08年円山公園(1)
4月4日、この春の桜をどうしても見たくて、阪急電車で河原町まで
出て、円山公園、知恩院、平安神宮、疎水、南禅寺から哲学の道と歩いてきた。
桜は今が盛りと咲き誇っていて、満開の素晴らしい景観を演出してくれている。
こういう環境に身体ごと浸れるということは、とてつもなく嬉しいことだ。
単純に植物の桜の満開を見るという相対的な立場を越えて、私の中に桜を
取り込み、かつ、桜が私を取り込み、そして渾然と一体となっているような
不思議な空間に桜は私をいざなっているようにさえ感じる。
円山公園は明治19年「1886」年に造られたもの。この公園の北側に
「円山安養寺」があり、公園の名称は安養寺の山号から採られている。
ただし安養寺の山号は(えんざん)と発音する。
それほどに安養寺の敷地が削られて作られた公園である。もちろん、長楽寺、
双林寺の敷地も削られたようである。
古代からこのあたりは「真葛が原」とも言われていて、歌にもたくさん
詠まれている。わびしい、寂しい感じを言う歌枕であるのだが、しかし
同時に、各種饗宴の場でもあった。昔から人々はこのあたりに集っては
飲食をし、春や秋の景物を愛でてきたという歴史がある。
初めの画像は高瀬川の桜です。花見のための場所取りとか、朝から宴会
などということはこの季節だけの風物詩とも言えるでしょう。
初めの画像は四条小橋高瀬川の桜、二番目は四条大橋東詰めのお国像。
後は円山公園です。
4月4日、この春の桜をどうしても見たくて、阪急電車で河原町まで
出て、円山公園、知恩院、平安神宮、疎水、南禅寺から哲学の道と歩いてきた。
桜は今が盛りと咲き誇っていて、満開の素晴らしい景観を演出してくれている。
こういう環境に身体ごと浸れるということは、とてつもなく嬉しいことだ。
単純に植物の桜の満開を見るという相対的な立場を越えて、私の中に桜を
取り込み、かつ、桜が私を取り込み、そして渾然と一体となっているような
不思議な空間に桜は私をいざなっているようにさえ感じる。
円山公園は明治19年「1886」年に造られたもの。この公園の北側に
「円山安養寺」があり、公園の名称は安養寺の山号から採られている。
ただし安養寺の山号は(えんざん)と発音する。
それほどに安養寺の敷地が削られて作られた公園である。もちろん、長楽寺、
双林寺の敷地も削られたようである。
古代からこのあたりは「真葛が原」とも言われていて、歌にもたくさん
詠まれている。わびしい、寂しい感じを言う歌枕であるのだが、しかし
同時に、各種饗宴の場でもあった。昔から人々はこのあたりに集っては
飲食をし、春や秋の景物を愛でてきたという歴史がある。
初めの画像は高瀬川の桜です。花見のための場所取りとか、朝から宴会
などということはこの季節だけの風物詩とも言えるでしょう。
初めの画像は四条小橋高瀬川の桜、二番目は四条大橋東詰めのお国像。
後は円山公園です。
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