雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ツイッターのモーメントと言う機能

2016-10-16 06:00:36 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★私のツイッターに2,3日前から突然『モーメント』と言う機能が付きました。

モーメント』ご存じですか?

 https://twitter.com/i/moments/edit/782377253921370112

一度是非クリックしてみて下さい。

 

私はいま、何にもよく解っていません。

2016年10月から新たに付いたという機能だそうです。

 

  

 一番右に「モーメント」という表示があります。

 

 

 Google で検索するとこんな解説のようなサイトが現れて、

 

  

 

こんなことのようですが、このようにどんどん細部に展開するので、ひとつづつ読んでいけばいいのでしょうが、多分最後まで読み切れないでしょう。 

 

 

 

 今

現在、私の『モーメント』には、こんな写真が貼られていますが、

 

  

この写真は、孫の門野力也が撮ったものであることは間違いないのですが、なぜ今私のモーメントの中に使われているのかも解らないのです。

門野力也はパソコンやネット関係はめちゃめちゃ詳しいのですが、殆ど自分ではネット上に発信しないのですが、この写真だけどこかに発信したに違いありません。この夏一緒に行った栗林公園で、非常に気に入って栗林公園のパンフレットに使われている同じ光景を撮るという目的を持って撮った写真です。

この写真がなぜネット上にあるのかさえ私はいまよく解らなくなってしまっています。訳の分からないブログになっていますが、私の心境がいまそんな状況なのです。

そのうちに、何とかなると思っているのですが、ネットの場合はいつもこんなことが起こります。

Facebook にそのまま転記しますので、教えて頂ける方が居れば幸いです。

 

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カワサキ二輪事業と私 その-17 カワサキワールド リニューアルオープン

2016-10-15 08:49:50 | 自分史

 ★昨日、10月14日はカワサキワールドのリニューアルオープンだった。

現場を見て、こう言うと言い過ぎであることは百も承知で申し上げるならば、『私のために』リニューアルされたのではないかと思いたくなるほど、私のカワサキに関する想い出がいっぱい詰まっているのである

カワサキワールド自体は私が退職して以降にスタートしていて、私がカワサキワールドと密接に関係を持つようになったのは10年ほど前のことだが、未だその頃は田崎雅元さんが川重の会長をしていた時代なのである。田崎さんは年次で言えば、私より一つ下で昭和33年の川崎航空機入社なのだが、35年にカワサキが二輪事業をスタートした直後から当時のレース関係の仲間でありその後もずっと私の現役時代いろんな意味で一番長く同じ道を一緒に歩いた仲間なのである。

その田崎さんが川重で残した仕事は勿論いろいろあるのだろうが、彼にしか出来なかった彼だからできたものを一つ挙げよと言われたら、私は躊躇なく『カワサキワールド』と言って憚らないのである。残念ながら現在彼は体調を崩してこのリニューアルにも顔を出せないのだが、一番喜んでいるのは田崎さんなのかなと思ったりしているのである。

 

★かって私のブログの中で取り上げた、田崎さんご自身の10年前の想いを、ここにご紹介しておきたい。

今からちょうど10年前の話なのである。

 

 『昔から、何か自分の「想い」を達成しようとするときにはその「想い」を熱く持ち続けながら、「天のとき」「地の利」「人の和」という三要素を味方にすることが肝要であると言われている。

さて、2006年5月に神戸海洋博物館の中に開設したカワサキワールドが開館一周年を迎え年間入館者数は24万人を越えた。
1.子供たちを含めた一般市民には、「科学技術」や「ものづくり」に対する興味を高め理解を深める機会を提供する
2.OBを含めた関係者とその家族の人たちには、「カワサキ」に対する愛情と誇りを持ち続けて頂く
3.この施設を中心にした人々の活発な交流を通じて地域社会の発展に貢献する
4.企業イメージ企業価値の向上を図る

こうした当初の目標が達成され、大げさに言えば、「カワサキの品格」が見事に演出されていることに大きな誇りと喜びを感じている。
特に40名を越すOBがボランテイアでこの施設の管理運営に参画し、これが生涯情熱を持ち続ける「ものづくり人間」の感動的な姿としてマスコミにも取り上げられ話題を呼んでいる。

さて、この「カワサキワールド」の誕生はまさに「天の時」「地の利」「人の和」の物語である。
2005年1月、まだ正月気分も残るある晩、日頃親しくしている日経神戸支社長とカラオケで飲みながら歓談していた。四方山話のなかで、「来年2月の神戸空港の開港に絡めて、何かアイデイアはないか」「開会式典にブルーインパルスっを招くか」「ジェットスキー大会を開催するか」「神戸市はジリ貧状態の神戸海洋博物館の活性化に苦慮しているようだが」etc.
と話がはずむ中にふと心が動いた。
いつの日にか一般公開展示の恒久的な施設を持ちたいと、永年明石工場に保存してある歴代のモーターサイクルが天の時を迎えたのではないか。
早速汎用機カンパニーに検討を指示した。返ってきた答えは単独での取り組みは難しいというものであった。
とにかく、自分の目で見ておきたいと施設を視察した。
当社が建設した建物でもあり企業博物館構想を本社プロジェクトにして各カンパニーに呼びかければ何とかなりそうだとは思ったが、まさか0系新幹線の先頭車両、kv107ヘリコプターの実物搬入までに発展するとは想像もしなかった。
プロジェクトチームは全国の20以上の博物館を視察し構想を熟成させた。その中で関係者全員の思いが一つになり各カンパニーの健全な競争心も生まれ短い期間で一気に花開いた楽しいプロジェクトとなった。

然し、if物語にすれば何が欠けても上手く行かなかったであろう、まさに「天の時」「地の利」「人の和」の波に乗り関係者全員に大きな達成感をもたらす意義のあるプロジェクトになったことを心から喜び感謝している。
考えてみれば当社には110年を超える永い歴史と陸海空にまたがる製品群があり、本社を置く神戸にこういった企業博物館を持つことは極めて自然な流れであった。地道で粘り強い継続的な情報発信活動によって企業イメージを高め、それが企業文化として根付くことの重要性を痛感している。
カワサキワールド見学は今では全国の修学旅行プログラムにも組み入れ始められたようである。
OBのみなさんにも、是非お孫さんを連れて、このカワサキワールドのサポーター、リピーターとなりこの施設の健全な発展にエールを送って頂きたいと願っている。』

