おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

湘南紀行その2-2

2015年01月12日 | その他

湘南紀行その2

1月5日(月)快晴

長谷寺→→御霊神社→虚空蔵堂→極楽寺→江ノ電「極楽寺駅」

○御霊神社

坂東平氏の「鎌倉景政」を祭神としているそうです。

村の鎮守社のような役割りを担って来た小社のように感じました。有名らしい

「神輿」も収蔵されています。鳥居の直ぐ前を江ノ電の線路が横切っており、

鳥居にはタブの巨木が覆いかぶさるように繁っていました。

○虚空蔵堂

行基関連の小さな堂宇。そばに「星月の井」という古くからの井戸があります。 

○極楽寺

虚空蔵堂から極楽寺切通しを通って極楽寺まで。江ノ電「極楽寺駅」の北側。

社会福祉の祖とも言われるらしい「忍性」が開山。医王如来とも言われたらしい。

忍性は後に菩薩号を授けられています。

渡来僧鑑真が伝えた律宗は戒律が厳しいことで知られているそうですが、鎌倉での

律宗の拠点として極楽寺がありました。ただし律宗も分派していて、ここでは

奈良の西大寺を総本山とする真言律宗です。

忍性は極楽寺で35年ほどを過ごしたそうです。

境内写真撮影は不可でしたから、門前の画像のみです。

創建当初は塔頭も多くて大寺だったようですが、現在は小宇です。

阿仏尼の住んだ旧跡もこの近くにあるのですが、探しませんでした。

江ノ電極楽寺駅から鎌倉高校駅まで乗車。

その3に続く

写真10 長谷寺境内

写真11 長谷寺からの眺望

写真12 御霊神社

写真13 御霊神社

写真14 極楽寺山門 

写真15 極楽寺説明版

写真16 江ノ電「極楽寺駅」

 

 


湘南紀行 その2-1

2015年01月12日 | その他

湘南紀行その2の1 

1月5日(月)快晴

大船駅→鎌倉駅→江ノ電鎌倉駅→長谷駅→高徳院→光則寺→

長谷寺→その2-2に続く 

朝8時過ぎに投宿先の「ホテルメッツかまくら大船」を出てJR大船駅に

向かう途次に「大船観音像」が見える。でもたくさんの電線があり撮影は無理。

鎌倉から江ノ電に乗り換えて「長谷」下車。まず鎌倉大仏の「高徳院」に向かう。

○高徳院

駅から意外と近い。朝早い訳でもないが、観光客はいないのが良い。

高徳院には鎌倉の顔ともいえる鎌倉大仏がある。国宝。野ざらしである。

この青銅製の像が作られたのは1200年中葉とのこと。それ以前に木像仏が

あったようですが、詳しいことは不明らしい。像高11メートル強。

初めは野ざらしではなくて大仏殿がありましたが、2度の倒壊を経て、

1369年からは野ざらしのままとのこと。

東海道名所図会では1658年の洪水でも大仏殿破れる・・・とありますが、

2000年からの境内発掘調査で1369年以後に新たな建造物の痕跡は

見つからなかったようです。だから1369年以後は立てられなかったものでしょう。

東海道名所図会では「高徳院」の条はなくて、当時は浄泉寺と言いました。

1700年初期に同じ鎌倉にある「光明寺」の末寺となり、浄土宗に転じてからは

「高徳院」と呼称するようになりました。

極楽寺の「忍性」も一時期、高徳院を住持していたようです。

○光則寺

日蓮宗関係のお寺。日蓮が佐渡流罪になったことにからみ、日蓮の弟子を

監視するために北条時頼の家臣の屋敷に閉じ込めたとのことで、その屋敷が、

後にお寺になりました。ちなみに家臣の名は「宿屋光則」。

彼は「ミイラ取りのなんとやら・・・」で、後には日蓮に帰依しています。

境内には、ここでも石を穿った「土牢」が残されています。

花の寺として親しまれているそうです。さして広くはない境内にローバイの木も

数本あって花を付けていました。

○長谷寺

宗派は違いますが、奈良県初瀬にある「長谷寺」との関係性をどうしても

考えてしまいます。どちらも十一面観音像を本尊としています。ともに同じ木から

造られた観音像とのことですが、それはどうでしょうね。

奈良の長谷寺は真言宗、鎌倉の長谷寺は浄土宗の違いはありますが、ともに

古くから善男善女、貴顕や一般大衆に関わらず崇敬を集めてきたお寺です。

観光寺院らしく手入れの行き届いた境内でした。相模湾が一望のもとに見えました。

観音像は奈良の方が敬虔な気持ちを起こさせるような気がします。

東海道名所図会では西行が銀の猫を子供に授けたのは、長谷寺の門前のよう

にも解釈できる絵があります。

写真01 高徳院

写真02・03 高徳院の鎌倉大仏

写真04 光則寺

写真05 光則寺の土牢 

写真06・07 長谷寺の山門

写真08 長谷寺の咲き始めたマンサク

写真09 長谷寺のローバイ