雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

大阪都構想  雑感

2019-04-08 06:15:28 | 大阪維新の会、橋下徹氏

★8時の開票と同時に大阪の知事選・市長選のダブル選挙は維新の勝利を報じた。

 隣の府のことではあるが、正直『よかったな』というのが感想である。

 選挙の争点は『大阪都構想』だが、日本の政治は現在の都道府県単位が小さすぎて、その結果が政治に大きな金が要るシステムになっているように思う。

 かっての大阪は、人口は兎も角地域的にはホントに狭い大阪府に大阪市がありさらにそれは区に分けられていて、これはどう考えても細分化され過ぎなのである。

 

もう40年以上も前だが、私自身は大阪母店長として、大阪・奈良・和歌山・京都・兵庫・滋賀の2府4県のカワサキの二輪営業を担当したのだが、当時でもこのような大きな母店制度を敷いていたのは、『カワサキだけ』だったのだが、それが十分可能な広さなのである。

 この地域でも、大阪の前に担当していた東北6県・北海道に比べると本当に狭い地域なのである。

 江戸時代ではないのだから、昔の藩制度のような今の県単位から、政治の世界でもこのような広域制度を敷くべきではと思っていたところに、登場したのが『大阪都構想』なのである。

これは本来は、カワサキの制度の様に、大阪だけでなくもっと広い範囲での『政治制度』の方向に持っていくべきかなと勝手に思っているのである。

 『大阪都構想』は橋下徹知事が掲げた政策だが、これは間違いなく正しい方向だと思っている。橋下さんは単に大阪だけではなくて、もっと広い範囲での構想をお持ちのはずである。

 

★どんな組織でも『権利意識』はあるし、その『利権』を守ろうとするのは人間の本性なのだろう。

 日本の政治はまさに『利権政治』そのものだし、議員は『議員の地位』を守ろうとする。

 それは自民党も野党も殆ど変わらない体質となっていて、いろいろ言うが、議員の定数や議員報酬は守ろうとするのである。

 そんななかで、独り『維新』だけが、改革政党と言えると思うし、安倍さんが、維新や橋下さんに近いのは、安倍さんは自民党員ではあるが、発想はなかなか柔軟だし、改革的なので、本音は今回の大阪ダブル選挙も、『維新が勝てばいい』と思っていたのではなかろうか?

 そういう意味では、安倍さんも『維新の理解者』だと思うが、維新の良き理解者であり、橋下徹さんを政治の世界に引っ張り出した『堺屋太一』さんは、この維新の勝利を見ずに亡くなってしまったが、堺屋さんの遺志を新しい大阪の知事・市長も引き継いで、素晴らしく『新しい大阪』を創って欲しいと思う。

 

 

     

 

  橋下徹さんは、今回の選挙には表に出てこなかったが、間違いなく応援者であったと思う。

 そういう意味では、生前堺屋太一さんが、橋下徹さんに示したような態度を、今後は橋下徹さんが吉村・松井コンビニ示して欲しいと思うし、間違いなく橋下徹さんは、そんなスタイルを通すだろうと思っている。

 

    

 

 

  橋下徹さんが思い描いているのは、『大阪』だけのことではなくて、日本の政治体制の改革なのだろう。

 『憲法改正』を含めて、この『大阪新体制』が実現したことで、日本の政治もまた『新しい方向』を目指すかも知れないのである。

 

      

 

兎に角、大阪ダブル選、昔に逆戻りすることなく、新しい方向を歩むことになったので、『ホントにほっとしている』のである。

 日本の政治体制が新しい『令和の幕開け』と共にスタートし、日本の政治体制が『大阪都構想』だけにとどまらず、『超広域体制』の方向に動けばいいなと思っているのである。

 今後の大阪の動きに目が離せない。

 

