181013.14生地ほか
私の出身地は愛媛県の西の端の三崎半島である。僻地である。
海に近い平地にへばりつくようにして民家があり、いくつかのそういう
集落が合併して「町」になっている。平成の合併により、今の町名は「伊方町」。
原発で有名な町でもある。
1955年頃から人口減少が始まり、以後は過疎化の一途をたどっている。
子供達が学校を卒業したら、まるで習いのように都会に移住するために、
若者がとても少ない。私も義務教育後は故郷を離れたので、故郷を
過疎化に向かわせた一人だ。
すっかり京都市民になっているとはいえ、二親が鬼籍に入った今でも、
折を見ては帰省するようにしている。
とはいえ主な用件はすでに墓参に限られてもいる。それが残念でもある。
今回は彼岸の頃には無理があり、秋祭りの日の帰省となった。
晩秋にしては天気の良い14日、若者たちによって行われる秋祭りをかいま見る。
なつかしい記憶が呼び戻さる。人が時間の帯の上を歩いて過ぎるという事は、
その分だけの堆積した記憶を持つという事なのだが、幼少の頃のこういう類の記憶は、
わけもなく嬉しい。もちろん、嬉しいという感情だけであろう筈はなくて、
我が来し方を振り返りみるのは、複雑なものがある。下の画像は生地でのトワイライト。
10月09日にはカメラグループの皆さんと万博記念公園での撮影会。
そして昨日は、今年はまだ邂逅のないアサギマダラ蝶を求めて近くの公園まで行く。
運よく出会う。なんとなく嬉しい。今年は飛来数が少ないと思うが、ひょっとしたら
台風21号の難を避けるすべを持たずに、多くの個体が命を落としたのではなかろうかと
思ったりする。ことのほか風が強くて、建物の倒壊もあったのだから蝶には過酷
過ぎたのではなかろうか・・・?
他にも少し画像を出しています。いつものようにワントライブをご覧願います。