1. 生まれたのは、兵庫県明石市上ノ丸2丁目720番地

今はそんな番地はない。 幾つもの住宅に分割されてそれぞれの番地になっている。

 

 この写真には私の知らない祖父も写っているし、戦時中の爆撃で亡くなった叔母も写っている祖父一家

伯父も父も早稲田の学生のころだから大正の終わり頃のことかも知れない。

ここで生まれたのだが、物心つかぬうちに朝鮮太田市に移っている。

 

 

●2. 朝鮮太田市

ここに祖父がつくった太田電力があってそこの社宅に6歳ぐらいまでいたと思う。

私の人生川の中から始まった?』というブログを書いたりしている。

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/0eb1fe9ca92e259185492739fdc97367

 

 

3. 朝鮮京城  桜ケ丘

 朝鮮の電力会社が国の方針で統合されて『南鮮合同電力』という会社になるのだが、その本社のある京城に移ったのだと思う。

城東区新堂町桜ケ丘というまちに新しく家を建てて住むことになった。

桜ケ丘の家に移ってすぐ小学校に入学し、終戦の昭和20年、12歳のころまでここで過ごした

当時の写真などは、みんな持って帰れずに1枚も残っていない。

 

 

これが少々変わってしまっているがその家である

 

ソウルオリンピック』の時に『オリンピック委員会』からハンガン(漢江)でジェットスキーのデモンストレーションを頼まれてカワサキのチームの責任者でソウルに行ったときに見つけてきたのである。

その時、JJSBAの会長をされていた苧野豊秋さんとご一緒している写真である。

 

             

 

 家を探すのにタクシーに乗って、最初は小学校を見つけて、そこから辿っていったのだが、その通っていた桜ケ丘国民学校である。

     

 

 

● .伊川谷の疎開の借家

終戦の年、昭和20年12月8日に引き揚げてきた

明石のまちも、上ノ丸の伯父の家も空襲で焼失していて、今は神戸市になっている昔の伊川谷』の疎開して借りていた家に伯父一家とそれから1年半ほど住んでいた。

そこから半年ほどは灘の神戸一中まで毎日通っていた。明石駅までも灘から学校までも勿論徒歩だった。今思うとよく通えたものである。

 

 

 5.上ノ丸

上ノ丸に伯父が家を建てて、そこに1年ほど一緒に住んだ。

戦後にしては京都の宮大工が来て、ホントに一人で建てた家だったが、使ってた材料や間取りも立派だった。

多分後に増築するつもりだったのだろう。 玄関がなかったりしたし、風呂は昔の儘を使ったので風呂場が8畳ほどあったりしたおかしな家だった。 松の1枚板の1間の廊下が伯父の自慢だったりした。

結局、増築など出来ないまま伯父はなくなってしまった。私の大学3回生のころである。

 

 

6.上ノ丸の敷地内

そのあとすぐ、上ノ丸の敷地内に父が家を建てて住むことになった

小さな一軒家だったが、その家で、中学、高校、大学時代そして勤めたのちも、結婚するまでそこで暮らしたのである

父は私の高校3年生の1月に亡くなってしまったので、治療費も要らなくなるからと、大学受験に踏み切ったのである。父は私のために1月2日に死んでしまったのかも知れない。もう少し生きていたら私はそのまま就職する筈だったのである。

 

 

7. 上ノ丸の新築のアパート 

結婚して、すぐ近くの 上ノ丸の新築のアパート を借りて住んだ

所謂、戦後のアパートだが、その家主さんはかっての伯父の土地の小作さんで、農地解放で得た土地にアパートを建てたりしていたのである。 そんなアパートで2年ほどの新婚生活だった。その間に、長男、長女続いて生まれた。

 

 

● 8.会社の社宅

安月給で生活が苦しくて、申し込んでいた会社の社宅が借りられることになって、当時の川崎航空機のすぐ東側にあった鉄筋3階建ての社宅に移った。

ちょうどカワサキが二輪事業を始めて、私は広告宣伝やレースを担当していた時期である。

この歳までは住む家が、歳とともにだんだん小さくなる、そんな状況だったのだが・・・

 

 