昨日の幕開け初日にもウイークデイでもあったので一番多かったのは小学生の子どもたちなのである。田崎さんの想いみたいなものが、そのまま引き継がれてさらに進化していく姿に、どうしても田崎さんの想いを紹介したかったのである。

 

★新しくなった展示場の状況を動画に撮ってきた。

時間のある方は是非ご覧になってみて下さい。

 

 

従来の展示車の中で残されたのはB8モトクロッサーとカワサキの二輪事業を確固たるものにしたZ1の2機種で、その他は全て新しい機種に入れ替えられたのである

  

 

上段は市販車下段はレーサーと分けられた展示方法で、B8とB8Mが揃って展示されている。私が営業部門に異動になったのはこの前の機種B7の時だったが、フレーム欠陥で返品が相次いで意気消沈していた時に出てきたのがB8でそのモトクロス改造車で出場した青野ヶ原のレースで1位から6位までの完全優勝を果たし二輪事業の本格的な推進の原動力となったのである。

 

 

 

メイン舞台にはZ1 と Ninja H2 が飾られている。

Z1/Z2 については私の大阪所長時代で、ちょうどその年カワサキ特約店制度は大阪から産声を上げたのである。

Ninja H2 は最近発売のマシンだがこの開発を指揮した山田浩平くんは現役時代これも彼が開発担当したX-11というサーキット専用4輪の開発で密接に関係があり、彼が技術本部長に就任したとき、『技術部在任中に必ずビックリするような機種の開発を致します』と言う決意表明の手紙を頂いた通りに実現したマシンなのである。

           

そんなこともあって、このNinja H2 を含めJ/Sなど300馬力に挑んだ技術屋さんたちの『300PS CLUB』が存在するのだが、OBの私は何のお手伝いもしてはいないのだが、最後の1枚の Life Members カードをわざわざ山田浩平くんが私に手渡してくれたのである。

 

 

 

 会場には『KR500』が飾られていた。

宗和孝宏とこのKR500 』このマシンにはいろいろあって、私もいろいろとお手伝いをさせて頂いたのである。 詳細はこのブログに。http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/c5a9acdc84f09ab304283261df17f077

これが戻ってきたマシンと聞いて、感慨ひとしおだったのである。

これは3年前のことだが、宗和も、カワサキも、関係者みんながよかった出来事だったのである。

 

 

これはカワサキワールドとは直接関係のない話だが・・

 

 そんなマシンの前でのお二人は、一緒に行った登山道夫さんと、昨日手伝いに来ていたKMJの塚本さんである。

塚本君とは初対面なのだが、塚本碩春さんのお孫さんだと聞いてびっくりした。塚本碩春さんは私が入社した時の人事課長でZ1時代の単車事業本部長で私も非常にお世話になったのだが、1996年私が国内の責任者をしている時に、『うちの孫を採ってくれないか』と手紙を頂いてすぐ、私は当時部品会社を担当していた岩崎茂樹くんに頼んだことまではよく覚えているのだが、お会いしたのは初めてなのである。

そんなご縁のあったご本人に直接会えていっぱい話が出来たのもよかった。

 

 

 

昨日は塚本君のほかにもご縁のある人たちがいっぱいいて記念撮影などしたりしていい時間を過ごさせて頂いたのである。

写真の一番右は佐々木八太夫さん今回の改修をやった広告代理店の社長さんだが私は彼がまだ大学生の頃、大広のアルバイトをしていたころ大阪営業所で出会って以来のお付き合いである。その横の市原さん、今は大阪地区の責任者だそうだが私の現役時代にいたのでよく知っているのだが、話をしたのは今日が一番長かったかも知れない。私の左隣は塚本君、そして一番左はカワサキワールドの吉田さん、彼が私に招待状を送ってくれたのである。

彼は鉄道マニアで、このところずってカワサキワールドのすぐ前のメリケンパークでは『ミニ・トレインフェステイバル』が定着して行われているのだが、この起案者は福井昇くんと私なのである。この案を当時の会長の田崎さんに頼み込んで田崎さんが神戸副市長に繋いでくれて実現に至ったのである。

 

  

 鈴鹿8耐でカワサキが唯一優勝を飾ったマシン。

この年は8耐にも色濃く関係して伊藤ハムからのスポンサードなども得た。岩崎茂樹が初代の川重のスポーツ推進部長に就任した年である。

 

 

 Z1の装飾台のヨコにこんな写真が使われている。これは『カワサキZの源流と軌跡』という本の出版社の三樹書房の提供で、佐々木八太夫社長に頼まれて、私が繋いであげて入手した写真なのである。そんなご縁で三樹書房の小林社長からも是非一度カワサキワールドを訪れたいと昨日ご連絡を頂いたりしたのである。

 

いろいろと今回のリニューアルには私の想い出いっぱいなのだが、極めつけは『SPA 直入』なのである。

SPA 直入は私と岩崎茂樹で創ったと言い切っていい。サ-キットなどのノウハウを当時の川重も造ってくれた建設会社も持ち合わせてはいなかったのである。コンセプトもコース設定も殆ど全て二人で決めて建設会社はそれに従って作ってくれたのである。

SPA直入の名づけ親も岩崎茂樹で、そのSPAは温泉のSPA だと思っている人が殆どなのだが、ベルギーの名門サーキットスパフランコルシャン とかけて物知りの岩崎茂樹が名付けたのである。

こんな想い出いっぱいのSPA 直入が今回のリニューアルにはいっぱい出てくるのである

 

 この写真は1日早く記者発表があって、産経新聞の記事の写真だが、このシュミレーターに使われた舞台がSPA直入なのである。シュミレーターについては、これは川重の航空機事業本部の技術で現役当時お国の要請を受けて、二輪用のシュミレーターの開発をスタートさせたので大いに関係があったのである。岐阜で乗せて貰って『酔ってしまった』苦い経験を持っている。当時のものに比べると大いに進化していて、球形のものは日本初だとか言っていたが、ホントだろうか?