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三木も桜の季節になった

2019-04-07 06:44:13 | 発想$感想

★この辺りは、桜の開花も例年ちょっと遅いのだが、今年はなぜか特に遅い。

昨年の今頃は、この辺りでももう散りかけていたと、日記にある。

 土曜日の朝、ジムに行ったら、体育館の電源の故障で3日間臨時休館との表示、仕方がないので周辺のコースをスロージョギングしながら撮ってきた桜である。

 毎年この時期には書いているが、三木は桜の本数ではひょっとしたら『日本一』かも知れないと秘かに思っているのである。

 この三木山総合公園の周りだけでも2000本はあるのでは? と思ったりする。

 私の住んでいる、緑が丘周辺だけでも3000本は下らない。

 そして、三木の桜の名所は、このほかの地域が選ばれているのである。

 

★以下は、三木山総合公園の中の私が1周したコースから見える桜である。

 

 

    

 

   下に椿が咲いていた。

 

    

 

    ずっと桜並木が続いている。

 

    

 

  もうすぐ満開かな。

 

     

 

 

      まだまだこの先まで続いている。

 

      

 

 

      

      

 

 

 

 

     

 

 

    池では鮒釣をしてる人もいた。

    もう、春。 鮒釣の最盛期も近い。

 

 

      

 

 ★この公園も、緑が丘もこの何十年かの間に新しく開拓された場所なので、桜の本数は多いのだが、『桜の名所』にあるような大木は残念ながら見られないのだが、本数だけはホントに沢山植えられている。

 明日の日曜日あたりが、最高の花見の時期になるのだろう。

 

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昨日の午後は、多田さんと清水さんと・・・Good Times Plazaで

2019-04-06 06:29:28 | 発想$感想

★ 最近は、外で人とお会いする機会もめっきり減ってしまっているのだが、昨日はひょんんことから、登山道夫さんのGood Times Plaza で多田さんと清水さんと4人で3時間ほど結構楽しい時間を過ごしたのである。

 

   

 

 特に、用事があったわけでもなくて、郵便を出しに郵便局まで行っての帰り道、Good Times Plaza が開いてたので、覗いてみたら、登山さん『今すぐ、多田さんと清水さんが来ますから・・・』と仰るのである。

 多田さんとはかってのカワサキのファクトリライダー多田喜代一さんのことで、こんな経歴をお持ちで、私は現役時代からよく知ってはいるのだが、こんなに長時間に亘っていろんな話をしたのは初めてのことだったのである。

 

    

 

 人間、いろんな繋がりがあって、知ってはいるのだが、そんなにみっちりと話をする機会などそんなにはないのだが、昨日は少人数だったし、ホントにいろんなこと、カワサキのこと、レースのこと、岩城滉一のことなどなど、楽しい昔話に華が咲いたのである。

 ご縁というのは、不思議なもので、登山さんと多田さんは、最近ではいろんなことで、密接に繋がっていてごく最近はバイク寺での『スピーカー』を多田さんに頼んだようである。

 そんな『スピーカー』も出来るほど、彼の話は独特でオモシロいのである。

 

 それがなぜ 清水久美樹さんと多田さんが繋がって二人でやってくるのか? そのあたりもよく解らなかったのだが・・

以下の文章は、ずっとずっと以前に書いた私のブログなのだが、いまはKAWASAKI Z1 FAN CLUB の代表をカワサキ出身の渡部達也さんに譲っているのだが、最初立ち上げてその代表をしておられたのが、清水久美樹さんなのである。

 

『KAWASAKI Z1 FAN CLUB』は Facebook の中に熱烈なZ1ファンである、清水久美樹さんが立ち上げられたことからこのプロジェクトは始まっている。

ス―パ―カフェレーサークラブと言うクラブがある。

EGLI YOSHIMURA KAWASAKI, エグリ カワサキ, Bimota KB1, ビモータ Z1 Z2, Rickman KAWASAKI, カワサキZ1 Z2等々、 空冷四発カフェレーサーをこよなく愛する男達の倶楽部です!
 