9.仙台旭町

昭和42年(1967年)に、突如 仙台事務所を創れ という指示で、初めての仙台転勤となったのである。

仙台事務所など名前はあったが、事務所も、従業員も全く何もない まさに単身赴任で、仙台ということで家賃は安かったので、一軒家の新築を借りたのである。3部屋と台所があったりして、突如、庭付きの、自分で運転だが社用車付きの生活になったのである。

今は町名も変わってしまったが、当時の町名は旭町、仙台球場のすぐ近くである

ここで4年間過ごした。 

 

 

 

10.高槻の芥川

昭和45年(1970)大阪万博の年、ようやく実用車のカワサキから中大型車スポーツのカワサキに変わるころで、その年末に大阪の所長として2度目の異動、住所を高槻の芥川のすぐ横に移ったのである。

ここで昭和48年1月(1973)今の三木市緑が丘に転入するまでの3年間過ごしたことになる。長男は小学生、長女は幼稚園の頃である。

 

 

11.三木緑が丘

そして 三木緑が丘の住人になるのだが、ここに住むようになる経緯がまた普通ではないのである

仙台時代、明石に出張で戻ったときに、かって印刷屋で、広告宣伝時代に付き合ってた田中さんという人がダイワハウスの営業になっていて、『三木緑が丘に新しく土地を造成するので買ってくれ』と突如仰るのである。

そんな金などないと言ったら当時の総務部長の西さんが会社で貸してやるというので、出張中に観に行ったが、まだ造成中でよく解らなかったが騙したりはしないだろう』と土地だけは買うことに決めたのである。

そんな事情もあって、会社側も東京、名古屋、大阪を管轄する直営部を創ってくれて、明石勤務とし家を建てることが出来る様に計らって頂いたようなところがあったのである。

 

12. 札幌

それから約40数年、三木緑が丘にいるのだが、会社での最後の2年間を北海道札幌の関係会社の北海道川重建機の社長を頼まれて、2年間だけ札幌で単身赴任をしたのだが、この時は流石札幌で、めちゃくちゃ立派な食事つきの支店長や社長さんばかりが単身赴任しているホテルのような立派な設備の単身寮に住まわせて頂いたのである。

北海道の各地に10以上もの支店があってそこを回るだけでも、北海道旅行をしているような環境で、お蔭様で北海道は殆ど知っていると言っていい。

 

 

★振り返ってみると、いい経験もさせて貰ったし、いろんなところに住むことが出来てよかったと思っている。

そして一番気に入っているのは、いま住んでいる 三木市緑が丘の家である。

 

  

 

  

 

  

 

 三木と言う環境もいいし、庭の広さも一人で庭いじりをするにはちょうどいい。

40年住むと、40年付き合ってくれている庭木もあるが、半分ぐらいは枯らしてしまって、そのあとを勝手にバラや苗木を買ってきて育てているのである。

5月は、一番忙しいが一番ハリのある季節なのである。

もう緑が丘から動くことはないと思っているのだが13番目が出てくるのかどうか?

神のみぞ知るなのである。

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西 鋭夫さん 新説・明治維新

2016-05-10 06:10:36 | 発想$感想

 ★最近は本当に物忘れがひどくて、この西鋭夫さんの『新説・明治維新という冊子とCDが送られてきたのだが、これを確かに頼んだことは覚えているのだが、このサイトをどこでどのように見つけたのかはさっぱり覚えていないのである。

 

それはともかく、西鋭夫さんとはこんな方である

1941年大阪に生まれる。関西学院大学文学部卒業後、1968年にワシントン大学大学院にて修士号を取得。1968年から1971年まで、ジェイ・ウォルター・トンプソン・ジャパンに勤務。その後、1976年にワシントン大学大学院にて博士号を取得。1977年、米国第33代大統領・トルーマン大統領図書館よりトルーマン学術奨学金受賞、1977年から1985年までスタンフォード大学フーヴァー研究所博士研究員。それより2016年現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所リサーチフェロー。その間、NHKラジオNHKジャーナル」シアトル通信員、麗澤大学国際経済学部教授、日本大学大学院総合科学研究科教授、日本大学国際関係学部教授等を歴任。現在、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授の他、モラロジー研究所特任教授、滋慶学園教育顧問等を務める。2016年3月、スタンフォード大学フーヴァー研究所初となる日本人による冠講座「日本近現代歴史基金」の初代フェローに就任。

 

 

 

★昨日の午後はこの冊子を読んで、そのCDを聞いたりもした。

 