正面のカワサキを紹介をする映像にもオートポリスではなく『SPA直入』が使われていてそこを走っているライダーはヘルメットを被っているので解らないのだが、SPA直入立ち上がりのころから一緒に直入を育てた林 英治くんなのである。

 

長くなったが、今回のカワサキワールドには、私個人と密接に関係するいろんなものが沢山あって、独り大満足しているのである。田崎さんと一緒に観れたらもっとよかったのにとは思うのだが・・・・・

 
 
 
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アメリカと日本 雑感

2016-10-14 06:02:04 | 発想$感想

★アメリカから戻って1週間になった。

今回アメリカは約1ヶ月娘婿宅で過ごしたのだが、現役のころから何度も行ってるアメリカだが、そこで『生活した』と言う感じを抱いたのは今回が初めてかも知れない。

いろんなことを感じたのだが、その中の幾つかを・・・

 

一つは公共の場と言うか、まちの清掃・整備と言うか『綺麗さ』のレベルが日本とは全然違っている。

基本的に砂漠の中に、人が基本的なコンセプトをもとに創り上げた街だから出来るのかも知れないが・・・

 

 

これは娘宅のすぐヨコ犬の散歩道だが、芝はいつもこのように刈り込まれて雑草など一つもない。娘宅の玄関の前の芝生さえみんな毎週のように綺麗に刈ってくれる。逆に自分で刈ったりしたらイケないのである。

 

元々、樹など生えていなかったところなのに、街路樹の大きさはビックリする。 日本の新興住宅地の街路樹は小さな木を植えて大きくすることになっているが、ここは最初から大きな街路樹が植えられている。

 (動画の中からの写真)

 

Irvine はどこを走っても、こんなに綺麗である。街路樹はみんな大きい。新しく開拓された地域も全く同じ表情なのである。どこで育成しているのか? どのようにして運ぶのかが私の疑問である。

 

 

これはホントに田舎のハイウエイの休憩所で、トイレがあるだけの設備だが、清潔さだけは保たれている。

 

 

大学の構内も一般の人が終日、自由に入ることが出来る。 (動画からの写真)

 

 

日本のまちも、いろいろ日本独特の風情もあっていいところもいっぱいなのだが、公道の植え込みが常に整備されていることは皆無で、半分雑草と言うのはザラである。

 

これは毎朝私がランニングしている近くの公園だが、この1ヶ月日本は雨が多かったようで、今はこんなに雑草だらけである。

 

     

 

 所謂、土の運動場のはずなのだが、草のほうがのさばっている状態である。

 これは気候風土の環境の問題でもあるのだろうが、底辺にある仕組みシステム、発想の問題だと思う。

みんなが自然に楽しく過ごせるように、その費用はみんなで負担しその整備には専門で毎日当たっている人がいる。

そんな仕組みがちゃんと出来上がっているように思う

 

 

 

★昨日は久しぶりに 西神中央に出かけてみた。かって娘家族が住んでいたまちである。

アメリカに1ヶ月滞在した『Irvineと神戸市西区』は非常に似ていて、その広さも人口22~23万人も同じだし、西区の中心となっている西神中央も西神南も昔は山だったところを新しく開拓した地域なのである。

非常にその環境は似ているのだが、Irvine と比べてみて何となくまちに『活気がない』のは、今のアメリカと日本の国情の違いかなと思った。

 

これは気のせいだとしても、間違いなく違うのは全体の地域の面積が同じ広さなのに駐車場はすべて有料である。Irvine の場合は有料駐車場は見当たらなかった。 駅には立派な立体駐車場はあるのだがそこも無料であった。

西区が新しく創られた町でなかったら、日本の狭い国土で駐車料は有料で仕方がないのかも知れないが、新しくまちを創るときのコンセプトに末端の住む人のことよりはその街づくりに関わった『企業』などへの配慮などが優先されているのだと思う。

日本で無料駐車場など『無理』と思われるかも知れないが、西神のすぐ隣の三木市では極々最近まで有料駐車場などなくて何十年も経っていたのに、今年『グリーンピア三木』が一般企業に経営が変わった途端に駐車場は無料から有料に変わってしまったのである。

折角の三木の『特徴』が台無しになってしまった。然し今でも三木市は日本で一番無料駐車場の面積が大きいまちだと私は思っている、10万人も人が集まる『金物まつり』でも車で訪れた人から駐車料を取ったりはしないのである。

このプロジェクトには三木市も無関係では無いようにも思うので、行政は何を考えているのかと言いたいのである。

かって、今大人気の『三木山森林公園』はスタート直後は有料だったので閑古鳥が鳴いていたのを県は『無料』に切り替えて今の賑わいになっているのである。

土地の広さだと簡単に片づけるのではなくて、新しいものを創る場合の『発想』=コンセプトの問題なのである。

そういう意味で、アメリカと比べて日本は『コンセプトの貧困さ』が一番歴然としているのかなと思ったりしている。

 

日本も『東京の小池百合子さん』のような『基本コンセプトが確りした政治家』出ることが、末端の人たちに本当に視線の向いたより良い日本を創るキッカケになればいいなと思っている。

 

 

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コーキングの樋口さん

2016-10-13 06:42:59 | 発想$感想

★昨日に続いて、我が家の台所と風呂場は綺麗になった。

今日は風呂場のコーキングをやってあげると樋口さんが4時過ぎやってきた。

 

コーキングとはこんなことのようである。

 

 

 

まずは樋口さんの作業の様子を動画に撮ったのでご覧になって欲しい。

 

この動画の中にもあるように、昨日に続いて穂積さんも来てくれて、『昨日、ちょっと気になってる部分』を修正、さらに台所の天井の電気のふたは私が蛍光灯を付け替えたときに外したら、元に戻らなくなっていたのも直してくれた。

職人気質みたいなものだろう。納得できないと気持ちが悪いのだと思う。昔、家に出入りしていた庭師さんが常に言っていた。『俺は今どきの造園屋とは違う』と。そんなプロの世界が好きである。

 

 

★樋口さんの作業をずっと付き合ってみていたが、手際いい。

一つ一つの作業はそんなに難しくもないようにも見えるが、テンポがあってどんどん休むことなく作業は進むのである。2時間足らずで風呂場のコーキングは終了した。

 

 