とそのブログの冒頭に紹介されており、清水さんはそのクラブの会長さんなのである。
そして、その事務局長さん的な、このブログの主が、登山道夫さん、通称カバン屋さんなのである。
 
 

 

   こんな私の旧いブログが、ネットで検索すると直ぐ見つかるのも、まさにネット時代だなと思ったりした。

 そんな頃からの、経緯も、清水さんも私は知ってはいるのだが、それがまたなぜ『多田さんと繋がっているのか?

 世の中は、ホントにいろいろとオモシロいものである。

 登山さんと清水さんは、KAWASAKI Z1 FAN CLUB 以前の、こんな旧いクラブの頃からのお知り合いなのである。

  http://caferacer.blog62.fc2.com/

 このリンク、ちょっと開かれたら、バイクのことにどれくらい詳しいか? 普通の方ではちょっと書けないレベルのことが並んでいるのである。

 

★ 特に特別の用事があったわけでもない雑談だったが、延々と途切れることなく続いた楽しい3時間だったのである。

 多分、このメンバーは、5月17・18日の両日、安中市で開催される、金井紫朗さん主催のイベントでもまた一緒になるのかも知れないのである。

 

    

 

 いろんな話題になったのだが、私にはこんな実質的なプラスもあったのである。

 私の新しい iphone に、Line を登録しようとしても、『一時的に制限されています』という表示が出てダメなのである。

 登山さんにやって貰ってもダメだったのだが、清水さんが『新しくFacebookで登録したら』とやってくれて、めでたく私のLineの登録が出来たのである。

 これが私にとっては最大の収穫だったのである。

 清水さん、『ホントに有難うございました

 ただ、今のところ登録は出来たが、どのように使うのかもさっぱり解っていない。どうやらパソコンでも登録できるようなので、それにもチャレンジしてみたい。

 

 

    

 

   別れ際に、登山さんが撮ってくれた写真である。

 昼過ぎに、『ちょっと郵便局に・・・』と言って家を出たままなので、あまり遅くなると家内が心配して怒るのである。

 帰ると『また、カバンさん?』 と家内、家では登山さにょりは『カバン屋さん』で通っている登山さんで、無断で遅くなる時は、殆どの場合『カバン屋さん』が多いのである。

 

 それでも、こんな気の置けないメンバーで、『つまらぬ雑談』が3時間も続けられるのは、これはまた『幸せなこと』なのである。

 そのベースに、バイクがあり、レースがあり、カワサキがあることに大いに感謝なのである。

 

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ゴルフ 雑感

2019-04-05 06:44:40 | スポーツ

★ゴルフを始めたのは結構遅くて、42歳のころだったと思う。

 何でもやりかけたら熱っぽくはまってしまう性格なので、一生懸命練習したし、ゴルフコースの会員権も買って月例などにも参加するようになったのである。

 ホームコースが難度の高い『播磨カントリー』であったことから、月例でアンダーが出るとそのままハンデイ―は減っていくというか、上がっていくのである。

 最初に貰ったハンデイーが18だったのだが、毎月月例に出ていたら1年程でハンデイー10になったのだが、そこからは普通の方の発想と違って、『10になれば満足』とシングルなどは目指すことなく月例に出るのも止めてしまったのである。

 もう少しやれば、多分シングルには成れたと思うのだが、『片手シングル』というかハンデイ5以下になるのはムツカシイと思ったし、何事もどうも世の中の資格というのが『好きになれない』のである。

 若い頃、碁も初段を取れと言われて止めたし、ダンスも『教師の免許を』と言われて止めてしまったのである。

 ゴルフでも碁でも、所詮は趣味の世界だから、『シングル』を目指すとなると、楽しさよりは苦しさのほうが多いし、プロのレベルにはなれないと思ってしまうのである。

 そんなことで私の人生の生き方は『ハンデイ10の人生』で、何事もそこそこのところで、満足しているのである。

 今の生活の、ネットも、ジムも、薔薇もみんな「ハンデイ10」のレベルには達していると自己満足しているのである。

 

