180511 東寺ほか
5月3日に平安神宮に行って以来の外出である。
もう一か月ほど前から患っている右肩の痛みがどうしても取れなくて、
おとなしくしていたのだが、天気も良いことだし、思い切って出かけてみた。
JR西大路駅で下車して歩いて「羅城門址」。
ここが平安時代の都の南端でもあり、五畿七道の出発点でもあった。
この羅城門も1000年ころには倒壊し、盗賊の住処にもなっていたらしいことが、
渡辺綱の伝説にも見える。
現在は小さな公園なのだが、数種の植物が植栽されているので立ち寄ってみた。
花アロエとヒメヒオウギアヤメの撮影は以前にもしたことがある。
それは数年前だというのに、今回もまた見ることができて、ちょっと懐かしい。
次いで「東寺」。南門から入る。普段は弘法市の混雑さは無いので、
弘法市の21日を避けて行くようにしている。
赤くて大きいモミジのヘリコと「天邪鬼」の撮影を主にする。
風が強くてモミジ撮影は散々のできである。被写体ブレは仕方ない。シャッタースピード
優先ででもと思ったのだが、そうしないまま20枚ほどを撮ってみる。
パソコンに入れてみると、案の定ブレが多い。
天邪鬼はF値を開放にすると防護網の線が見えなくなるかとも思ったが、
F値を下げられない。5.6から下りないので、網の目がきれいに映り込んでいる。
まあ、仕方なし。
「天邪鬼」とは人知れず屋台骨を必死で支えている素晴らしい鬼を言うのだが、
むろん別の意味もある。
東寺の宝物館に所蔵されている両界曼荼羅や各仏像は素晴らしいものだが、
久しく見ていないというのに、今回も宝物館には入らずに枳殻邸に向う。
枳殻邸も久しぶりである。「枳殻邸」は別称で、正しくは「渉成園」という。東本願寺の別邸。
庭内には「塩釜」があるのだが、これは源 融の河原院の塩釜を模したものらしい。
融の河原院は枳殻邸よりは少し北に当たるという。つまり枳殻邸は河原院の跡地ではないということだ。
従って融が大阪湾から潮を運ばせて焼いたという塩窯ではない。
そんなことは別にしても良い庭であることは確かだ。池には日本睡蓮だと思うが咲き始めていた。
睡蓮は白花ばかりで日差しが当たって白飛びしてしまって、どうにもならない。
こういう時は彩度は下げなくてはならないが、下げても白飛びするので手に負えない。
Mモードでシャッタースピードを上げて対応すれば、もっとましな写真になったかとは
思うが・・・。なかなか難しいものだ。
かくして私のこの日は終った。
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