 白く見えている部分がコーキングしたところである。以前はカビが生えて黒ずんでいたり割れたところもあったのだが綺麗になった。

 

 

 天井部分も壁の角も綺麗に仕上がっている。

 

 

 

 昨日から風呂場の壁のちょっと黒ずんでいたカビも落としたので、風呂場もこんなに綺麗になった。

昨日の朝、樋口さんに誘われて、穂積さんと3人のモーニングの時に出た話題の『コーキング』の話から、この2日間で我が家の台所と風呂場が様変わりした。

ひょんなことからこんなことになる。

不思議なものである。

 

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ひょんなことで台所が綺麗になった

2016-10-12 06:37:59 | 発想$感想

★今朝は樋口さんに誘われて近くの喫茶店で『モーニング』なるものを初めて経験した。

出張時などはともかく家にいる時に、朝食を外食したことはない。

Facebook にこんな風にアップした。

 

 

 ご一緒したのは、樋口さんと穂積さんお二人とも何といえばいいのか職人さんである。

穂積さんとは昨年暮れに我が家の屋根と壁の塗装をお願いしてからのお付き合いである。塗装に限らず何でもおやりになる『よろずや』さんである。

樋口さんは、コーキング屋さんであるとは聞いていた。

『コーキング』とはどんなものかと言う話になり、今は我が家は私一人なので、風呂場でも台所でも実際に『やってあげる』と仰るのである。

検索してみるとこのように現れた。

 

一度見てあげると言われて、お二人、我が家に来られて台所と、風呂場を見て貰ったのだが、台所のレンジの上にある

 

 

 

  この器具を見て、穂積さん、『これは掃除をしないとダメだ』と仰るのである。

 こんなになっている。

そんなことで掃除をすることにした。

分解してみるとびっくりするほどの油である。

 

   

 

 

掃除をするのを横で見ていたが、これは大変な作業である。

穂積さんは、昨年の塗装の時もそうだったが、外見は豪快で丁寧な仕事など出来ないのではと思ったりするのだが、至極綿密で丁寧な仕事ぶりなのである。

今は独りで『助けて♪よろずやさん』 https://www.facebook.com/groups/922373347876009/?fref=ts

を立ち上げて、文字通り何でもやってくれる。

私など、これを見ただけで諦めてしまうのだが、夕方6時過ぎまでかっちり掛かって見違えるほど綺麗になった。

 

  

同じ台所かと思うほどである。

 

 

 

 

 同じ掃除でもプロがやるとこんなになる。

 あまりにも綺麗になったので横にあるものが汚く見える。

 

樋口さんも、穂積さんも昨年からのお付き合いである。

お二人とも 変わっているがめちゃオモシロい。

私は、何となく職人気質の方とはよく合う。

昔は家に出入りする庭師の人と仲がよかったし、昨今は樋口、穂積さんとは先方からもお誘いが掛かる。

 

『モーニング』のお蔭で台所が綺麗になった。

やって貰ってよっかったと思った。

 

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こなや音楽祭

2016-10-11 06:37:38 | 発想$感想

 ★毎年10月10日に三木山森林公園の音楽ホールで開催される『こなや音楽祭』に行ってきた。

昨年に続いて2度目だが、私自身音楽を評価するようなレベルでは全くなくて、ただいい音楽を聞くのは何となく楽しいというぐらいなのである。

そんな私が聞いていても、この音楽祭の出演者のレベルは相当に高度だなとお模わせるものがある。

 

主催者の垂井ご夫妻も出演する、吉備楽『御神楽』から始まった。

伊勢神宮と宗忠神社だけで演奏されている御神楽の出張演奏なのだそうである。

 

 

 

 

 

 

 クラシックピアノ演奏のあとは、ピアノ・ギター・バイオリンの共演。

 

 

 さらにバイオリンとアルパと言う私はその名前を聞くのも初めての楽器の共演でよかった。

 

 

 

 

 前半最後に登場したのが 三線とタップダンス。

タップダンスに登場したのは、鈴木昭彦さんでこんなかくし芸を持っているのにはビックリだった。

 

 

 3時間に近い演奏を3分ほどに纏めてあるが、会場の雰囲気や、演奏のレベルはお聞きになればすぐお解りだと思う。

 

こんな高度な音楽界が入場料無料なのである。

お聞きしたら、10月10日は垂井ご夫妻の結婚記念日だそうである。

垂井さんは大の音楽好きでご自宅で、年に何回もの演奏会も開催されている。

 

こんな結婚記念日のイベントが毎年開催されて、ご夫婦で出演もされるのは素晴らしいことである。

真似をしてみたいが、これはとても出来ない。

そんな、『こなや音楽祭』だった。

 

 

 

前半の最後を飾ったのは『三味線』かと思ったら『三線とタップダンス』

タップダンスを踊ったのは『かもすわ』の鈴木昭彦さん、

ちょっと立ち話で聞いてみたら、ニューヨークにいたときに習ったとか。

アメリカ仕込みなのである。

それだけを集めてみた動画である。

 

 

演奏曲は 鳩間節・新安里屋ユンタ・目出度節・豊年音頭

お楽しみ下さい。

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2017年からの日記

2016-10-10 10:17:14 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年で いま使っている日記が終わりになるので新しいものを買わねばならない。

日記は高橋書店の『大型5年 横線当用新日記』と言うのを使っている。

 

  

 

こんな様式のもので、現役時代は『3年連続』のものを約30年間使っていたのだが、退職してからこの形の『5年もの』にしたのだが、今年で3冊、15年が終わって新しいものになるのである。

今回は 2017~2021年までの5年間だが、前回の時もそう思ったのだが、『果たして最後まで書けるのだろうか?』と。

未だ12月31日は来ていないが、今年は何とか書けそうである。

2017年は3月には84歳になるので最後の年は89歳である。

これはなかなか大変だと思うが、何とか東京オリンピックの年まではと思ったりしている。

 

★日記を書きだしたのは、20歳の大学2回生の頃だったので、もう60年以上書き続けていることになる。

人生なんて運みたいなもので、日記を書きだした動機の一つに、20歳のころ肺結核になっていて不摂生だったし『あまり長くはないな』と思ったりして、何か書き残しておこうと思ったのである。