★ ゴルフはハンデイ10になって以降も、遊びでは続けていたし、30代が出ることもそんなに珍しくはなかったので、実力シングルと勝手に満足していたのである。

 ところで、最近のゴルフはカワサキのZ1会年4回と大学の野球部のコンペ2回の最大年6回しかやらないのだが、スコアは100は叩かないが、90は切れないのである。

 気分的には、90を切るのはそんなにムツカシクナイと思うのだが、なかなかそんなスコアにならないのは、寄せとパットが全然で、そのために大たたきをしてしまうことが多いのである。

 なぜかな?といつも思うのだが、ゴルフは気持ちを入れて確りやらないと、『いい加減』ではスコアにならないスポーツのようである。

 いい年をして『真剣に寄せやパット』をやるのもと思って簡単にやるとダメなのである。

 

 今年も来週4月10日に、第1回のZ1会があるので、昨日は久しぶりに練習に行ってきた。

 

    

 

 練習場に行くのは、半年ぶりだが、家で素振りだけはやってるので、結構『いいショット』が打てるのである。

昨日も70球ほど打ってきたが、まずまずだった。

 今年から86歳だから、86で回れば、エイジシュートなのである。

 そんなにムツカシイスコアではない、と気持ちだけはそう思うのだが、やってみるとそうはいかないのがゴルフなのである。

 

 果たして何歳まで、ゴルフが出来るのだろう?

 Z1会の会長大槻幸雄さんは米寿を既に迎えた88歳なのにお元気で参加されている。

 私も少なくとも米寿は目指したいし、もし生きてたら90歳までやりたいなと思う。

 ジム通いを続けていたら、歩くことや体力だけは大丈夫なのである。

 問題は『スコア』だけだが、『いつかは、エイジシュートを』を目標に頑張ってみたいと思っているのだが・・・・

 

 

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『令和』いろいろ  雑感

2019-04-04 07:00:33 | 発想$感想

★『平成』に続く新しい年号が『令和』と決まった。

 世の中、この話題で持ちきりである。

 どのような経緯でどのような候補の名前があったのか? 30年ぐらいは公にしないと安倍さんは確かそのように仰ったと思ったのだが、こんな6つの案があったとマスコミが報じてまずはびっくりした。

 

     

 

 

 

 

政府が「平成」に代わる新元号の候補案として1日の「元号に関する懇談会」などに提示した六つの原案に、新元号に決定した「令和(れいわ)」のほか、「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」の5案があった。政府関係者が2日、明らかにした。

引用:毎日新聞

 

 

  

 

 

 

 

      

 

 これらは一般人の感想コメントだが、マスコミも報道したいという気持ちは解るが、『報道の自由が野放しになっている』という意見にも納得である。

 ホントにどなたがリークしたのだろうか?

      

           

★ 昭和から平成に移った時はどうだったのか?

 調べてみたら、たった1日で昭和から平成に移っているのである。

 今回は、時間があり過ぎたから、いろいろと話題にもなったり、こんな漏洩騒ぎになったのかも知れない。

 

          

 

 

 ★それにしても、至って好評なのである。

 内閣支持率も上がったという。

 

   

 

  最初に『令和』と聞いた時は、『令』という字に???と思ったりもしたのだが、いろんな方の解説を聞いたり、『令嬢・令室』などにも使われていて、確かにいい意味もあるのだと解かったのである。

 ただ、この字はどちらの書き方が多いのだろう。

 

    

 

 

私は右側の字をずっと使っていたので、最初に『令』の筆で書かれた字を見て、ムツカシイ字だと感じたのが、正直な感想なのである。

 今の天皇陛下は私と同じ昭和8年生まれで『平成天皇』におなりになるのだが、皇太子殿下が『令和』を好感を持って受け入れられたとか。それが何よりだと思う。

 実際のところ、私など昭和の時代は、西暦よりは『昭和』で言うほうがよく解ったのだが、『平成』の時代はどちらかというと『西暦』で通してきたのだが、今年は『令和元年』が5月から始まる。

 昭和から平成の時は、ホントに突然だったのだが、今回は心の準備が出来ていて、ひょっとしたら少なくとも今年は『令和元年』がすっきりアタマに残るのかも知れない。

   