  

 

こんな冊子である。 500円ほどの送料を負担したら、冊子代は無料で送られてくる。

そのイントロダクションのところだけをご紹介しておく。

 

  

  

 

 本を読んだ感想は、詳しくは書かないが、久々にオモシロいと思ったことだけは確かである。

アメリカで長く生活されているので、発想はアメリカ的なところはあるのだが、まさしく『日本人』だと思った

 

 

そんなにおかしな方ではないはずなのだが、『西鋭夫』で検索してみると、いろいろ現れるのだが、

西鋭夫スタンフォード大学教授は信用できるのか?』

 http://blog.livedoor.jp/bbsfukugyoukantan/archives/32649861.html  

という項目まで現れるのである。

 

CDも2枚セットで送られてきたのだが、何故か私のやり方では聞かれないのである。

そのうちの1枚は多分、これだろうと思う。

 

申し込んだのは、間違いなくこのサイトからである。

興味、関心のおありの方は是非、一度申し込まれてご覧になればいい。

http://www.prideandhistory.jp/sp/nikoumj/adw.php?gclid=CJL4z96QzMwCFQ8AvAodVOsKnw

 

 

★ 世の中には、いろんな方が居るものである

 それが正直な感想かも知れない。

 

 

 

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関西国際大学野球部を応援する会

2016-05-09 06:54:40 | 発想$感想

★昨年秋に 関西国際大学野球部を応援する会 に、ひょんなことから入ることになった。

昨年秋の『水曜マルシェ』に

 

関西国際大学の野球部の選手たちが、次から次にやってきた。

野球部の自称応援団長の堀本さんが、そば屋を出店したので、大挙して訪れたのである。最後は女子マネたちもやってきてひょっとしたら100人に近かったのかものかも解らない。

 

その時、部員のために懸命にそばを焼いてた堀本さんである。

 

 

 

兎に角、若さに溢れて賑やかでした。野球部とあれば、私も幾らか関係あるし、聞いてみると稲田三郎さんが会長されてるというので、その場で3000円の会費を払って、応援団に入れて頂いた

関西国際大学は、松本茂樹先生燦々SunSun の世話人代表をお願いしているし、私も教室で教壇でちょっとだけだが講義をした時の『西村昂太』くん https://www.facebook.com/kouta.nishimura.12?fref=pb&hc_location=friends_tab&pnref=friends.all もやってきて、私を覚えていてくれたり↓したのである。

 

 

★野球部の行事に参加したのは、今回が初めてである。

今シーズンは現在のところトップを走っていて神宮出場の可能性大ということもあって昨日は、応援バスで万博球場まで応援に出かけたのである。

結果は残念ながら1-0で負けてしまって念願の優勝は今日に延びてしまったが、その半日の動画である。

久しぶりに若い人たちに元気を貰ってきた。

 

 

今日の登録メンバーである。

ピッチャーは殆ど全員が登板して、みんな好投したのだが、1回裏の1点が決勝点になってしまった。

 

 

 

 

 

 

★ところで、関西国際大学野球部にはずっと以前から関心は持っていた。

 

  

大学はわが町緑が丘にあるのだが、その練習場は私の家のすぐ近くに二つのグランドと室内練習場などを持ち、合宿所もその中にある。

たまに練習を観に行くのだが、選手たちは非常に礼儀正しいのである。

 

    

 野球部方針が確りしているし、私たちの頃と違って、野球だけではなくて本当によく勉強するのである

これは多分間違いなく監督の鈴木さんの方針なのだろう。

その鈴木英之監督が素晴らしいのだと思っている。

ご覧のとおりPLの桑田、清原の1年上で大学でもご活躍だが神戸製鋼でも選手でも監督でも実績を残されているのである。

私は、未だ直接お話はしたことはないのだが、神戸製鋼野球部には明石の同期の溝畑、藤原がいたこともあって、何となく親しみを感じていたのである。

 

            

 

   一度機会があれば、是非お話をしてみたい監督さんである。

 

 

   

 

 

 入会した理由の一つが、稲田三郎さんが会長をされているのである。

稲田さんにはいろいろお世話になっていて、私の80歳の誕生日には80本のバラをわざわざ家まで届けて頂いたりして、これは私は一生忘れない誕生日になっているのである。

NPO The Good Times の個人会員にもなって頂いていて、三郎に合わせてNO.0360 番を差し上げているのである。

 