特に養生などしているわけでもなく、自然に生きているだけだが68歳の時にも『クモ膜下』になったりして『これは死ぬな』と思ったのだが、運よく『脳外科専門』の大病院に運び込まれて、手術など何もせずに1ヶ月入院しただけで出てきて今なのである。

不思議なもので、年をとるごとに元気になるようで、正直今は70歳のころよりは間違いなく元気だし、ひょっとすると60歳以降体力は低下していなくて、むしろ元気になっているようにも思ったりもする。

そんなことなので、この新しい日記も最後まで書き終えるように頑張りたいと思ったりしているのである。

 

★ 70歳を過ぎてからパソコンをやり出して、この『雑感日記』もスタートが2006年だから、今年もう9月を過ぎたので丸10年毎日アップし続けている。

日記はほんの数行書けばいいので至極簡単なのだが、このブログと違ってペンで自筆で漢字を使って書かねばならないのである。昨今文字を書くことが少ないので、字を忘れてしまって日記になかなか書けないことが多くなってきた。

パソコンはどんあムツカシィ字でも即座に変換してくれるのだが、日記はそうはいかないのである。

5年先、もし生きていたら、ちゃんとした漢字が書けている日記にしたいなと思っている。

 

便利な時代で、今朝から『高橋書店』を検索して『大型5年 横線当用新日記』を見つけ、Amazonに注文したら明日にでも家に届くようである。

こんな10年連続の横線日記もあるようだ。若し今度の新しい日記を書き終えるようなことがあったら、次はこの10年連続のものを使ってみようかなと思っている。

 

 

 

● 20歳までは、記録なし

● 20歳から1年単位の普通の日記帳で 

● 3年連続のものを11冊 33年間  68歳まで

● 5年連続のものを4冊  20年間  もし生きてたら88歳

それに10年物が使えたら、なかなかかっこいいなと、自分でも思っている。

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カワサキ二輪事業と私 その-16 百合草三佐雄さんのことなど

2016-10-10 07:41:33 | 自分史

★アメリカに1ヶ月ほど遊びに行っていたのだが、その間日本では百合草三佐雄さんのことなど、こんな情報が流れたりした。

 

   

 

会社勤めをしていると、いろんな方と繋がって知り合ったりはするのだが、一緒に『仕事をする』という機会はなかなかないのだが、この時代 百合草三佐雄さんとは、ご縁があって同じ目標に邁進した最も信頼できる仲間なのである。

 

「ニンジャ」開発、米で“サムライ”と呼ばれた男-飛燕・屠龍…航空機開発の系譜から生まれた伝説のバイク(上)

       http://www.sankei.com/west/news/160922/wst1609220007-n1.html   

 席捲したカワサキのポリスバイク、“欠陥”の濡れ衣で敗訴も起死回生の逆転劇…“サムライ”と呼ばれた男(下)

  http://www.sankei.com/west/news/160922/wst1609220007-n1.html

 

この二つの物語は、ちょうど私が企画室長をしていた1980年代半ば以降の時代のことなのである。

その中にはこんな一節もある。

百合草さんはA1、Z1、そしてGPZ900R初代“ニンジャ”などカワサキを代表する歴代名バイクの開発に関わってきた生粋のエンジニア。51~56年にはKMCのR&D(研究開発)所長として米国でバイク開発に携わっていたが、85年のKMC社長としての米国赴任は異例ともいえる指令だったという。会社は“カワサキのバイクを知り尽くした男”に米国市場での社の命運を託したのだ。・・・・・・

 

百合草さんは、昭和35年川崎航空機入社で、私は昭和32年入社なので、ちょっとだけ先輩なのである。

1980年代はのち川重社長をされた大庭浩二輪事業本部長のころで、カワサキの二輪事業が生きるか死ぬかの大変な時代だったのである。その中心は最大の市場アメリカを担当するKMCの大赤字対策で、KMC社長には昭和33年入社の田崎雅元さん(後川重社長)が当たっていて、やっと年間黒字にはなったのだが、KMCには過去の38百万ドル当時の日本円に換算すると100億円近い累損があった時代であった。

その累損消去をして文字通りKMCを健全な販売会社に再建する』と言うのが私自身、企画室長としての大きな目標だったのである。 

私自身の』と敢えて言ってるのは、これは『会社としての目標』ではなくて、私に与えられた会社としての目標はあくまでも、『海外販社の年間損益の黒字化=健全化』だったのだが、私自身が勝手に『100億円の累損消去』と言う途方もない目標を樹てたのである。

その具体的対策として、田崎さんが社長をしていたKMCには当時の国内販社カワ販から、冨永・日野くんという販社経営の実戦的なノウハウを持っているメンバーを送り込んで、本社財務からも出向していた若手たちと一緒にKMC再建に当たりようやく期間損益の黒字化は達成できたのである。

第1段階の目標は達成できたのだが、田崎さんの次の社長を誰に託すのか?と言うのははなかなか難しいテーマだったのだが、百合草三佐雄さんを推してそれがすんなり通って、1985年4月から半年間ほど百合草さんは企画室に異動して、一緒にいろいろとその対策など話しあってのスタートだったのである。

 

★あの時なぜ、百合草さんを推したのか?

当時のKMCの経営は単なる一販売会社の経営ではなくて、カワサキの二輪事業にも、川崎重工業本体の経営にも大きく関わる問題で、本社財務部門の総力を挙げての応援体制であったし、事業本部サイドも企画室内に初めて関連企業部を創って販社経営に詳しい前田祐作、財務のプロ小川優くんたちが具体的にKMCの支援に当たっていたので、KMCの社長として一番に求められるのは、『リーダーシップ』と言うか全体を纏められることが第1だと思ったのである。

それまで特に私は、百合草さんと直接仕事をする機会は少なかったのだが、彼は既に当時のカワサキのレース部門を海外・国内を含め、技術問題からライダー管理まで広い範囲で、カワサキが初めてその体制を確立していたその責任者だったのである。当時カワサキは経営問題では大ピンチだったのだが、レース関係ではあのKR時代で最も輝いた時代なのである。

レース関係については私もその立ち上がりに時期に担当してその難しさは経験しているので、レース活動をまとめ上げた『百合ちゃん』なら大丈夫と思ったのである。

 