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カープの辞書 と 差別化

2019-04-03 06:50:24 | 発想$感想

 ★『辞書なのに爆売れ。異例のヒット・カープ仕様国語辞典をつくった出版社員たちの辞書愛』

  https://www.businessinsider.jp/post-188193

  こんな表題の記事があった。

  辞書が『バカ売れ』しているという記事である。

 

三省堂が3月4日に発売した「三省堂国語辞典 第七版 広島東洋カープ仕様」(税込3240円)だ。初回出荷は2万部だが、売れ行きは好調だという。

 

        

 

「辞書がこんなに売れることはない」

表紙にカープのマスコットキャラクター「カープ坊や」が描かれている国語辞典。発売後から広島県内の書店では異例の売れ行きだというのである。

 

 普通の辞書なのだが『ちょっとだけ違ったこと』をやっている。

 例えば『球場』には、カープのことをちょっと入れたりしている。

 

    

 

差別化』はマーケッテングの基本中の基本である

三省堂の担当者はこんなことを考えたようである。

「他社と違ったこと、もっと違う切り口ができないかと考えたときに、生活の中で一番重要な趣味はなんだろうか、と。それはスポーツだろうと。スポーツだったら野球だ。」

そこでまずは熱狂的なファンが多いことで知られるタイガース版で、と営業部からアイデアが出て、同社の編集トップの取締役が阪神ファンだったこともあり、「それは良い!俺がやる!」と自ら陣頭に立ち、直に球団と交渉して出版にこぎつけ、2018年3月に発売されたタイガース版は、辞書としては異例の4万部を記録した

というのである。

 

★当然の流れで第2弾という話にもなり、そこで次は今一番勢いに乗っている広島カープで作ろうとなったというのである。

第1弾で陣頭指揮を取った取締役は熱烈阪神ファンだったから、そんな想いれがヒットに繋がっているのである。

カープに思い入れが特にない人間が作ってもファンたちには見抜かれるというので、社内にいるカープファンを抜擢して対応したのだという。

 

  

 

 それに辞書の『紙の質』にも拘ったという。ネット時代の中で、『紙の辞書の良さを再認識してもらいという願い』があったようである。

 『紙の辞書』は単行本より早い段階で電子化が進んでいて、子どもの数が減ってスクールマーケットも縮小し、紙の辞書の売り上げ部数は減少が続く中でのヒットなのである。

 

 この話はなかなかオモシロい、いい話である。

 ずっとマーケッテングの分野に携わってきた私には『格別にオモシロい、いい話』なのである。

 物事を成功させる基本は『差別化』がまず第一だと思うし、次にそれをやる担当者の『情熱・熱っぽさ』だと思う。

 何事にも基本とか本質の追求が大事なのだが、それは簡単なようでムツカシイ話なのである。

 

 久々に『いい話』を見つけたので、ご紹介しているのである。

 

 

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昭和と平成を生きて新しい『令和』に

2019-04-02 06:43:20 | 発想$感想

★昭和8年に生まれて、昭和の時代を生きて、56歳の時に平成を迎えたのである。

 そして平成の時代が30年、今年新しい時代をまさに迎えようとしているのである。

 次の時代の名が『令和』と決まった。

 

 生まれてから昭和20年までの12年間は、まさに戦乱の時代だったのだが、幸いにも外地・朝鮮京城にいたので、全く戦争については経験がないと言ってもいい。

 食糧難も疎開も空襲も経験がないのだが、大東亜戦争が始まって大詔が発せられ、真珠湾攻撃があったことマレーシア進攻でシンガポールが陥落し、昭南島と名付けられたことなどはよく覚えている。

昭和20年8月15日、昭和天皇の玉音放送を運動場で直立不動の姿勢で聞いたのは中学1年生の時だった。

私の戦争体験は、昭和20年12月8日に日本に引き揚げてきて、所謂戦後の苦難から始まったと言っていい。昭和22年ごろまでの『食料難』は半端ではなかったのである。 

昭和21年4月に神戸一中の1年に再入学したのだが、明石から灘まで通った省線電車の窓もガラスではなくあちこちが板張りだったりした。

昭和22年6月、天皇陛下の神戸行幸の折は、天皇陛下がお泊りになるホテルが神戸になくて、神戸一中の教室の一室を改造されてお泊りになったのである。

 その当時のネットからの写真にもそのように書かれている。

 