幹事と会計をおやりの松浦さんは、『松浦家具』の松浦さんである。

かってはいろいろと我が家の家具もお世話になったりした。

昨日、たまたま隣の席にお座りになったのは、三木の老舗、岡田金属工業の岡田保さんだった。昨年だったか三木ロータリーでスピーカーをさせて頂いた時、以来である。お聞きしたら稲田さんの前の会長さんだとか・・・

勿論、堀本さんにもお会いできたし、なかなかいい半日だったのである。

 

 

★野球部はともかく、関西国際大学とはいろんなことで関係もあって、今年は緑が丘や三木のまちの活性化を、関西国際大学の松本茂樹先生の学生さんと協働で、その授業のなかで推進しようという画期的な企画を持っている。

今月の17日に第1回の授業が決まっていて、私、垂井健、殿界寿子、向山信吾さんで勧めることになっているのである。

具体的には、殿界さんが代表世話人を務める『三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!』と垂井健さんが主宰して推進中の健康食品『オオムギのこな』プロジェクトの『栽培・粉製造・商品化・販売』までのすべてを三木で取り組む、二つを中心に進めることになっている。

 

関西国際大学とはいろんなことで繋がりそうである。

今後も、若い人たちから『元気を頂きたい』と思っている。

  

 

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なぜ今まで放置したのだろう??

2016-05-08 05:49:00 | 発想$感想

★先日来、何度かこのニュースはテレビで観た。

どう考えても『ひど過ぎる』と思うのが、普通の人の判断だと思う。

昨日はとうとう逮捕されたというこんなニュースなのである。

 

    

 

 記事を読む限りにおいては、県も許可を出してはいるのだが、その進行状態がどうなっているのかは、チェックしないのだろうか?

1ヶ月や2ヶ月でこんなことになってしまうことはないので、なぜここまでになってしまうまで放置したのだろうか?と言うのが率直な疑問である。

ここまでやってしまう土砂採取業者が悪いのは当然だが、ここまで何もせずに放置したお役所の責任はどうなるのだろう。

 

 

 

 

   

 

  この写真ではもう一つよく解らないが、この下の写真で見る限り無茶苦茶である。

 

 

   

 

 茶畑を持っている人は、怖くて一番端にはとても行けないと思うようなところまで掘削している。

 

 間違いなく『有罪』だとは思うが、どれくらいの刑罰になるのだろうか?

 大体、日本は決めてもルールを守らない。

アメリかのようにルール違反は厳罰にすればいいと思うのだが、多分この刑罰もそんなに大したことなないのではなかろうか?

 

それくらいのことなら、やってしまったほうが得』というようなところがあるような気がしてならない。

日本人は、元来道徳心などがちゃんとあって、他人に迷惑が掛かるようなことはしないので違反に対する刑罰も緩くなっているのではないだろうか。

ところが昨今は、三菱自動車でも、東芝なども上場企業の経営者までがルールを無視したごまかしをやろうという風土になってしまっている。

東芝の3人には32億円という賠償額だと言うが、それくらい厳しくてもいいのではないかと思ったりする。

 

日本人の殆どは、こんな人たちではないのだが、困ったものである。

 

  

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トランプさん 今後どうなるのだろう?

2016-05-07 05:16:52 | 発想$感想

 

★ アメリカ大統領選、共和党の候補トランプさんに決まった。

早速、日本や韓国など 米軍の駐留費を全額負担をと毎日新聞は報じている。

  

 朝日新聞は、 トランプ氏、在日米軍費「全額負担を」 撤退も示唆  と報じている。

 

戦後、直後なら兎も角、70年経った今も『米軍が駐留』していることが当然のことのように思われているのだが、よく考えてみるとそれは『不自然』なのかも知れない。

左翼の人たちは辺野古移転も反対なのだから、『撤退』になれば米軍基地は無くなるのだから、大いに賛成すべきである

とあの橋下徹さんが言っている。

 

  

 

 

★日本を守るために米軍が日本に駐在していることは『日米同盟』があるのだから、当然のこととしての従来の議論になっているのである。

トランプさんは、『私が大統領になったら、それをもう一度考えなおそう』と言っているのである。

考えて見ると、至極当然で『日本や韓国を守るのは、アメリカのためにやっているのではない』という発想なのである。

日本や韓国が、中国やロシヤの脅威から自国で守るならそれでいいし、守って欲しいというならその費用は全額負担すべき』と言われたら、それはそれで一つの考え方である。

 