★百合草さんがKMC社長になって、すぐ私自身も企画から営業に移り、さらに国内担当に異動したのだが、私が百合草さんに託した『KMCの累損消去』という課題は、KMC百合草社長時代の1989年に見事に実現したのである。カワ販からの出向の冨永・日野くんもこの目標を達成しての国内復帰となったのである。たまたまだがこの二人を送りだしたのも、迎えたのも私が国内を担当した時期なのである。

KMCの累損消去を達成して、当時の川重大西副社長以下関係したメンバーたちで神戸でお祝いをしたのをよく覚えている。私にとっての現役時代、KMCの累損消去は一番の大仕事だったので、そのムツカシイ目標を実現してくれた『百合草三佐雄』さんには今でも大いに感謝なのである。

 

話は突然変わるが、『カワサキZの源流と軌跡』という本が出ていて、今回改めて内容は同じなのだが白い表紙で新発刊されたのである。

この本は、濱脇洋二・大槻幸雄さんを中心に10人ほどのメンバ-の共著なのだが、百合草さんも私もそのメンバーに入っている。

 

 

 

 ここが百合草さんの担当された部分で、

 

 

 

最初に紹介されている『ポリスバイク』の話なども、より詳細に百合草さんの手で書かれている

 

 

 

この新刊が出たのはごく最近のことで、私がアメリカに遊びに行っている時、この本の出版元の三樹書房の社長さんからこんな新聞広告もしましたと、メールと共に新聞広告の写真まで貼付されてきていたのである。

 

  

  

★ 川崎航空機が二輪事業を立ち上げるべく、多くの新入社員を採ったのが、百合草さんが入社した昭和35年なのである。この年次の人たちがカワサキの二輪事業の中核を担ったと言い切っていいだろうと思う。

あまり数が多いのでとても名前を書ききれないが、当時の企画室で私を支えてくれた企画部長武本一郎・生産企画部長大前太さんがそうだし、ご存じの方も多い 種子島経さんなども昭和35年組なのである。

そして明石工場で二輪車の一貫生産が始まったのが、昭和35年なのである。高橋鐵郎さん、大槻さん、私、田崎、稲村さんなどそれ以前に入社していた人たちが単車事業に異動してきたのも昭和35年からなのである。

ご縁があって『カワサキの二輪事業』で繋がって、それからもう60年以上も経つのだが、まだこうしていろいろと繋がっているのである。大槻さん・稲村さん・百合草さんなどは、ゴルフのZ1会でもご一緒で年に何回もお会いできるし、Facebook でも繋がったりしているのである。

そんなカワサキのメンバーたちは、結構ユニーㇰでオモシロいので、少し詳しく知りたい方は『カワサキZの源流と軌跡』でもお読みになればいいと思っている。

 

 

 

 こんな執筆者が名を連ねていて、私も最後に国内のマーケットなどのことを書いている。

 

   

 

 

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豊岡からやってきた青木隆さんと

2016-10-09 06:54:36 | NPO The Good Times

★『アメリカから帰られたら遊びに行きますね』とは Facebookでコメントを頂いてはいたのだが、昨日昼、登山さんから『青木さんが来られてますよ』と呼び出しの電話があったので、すぐにGood Times Plaza に出向いて、4時過ぎまで喋っていた。

アメリカ帰りなので、『アメリカでの話』もちょっとはあったのだがここに集まる人たちの主たる話題は、私は殆ど理解のできないバイクの高度な話が延々と続くのである。

  

  

 

 これはこのShop の主、登山道夫さんが撮ってくれたのだが、左から長谷川さん、私、青木さんに美樹さんである

みんな不思議なご縁で、長谷川さんは、生前母がお世話になっていた特養『りんどうの里』にお勤めなのである。いつもりんどうの里に行くと、綺麗なZが置いてあったのだが、その頃は面識がなくて、このGood Times Plaza で初めてお会いしたのである。

青木隆さんも、今日乗ってこられたバイクを加古川の山本隆さんのところで買われて、その帰りにここにお寄りになったご縁からのお付き合いなのである。 Facebook では毎日お会いしている。

そして美樹さんも、かって川崎重工業の単車の試作におられたバイクマニアなのである。その当時は全然面識はなかったのだが、ここでお会いして繋がった。

こんな人たちが集まるとみんなバイクマニアだから、私は殆ど解らないバイクの話が、いつ果てるとなく延々と続くのである。

 

そんな動画を撮ってきた。

 

こんな話の仲間に、いつも誘って頂いて幸せである。

 

ここにはいろんな 有名人が何となくやってくる。

ごく最近では 武石 伸也 くんがやってきたらしい。武石君は現役のころから面識がある。何故か登山道夫さんと繋がっているらしい。

店のいろんな飾りには、ここを訪れた有名人のサインがいっぱいである。

 
      

 

 日本からだけではなくて、世界からやってくる。

 この額の一番上にサインしてるのは、ニュージーランドのクロスビーや、ドイツのミッキー・ヘッセさんだったりする。

 

★こんなこと書いてると、青木隆さんからこんな写真と共にFacebook でお礼のコメントが送られてきた。

バイクは早いね。もう豊岡まで戻っている。

 

  

 

 いっぱいの『グリーン』である。

 『バイクが繋いだ縁をこれからも楽しみたいと思っております。機会を見つけて是非お越しください』と書かれていた。

 

 確かに、『バイクが繋いだ仲間』はいいものである。

 

 

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日本に戻ってきた

2016-10-08 03:40:35 | 発想$感想

★長い1日だった。

昨日の今頃はまだ Irvine にいた。 日付で言うと10月5日の夜である。

9時半ごろに娘宅を出発してロス空港へ向かって、満席だという便に11時ごろになってやっと乗れて、息子と二人戻ってきたのである。

便の出発は翌日の0時50分、10月6日の早朝の便だったのに、ちょうど10時間のフライトで羽田に着いた時には、10月7日の朝5時だったのである。 日本とアメリカの時差はこんなことになるのである。

 

朝5時羽田に着いて、6時25分発の神戸空港行きに乗って7時45分神戸空港着、モノレールで三宮に、三宮8時35分発の神姫バスに乗ったら家には9時半に着いた。

羽田から家まで、その道中の動画である。

 