 

 

 

私の中学2年生の頃で、私のクラスが選ばれて『天覧授業』を受けたのである。『授業参観』というのは後ろからだとばかり思っていたら、天皇陛下は教壇のすぐヨコ、前からご覧になるのである。

そんな時代を経て、昭和25年6月25日には『朝鮮戦争』が勃発し、日本の復興は加速し、昭和31年(1956)年度の『経済白書』には『もはや戦後ではない』という言葉が書かれたりしたのだが、私が大学に入る昭和27年頃には既に『戦後の時代』は終わっていたのかなと思ったりする。

昭和32年(1957)に川崎航空機に入社するのだが、その明石工場は戦時中の爆撃の名残をあちこちに残していた時代で、残骸の鉄骨や昔の機械を売ったりして、苦しい経営を繋いでいた。

ホントに日本が復活したのは、東京オリンピックの年、新幹線が走りだし、名神高速が出来た昭和40年(1965)頃になるころだろう。戦後の混乱の時期から、入社以来10年間で給料が20倍にもなった『変化に富んだ成長の経験』が『私の昭和の象徴』だと言ってもいい。

その後、『高度成長・バブルの時代』を経験して1989年1月に昭和の時代を終わるのだが、その時には私も56歳、現役生活もまさに最終段階だったのである。

 

★1989年1月に始まった『平成の時代』のスタート10年間は、カワサキの国内市場を担当して、カワサキにとっても最高の国内市場時代だったのだが、『昭和の経験』を活かした最高の成果だったと言えるのだろう。

1999年に68歳で現役生活を終わって2000年(平成12年)からは所謂、『定年後の生活』に入るのだが、大人しく『定年後の生活』をしていたのはほんの1年程で、2001年に『パソコン』に出会って『ネットの世界』という全く新しい分野に入ってから以降、私の『新しい人生』が始まったと言ってもいいのである。

 全然、興味・関心のなかった市政などにも興味を示したし、2006年からブログを始めてから、さらに2009年にNPO The Good Times を立ち上げ、この年にツイッターを始めて、Facebook、Instagram など新しいものに取り組んで今に繋がっている。  http://www.thegoodtimes.jp/

 68歳から始めた『ストレッチ』のお蔭で、体力年齢もどんどん若返って、86歳を迎えた今はジムに通い、体力年齢は50歳代で、『平成の次の新しい令和』を迎えようとしているのである。

 

 ★新しい『令和の時代』を迎えるに当たって、今からの目標をどう置くべきか?

 果たしてあと何年生きれるのか解らないのだが、もし、もう少し生きれるのなら、

 

● まず『体力年齢』を今のまま維持して健康に生きたい。 

● ネットの生活、ブログ・Facebook・ツイッター・Instagram などは今のレベルを維持したい。

● そして、ホントはこれが一番なのかも知れない。それは『家内の健康』である。

私が勝手に自分のやりたいことをやりたいようにやれるのも、『家内が健康』で家の中のことは『一切やらなくていい』環境があるからなのである。

 もう1ヶ月もすれば始まる『新しい令和時代』がいい時代になることを祈って、『三代を生きた人生』にしたいと思っている。

 

★いま『4月1日の12時半』である。

 今のネットは、素晴らしい速度で展開する。

 『令和』と検索すると、Wikipedia にはこのように既にアップされているのである。

 

     

 

    

 

   そして『令月』とは

 

  

 

 この竹風の盃、発表から2分ちょっとで作られたとか

 

     

 

  ホントに 令和は 昭和では考えられなかった『スピード時代』なのである。

  そんな時代を『ゆっくりと生きたいな』と思っている。

 

          

    

全般に『好評』だと言っていい。 

 