 

トランプさんは、橋下徹さんによく似ている

その発想、発言は独特だが、論理的には間違ってはいない。

いま、大統領候補の時点では、このように云っているが、若し大統領になったなら、その時点でまた現実的な対応を取るのだろうが、日本も戦後70年、『自分の国は自分で守らねばならない』これは至極当たり前のことなのに『安保法案』でも『反対、反対』と言っている人たちは、みんな『米軍の駐留』がその前提になっているのではなかろうか?

日本国憲法 が出来た時期は、実質アメリカの統治下だったのである。

あれから70年、独立国日本は、若し仮にアメリカの駐留がなくても、『憲法9条』さえあれば、日本は守れるとでも、思っているのだろうか?

 

 ★私が、トランプさんについて書くのは3回目である。

最初は2月27日、 どうなるのだろう? などと書いている。

2回目は3月7日 には、  こんなことを書いている。

 

政治の世界など、『独りの卓越したリーダー』で変わるのではないかと思ったりしている。

橋下徹さんで大阪は変わったし、安倍さんで日本は変わろうとしている。『トランプ』なら『変わる』と思っているのだろう。

いずれにしても、日本からはどうすることも出来ない。

アメリカ国民が最後は『賢い判断』をするのだろうが、今のトランプの政策も、『新しい政治』という意味では、『そんなに悪くはないのでは』と思えたりしているのである。

 

3月初旬から、私は結構『好意的な観方』をしているのだが、最近になって評論家の間でも「対米追従からの脱却」としてのトランプ待望論が出てきているらしいのだが、いずれにしても、日本人がどうすることも出来ない。

アメリカ国民が選択することなのだが、独立国日本が世界の中で真の独立国として今後を生き抜くためには、『トランプ大統領』になれば、日本もそれに応じた『新しい発想』の検討を余儀なくされるに違いない。

それもまたいいのかも知れないと思ったりしている。

 

 

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5月の庭は毎日変わる

2016-05-05 15:38:20 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★5月、新緑の季節、成長の季節だろう。

毎朝庭を見ると、毎朝、新しい発見がある。

 

 

   

 

 みかんの花が咲いた。

一般にはそんなに、珍しいことではないと思うのだが、我が家のみかんはまだ実を付けたことがない。

植えてからもう5年近くになる、買ってきたときは鉢植えで、ミカンが幾つか付いていたのだが、それ以来一度も実がならない。

花が綺麗に咲くのも初めてである。

花が咲いたら実がなるのだと思う。

今年はみかんが我が家にも成るかも知れない。

 

 

 

  

 

 こちらは『さくらんぼ』。 昨年の秋、苗を買ってきた。

今年の春、桜より一足早く花が咲いた。

『さくらんぼ』はなるかな? 

と半信半疑だったのだが、いま見事に実を付けている。

この調子なら、大きくなればいっぱい『さくらんぼ』食べれるかも知れない。

 

   

   

     

 

バラはもう少しだが、それでも1輪、2輪花を見せ始めた。

 来週には、咲きそろうだろう。

     

 

 

 

昨日は 端午の節句、5月5日だった。

そんな昔流の呼び方のほうが好きである。 菖蒲の節句とも言ったりする。

 

 

 

 我が家の小さな池の菖蒲も花を咲かせた。

この頃は、検索をすると何でも出てくる。

菖蒲の節句』とも確か言ったなと思って、検索してみると、こんな説明があった。

尚武』とは初めて知った。

 

端午が男の子の節句になった訳は?

中国から伝わり、奈良時代、平安時代と行われていた、薬草を摘んで邪気を払うといった宮廷での端午の行事も、時が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、だんだんと廃れてきました。
しかし、武士のあいだでは尚武(しょうぶ=武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。

やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まっていきます。
はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。
さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人のあいだでは鯉のぼりが飾られるようになりました。
現在でも、端午の節句のお飾りは地方によってさまざまです。鎧や兜、武者人形、馬や虎・若武者の人形、鯉のぼりや旗のデザインもそれぞれの個性があるものです。
 
 
いろんな発見があるものである。
 
 
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