羽田からは、伊丹ではなく神戸空港行きの便に間に合ったのでそれにした。

その間の道中の感想。

神戸便だからちょうど出張のお客さんも多く、アメリカの空港に比べて客の服装が格段に綺麗であるのに驚いた。アメリカのラフさとまさに対照的である。

窓際に座れたので景色を撮ってきた。

伊丹便と違って富士山の裏を飛ぶので右の窓からは残念ながら富士山は見えなかった。アルプスの山を見て名古屋市の真上をとび琵琶湖へ。琵琶湖と日本海が一緒に見えた。左側の座席なら三木が見えたかもしれない。その北側を飛んで、左旋回加古川を上から見下ろして淡路島を見ながら。明石大橋の真上を飛んで神戸空港へ。

 

   

  

  琵琶湖のすぐ上は日本海なのである。

   

 

  加古川の上で旋回。

   

 

 明石大橋の真上、その向こうは淡路島。

   

 

  

モノレールからは、川崎重工の造船部門も、カワサキワールドも見ることが出来る。

  

 

  

 

羽田を出て飛んでいる間は50分ほどである。神戸空港のモノレールへの乗り継ぎはいい。距離も100メートルぐらい歩けば電車に乗れるし、電車は1時間に9本も出ている。

降りたら三ノ宮、そこから神姫バスまでが100メートル、バスに乗ればトンネルを通って三木まで45分、停留所を降りると100メートルで我が家である。

5時に羽田着だが、9時半には家にいた

神戸便、便利なのだが何故か1日に2便しかない。もう少し増やせばいいのに、今朝の便もほぼ満席だった。

ロスアンゼルスから家まで、お金を払ったのは330円のモノレール代だけ、バスの650円は三木市支給の年寄りへの優待切符が使えた。

 

★家に戻って、一番最初にしたのは、パソコンの電源を入れてFacebook をアップ

午後、ちょっとゆっくりして、買い物に行く。

風呂に入った。これは日本の風呂が最高

夕食には、ブリの刺身など買ってきた。別に何を食っても「旨い」と思うので、アメリカで日本食など食いたいと思ったこともないのだが、日本に戻ったので『刺身』もいいかなと思っただけである。でも、確かに『旨かった

そして、このブログをアップして、明日朝発信するという『日本のタイムスケジュール』に戻ったのである。

 

今日から、日本での独身生活が1ヶ月続く。

家内は11月半ばに戻ってくるはずである。

 

 

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アメリカ 最後の1日

2016-10-06 08:22:31 | 発想$感想

★1か月にも及んだ今回のアメリカIrvine での生活だったが、最後の1日は娘婿が会社を休んでくれて、遊びに来た息子や私たちに、Irvine 近郊を案内してくれたのである。

 

 

 

 

この地図に出ている範囲以上を走って来たと思えばいい。

 

 最初は家を出て、405を南下し、133に乗ってずっと山の方角に走ったのである。

 こんな風景が現れる。

 

  

 

 

 そして地図には出ていないが、サンタナの東側の川に沿って戻って来たのである。

釣りの好きな息子は、『どんな川』なのかが興味があったようだが、水が流れていない川を見て、がっかりしたと同時に改めて、この地域を見直したようである。

 

そのあと海に出て、ニューポートビーチの Balboa Piea に行ってきた。

 

 

 

  

 

 

  そこで撮って来たスナップ写真である。

 

 犬も散歩代わりに連れて行った。

 家内と息子と娘、それにライスである。

 

  

 

 私と家内も、撮ってくれた。

 

  

 

 

  そして娘・夫婦 と2匹の犬 ライスとコビー。

 

  

 

 

  こんな感じのところである。

 

  

 

  

 

 

 そしてさらに 55から405 を北上して、隣町のベトナム街で、本格的なPHO (ほう)をご馳走になって戻って来た。

 

  

 

 

 そんな行程を収めた 動画である。

 

 Irvine 近郊の景色をご覧になりたい方はどうぞ!

 全米一番治安のいいと言われる Irvine が近郊に比べて、群を抜いて綺麗に整備されていることもお解り頂けると思うのである。

 

   

 

 今、4時を少し回った。

最後の1日、5時半からは孫のサッカーの練習試合を見る。

そして9時過ぎにロスの空港に向かって出発する。

 

 

帰りは息子と二人、同じ便である。

家内はもう1か月、Irvine に滞在する。

帰国する1か月の独身生活が待っているのである。

 

また、日本でお会いしましょう。

 

 

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サッカー雑感

2016-10-05 14:40:53 | 発想$感想

★今、アメリカの娘一家に来ているが、孫の次男と末弟は、サッカーをしていて、今のところはそこそこのレベル、ひょっとしたらプロも目指せるかもと、本人たちも娘婿も娘も一生懸命なのである。

息子も子供のころからサッカーをやりだして、小学生・中学生・高校生の時代から、県や近畿の選抜に選ばれたりしたものだから、私自身もサッカーは解らなかったが、サッカーの面白さみたいなものには取りつかれて一生懸命応援したりしたので、今の娘一家の気持ちなどよく解るのである。

 

孫たちの小学生低学年時代をよく知ってるので、まさか今のようになるなどとは思いもしなかったのだが、ここまでなったのは日本と違って、チームの勝利もさることながら、個人個人を育てる独特の仕組みの素晴らしさと、それにこたえて精進した本人たちの努力の賜物なのだろう。

次男はいまBerkeleyのサッカー部にいて、トップ下やハーフをやっているのだが、5年ほど前までは右バックをやっていて、本人は何とか中盤やトップ下がやりたかったようである。

たまたまそのころアメリカに遊びに来てた息子が中盤のサッカー選手について、いろいろ難しい講釈を垂れて、それを孫はノートに詳しく書いて、頑張るきっかけにもなったようである。

その後17歳までの選手を育てるAcademy の Strikers では中心選手となってBerkeley にもサッカーの推薦入学で入部できたようである。高校のころは全米の得点ベスト10の中にもいたりしてたのに、大学に進学してからは1得点に終わってしまっているのである。

 

そんな門野真也のサッカーを見に、今回息子はやってきて、Berkekey の試合など見たのだが、昨夜娘婿の提案で、急きょ真也のサッカーに関するテレビ会議が開かれたのである。