 

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カワサキバイクマガジンでお会いした懐かしい方たち

2019-04-01 06:35:38 | カワサキワールド

★『カワサキバイクマガジン』毎号送って頂いている。

 

   

 

 当然のことながら『カワサキの話題』がいつも満載なのだが、今月号には現役時代の想い出いっぱいの懐かしいお二人が大きく出ていてびっくりした。

 

  お1人目は 『堺の伊藤彰さん』である。

 

   

 

   私が初めて伊藤さんにお会いしたのは、大阪の所長に就任してすぐの昭和45年(1970)だったはずである。

   未だ、こんなお店の『伊藤モータース』時代からのお付き合いだからもう50年になる。

 

     

   

私自身が現役を離れてもう20年にもなろうとしているのだが、未だにいろいろと繋がっている。

 カワサキの特約店制は、この時期から『カワサキ共栄会』ー『カワサキ特約店』へと繋がっていくのだが、その推進者が『船場モータース』の岡田博さんと伊藤彰さんだったのである。

 屋号も『伊藤モータース』から転々と変わって、今は『忍者』だが、まさにカワサキ一筋に生きてきた人と言っていい。

 そんなお付き合いだと言うこともあって、突然『飲み屋』から電話があったり、突然こんな贈り物が届いたりするのである。

 

   

 

  『旨かった』などとうっかりお礼を言うと、次々に送られてくるので、お礼の言い方も難しいのである。

 

     

 

 伊藤さん、営業マンに対してもなかなか厳しくて、『堺の伊藤さん』の営業が務まると『一人前』だと言っていい。

 ごく最近、カワサキの慶睦会というOB会の会長をしている荒木くんと会ったのだが、その時も『伊藤さんの話』になったりしたのである。

私は覚えていないのだが、荒木くん大阪で『伊藤さんの担当をした』と仰るのである。そう言えば伊藤さん、どこかの飲み屋から『今、荒木と一緒に飲んでる』と電話があったりしたのである。 飲むと直ぐ私に電話が掛かってきて『金谷秀夫の店で飲んでる』と電話があった時は、確か九州のどなたかと一緒だったはずである。

 伊藤さんと付き合いのあるヒトはなかなかオモシロくて、金谷秀夫とも繋がってたし、吉村太一ちゃんとも、名古屋のMr.Bikeの斎藤さんとも仲がいいのである。

 私自身も、現役時代からいろんな販売店の方とのお付き合いがあったのだが、

 前述した大阪の特約店制をスタートさせるとき、わざわざ東京から応援に来てくれたのが、当時の城東カワサキさんと北多摩モータースで、このお二人が既に東京地区ではスタートしていた特約店制について大阪の候補店を集めた席上で話をしてくれたのである。

 

 ★そういう意味では、当時のカワサキの販売店政策は、販売店自身がその展開に熱心だったのである。

 当時、日本のカワサキでダントツの販売台数を誇っていたのが北多摩モータースだったのだが、カワサキバイクマガジンに

 載ってた『多摩ショップの金子武人』さんは、北多摩モータースの根本さんと関係があって、当時バイク業界にはずぶの素人で入ってこられたので、私もよく覚えているのである。

 

    

 

  創業されたのがZ2の頃だとか、ひょっとしたら私が東京営業所長を兼務していた頃かも知れないのである。

 昔のことは、ホントにすぐ忘れてしまうのだが、いまも facebook などで毎日繋がっている プロショップ西郷の西郷さんは、確か『多摩ショップ』からのスタートだったのでは?

 カワサキの多摩営業所からスタートした『多摩ショップ』も、伊藤モータースからスタートの『忍者』も、今ではカワサキバイクマガジンに紹介されるような立派なお店に成長して、ご同慶の至りなのである。

 でも伊藤さんが74歳、金子さんが75歳、写真ではまだまだお若く、お元気そうで何よりだが、もうそんなお年なのである。

 お店を初めて50年というと当然そうなるのである。

 その間いろいろあって、今のカワサキがあるのだろう。 感謝!

  

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