駿河紀行 01
10月11日 静岡県清水区 天気小雨
10月11日から2泊3日で静岡県に出向いてみました。
主の目的は西行歌に詠われた地を実際に歩いてみるということです。
西行は一つの宗派に属して特定のお寺に籠って修行していた僧ではなく、
終生、自由に旅をして過ごした僧であるとも言えます。
必然として各地の地名入り歌が多くあります。私の西行のページ。
http://sanka11.sakura.ne.jp/sankatop.html
私自身は西行の足跡をたどって、かなりの所に行きましたが、
駿河はまだ行っていなくて、いつかはと思っていた地域です。
初めに駿河での西行歌の紹介。
1 清見潟おきの岩こすしら波に光をかはす秋の夜の月
(岩波文庫山家集秋歌・新潮版・西行上人集・山家心中集・宮河歌合他)
2 清見潟月すむ夜半のうき雲は富士の高嶺の烟なりけり
(岩波文庫山家集秋歌・新潮版・続拾遺集・玄玉集)
3 同じ月の来寄する浪にゆられ来て三保がさきにもやどるなりけり
(松屋本山家集)
4 けぶり立つ富士に思ひのあらそひてよだけき戀をするがへぞ行く
(岩波文庫山家集恋歌・新潮版・夫木抄)
5 いつとなき思ひは富士の烟にておきふす床やうき島が原
(岩波文庫山家集恋歌・新潮版・西行物語)
駿河の國久能の山寺にて、月を見てよみける
6 涙のみかきくらさるる旅なれやさやかに見よと月はすめども
(岩波文庫山家集羈旅歌・新潮版)
あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山を見て
7 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな
(岩波文庫山家集羈旅歌・西行上人集・新古今集・拾玉集他)
8 東路やあひの中山ほどせばみ心のおくの見えばこそあらめ
(岩波文庫山家集恋歌・新潮版・夫木抄)
このうち、8番歌の「あひの中山」は伊勢とも駿河とも言われていて、
定説がなく、当然に行くことができません。
また3番歌の「三保がさき」もここの三保ではないとする説もあります。
歌自体が西行の詠歌ではなくて伝承歌のような印象も受けます。
この旅行の簡単なメモ書きを紛失していて、記憶に頼らざるを得ないのですが、
すでに1ヶ月近く前のことを思い出しながら記述します。
京都から静岡駅まで新幹線。ローカル線に乗り換えて清水駅に着いたのは昼近く。
天気は良くなくて小雨。少し濡れる程度。駅前からのバスで三保の松原入口まで。
少し歩くと両サイドに松の植えられた「神の道」が続きます。
板敷のその道を歩いて松原まで。画像は「神の道」「羽衣の松」「三保の松原」
この三保地区は砂嘴であり、江戸時代には陸続きではなかったそうです。
西行時代ももちろん舟で渡ったはずです。
伝説の「羽衣の松」も大事に管理されていました。
浜の部分も広くて波打ち際まで歩いてみました。海は駿河湾の海。白砂ではなくて、黒っぽい
砂でしたから鉄分を多く含んでいるはずです。
雲がかかり、雨にけぶっている富士山が見えます。270ミリの最大望遠で撮影。
松原を辞して「神の道」の入り口前にある「御穂神社」拝観。
三保地区を束ねていた神社とのことですが、社殿も古く、いかにも古刹という感じです。
この社には巨大なソテツがありました。福岡の「香椎宮」や京都の「御香宮神社」の
ソテツにも匹敵する大きさだと思いました。
気楽な一人旅でもあるのですが、予約していたホテルへのチェックイン時間のことも
あり、三保の松原以外は多くは行けませんでした。
清水湊の次郎長の生家が残っているということであり、行ってみました。
今の若者は清水次郎長と言っても知らない人が多いでしょう。
私などの世代は多様な娯楽もなかったためか、次郎長の名前はよく聞いたものです。
意外と小さく質素な家でした。100年以上前の話ですし、そんなものでしょう。
小さくて当たり前とも思います。
次郎長生家から歩いたりバスに乗ったりして「鉄舟寺」まで。
時間が遅すぎたためか拝観は無理でした。
このお寺は山岡鉄舟が再興したお寺です。もとは6番歌にある「久能寺」。
だから、かすかにとはいえ西行にもゆかりがあります。
惜しむらくは内部拝観不可だったこと。これは仕方ありません。
外から見ただけですが立派な外観のお寺でした。
かくして一日目は終了。宿にチェックインして、明日に備えて早めに就寝。