どんなことをするのかと思っていたら、サッカーにかけては息子もめちゃ熱心なのである。

大学に入学してからの、テレビのYou Tube をしっかり見ての意見を纏めての、Berkeley とIrvine を結んでのテレビ会話が行われて、横で見ていたのだが、なかなか分析が詳細で、『なるほど』と思われる点いっぱいだったのである。

 

 延々2時間近く行われたんだが、そのほんの一部である。

こんな感じで行われた。

 

 

果たしてどんな効果があるのかは、よくわからないが孫の真也が、心機一転、頑張ればいいなと思っている。

 

 

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スタンフォード大学 と Stanfordというまち

2016-10-05 00:14:11 | 発想$感想

 ★スタンフォード大学のスタジアムで、孫が行ってるBerkeley とスタンフォード大学とのサッカーの試合があるというのでわざわざIrvine から車を飛ばして見に行った。

やはりサッカーをしてた息子の古谷大治が日本からサンフランシスコに直行して見に行きたいと言ってきたのが直接の動機にはなったのである。

たまたま孫の門野真也のチームメートのクリンスマンのお父さん、アメリカサッカー代表監督のクリンスマンさんも息子の応援に来ていて、直接話ができたのも幸いだったのである。

 

   

 

        

 

 

スタンフォード大学については こんな風に紹介されていて、サッカーの試合とともに大学もさっと見せて頂いた。

 

校訓は「Die Luft der Freiheit weht(自由の風が吹く)」。サンフランシコから約60 km南東に位置し、地理上も、歴史的にもシリコンバレーの中心に位置している。

スタンフォード大学は各種の大学ランキングで非常に高い評価を得ており、2006年度のニューズウィーク世界大学ランキングでは第2位とされた。


 

 

       

 

こちらは私が撮って来た動画だが、大学は町からそのまま入れて、

大学の門を車で通た時、娘が『これが大学・・』と言ったのに対して 息子が 『まさか・・』と応じているのが面白い。

それほど、広大なのである。

 

 

 

 

大学に来たので、近くのかっこいいモールに行って、昼飯を食ってきた。

その動画である。

 

ハローイン近くて、かぼちゃがきれいに飾ってあったし、

シリコンバレーの中心でもあるということか、マイクロソフトの綺麗な店もあった。

 

 

 

動画をご覧になればその雰囲気はわかると思います。

 

 

 

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孫のサッカー観戦 Stanford戦

2016-10-04 03:07:39 | 発想$感想

★息子がわざわざ孫の真也のサッカーを見にアメリカに来るというので、サンフランシス空港まで迎えに行った。

昨年度アメリカ大学の第1位となった Stanford大学と Berkeley との一戦がスタンフォード大学のサッカースタジアムで行われたのである。

娘の車でIrvine からサンフランシスコまで600キロの日帰り観戦だった。

 

 

 

 

 スタンフォード大学こんな巨木が生い茂る歴史のある名門大学である。

 

 

 

600キロの道を走って、よくまあサッカー観戦などと思われるだろうが、同じようにIrvine から車を飛ばしてやってきた方もおられたのである。

 

  

  

 

  息子と写っているのは、現アメリカサッカー代表監督、あの世界的に有名なクリンスマンさんなのである。

昨日は孫門野真也とはStrikers 時代からのチームメートで現在はBerkeley のキーパーをしている息子さんの応援に駆け付けたお父さんなのである。

娘はよく知ってるので、紹介してくれて気さくにお話をしたりすることが出来た。多分息子のほうが一つ上かも知れないそんな同世代なのである。大スタークリンスマンとは、ちょっと違った、クリンスマン君の父兄会の気さくなお父さんのクリンスマンさんに会えてよかった。

 

 試合のほうは残念ながら1-0で負けてしまったが、試合後孫も会えたし、話もできた。

 

 

 

 いまは Berkeley のチームにいてマスコミやネットのの世界にも登場する孫門野真也なのだが、

子供時代のサッカーの先生、古谷大治を果たして超えられたのか?

この辺りはなかなかお互い譲らないのだが、孫の真也にはもっと頑張って貰って、伯父さんに『負けた』と言わしてほしいものである。

 

   

 

 真也が チームメートのお父さんに頼んでくれて、シャッターを押してもらった貴重な写真である。

 

    

 

 

こちらは、昨日を動画に纏めている

 

 

 

 昨日は朝4時半にIrvine を出て、サンフランシスコ空港で12時に息子を迎えて、夕方5時からのサッカーを見て、それからまた600キロを走って夜中の2時に戻って来た。往復ほとんど娘が運転してくれたが、私も1200キロのうちの300キロぐらいは運転で来てよかった。

いま翌朝の朝、11時、動画を編集し、ブログにアップしたところなのである。

あと数日のアメリカになった。

 

帰りは息子と一緒に日本に戻ることになる。

 

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サッカー観戦

2016-10-02 11:02:05 | 発想$感想

★今回のアメリカは孫のサッカーを見るのが第1の目的だった。

9月の初めにアメリカにきたのだが、それも孫たちのサッカーのシーズンの幕開けに合したのである。

10月4日には日本に帰る予定だったのだが、10月2日、明日の5時からStanford とBerkeley の試合はあるのだが、テレビで実況もあることだし、これは見る予定はなかったのだが、

息子が突如見に来るというのである。もともとサッカーに興味を持ったのは息子がサッカーをしたからで息子はサッカーで大学も選んだし、就職もサッカーで会社を選んだりしたのである。

 

その息子がロスに来たのでは間に合わないのでサンフランシスコに直行するというのである。

それではともう一度車を飛ばして見に行くことにした。

 

 

 

とはいっても、Irvine から結構な距離である。

ハイウエイを走っても、6時間ちょっとかかる。

明日は娘婿がいけないので、娘と私で運転する。若い頃から長距離は走り慣れていて、そんなに苦にはならないんである。

でも、

明日は早朝出発なので、今夜は早く寝ることにする。

 

 

 

 

               

 

バークレーのサッカー部の公式ツイッター、孫が明日の試合をこのように広報している。

テレビ実況もあるし、やはりアメリカはちょっと違う。

 

     ★55万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 

 私のツイッターで『リツイート』しましたので、皆さんもお聞きになれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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