CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

LED ZEPPELINのリマスター・プロジェクトに関する考察、その後

2016年07月21日 | LED ZEPPELIN関連
助手:博士! LED ZEPPELINのリマスター・プロジェクト完結して早くも1年経っちゃいましたね~

例のスーパー・デラックス・エディションのボックス・セットも、残り3作のうち結局買ったのはPRESENCEだけで、IN THROUGH THE OUT DOORとCODAは見送りとなり、無駄遣いコレクションも完結とはなりませんでしたね。

博士:ワシとしては、PRESENCEの“アキレス最後の戦い”で一応ZEPは完結したという考えを以前から持っていたこともあったし、コンパニオン・ディスクの内容もそれほどそそるものじゃなかったので、最後の2枚のボックス・セットに関してはどうしてもって感じではなかったのじゃよ。

それに、クイーンのボックス・セット買ってしまったから、予算がまったく無くなってしまったのも理由の一つじゃ。

助手:なるほど、なるほど。

博士:なるほどは一回でよろしー

ところで、昨年この記事をアップしたとき、ちょっと調子に乗りすぎて“劣化・ツェッペリン”なんて書いてしまって…

これを目にした熱烈ZEPアーミーの方々はさぞかし不満を感じられたことかも知れんの~

反省の日々じゃよ。

改めて、レッド・ツェッペリンは決して劣化しない、永遠に不滅だ!

助手:なんだか、何処かの球団みたいですね。

ところで、博士。9月にTHE COMPLETE BBC SESSIONSなんて出るのご存知ですか?

何でも、1997年に2枚組みCDで発売されたBBC SESSIONSの完全版だそうです。

1969年3月に録音され、マスター・テープから消去されたなんて話のある幻の音源で、今回その音源を1枚のCDにまとめて、前回の2枚のCDと一緒に3枚組みで売り出すみたいですよ。

ちなみに、3枚目のCDに収録される未発表曲は、
1. Communication Breakdown
2. What Is What should Never Be
3. Dazed and Confusion
4. White Summer
5. What Is What should Never Be
6. Communication Breakdown
7. I Can’t Quit You Baby
8. You Shook Me
9. Sunshine Woman
だそうです。

そのCD3枚組みに加え、ダウンロード・クーポンの付くLP5枚組も別に発売され、さらに3枚組みのCD5枚組みのLPと48ページのブックレットを加えたスーパー・デラックス・エディションも出るとの事です。

博士:何じゃと!

CDとLPあわせた8枚組みのスーパー・デラックス・エディション・アゲインじゃと!

過去の音源も今回リマスターされるのかも知れんが、心の中では今回の未発表音源はCD1枚の発売で充分だと思うのじゃがのう~

今回もスーパー・デラックス・エディションと言う言葉に心が揺さぶられる博士であった。

まあ、お金がなければ買わなきゃいいだけの話ではあるが…

SpiritのTaurusってZepの天国への階段に似ている?

2016年06月24日 | LED ZEPPELIN関連
以前ブログにアップしたレッド・ツェッペリンII、このアルバムの数曲に既存のブルースの曲から歌詞などが引用されたにも拘らず、オリジナルの作者名がクレジットされていなかったことから、後日クレームを受けた。

それらは、A面の1曲目WHOLE LOTTA LOVE、3曲目の THE LEMON SONG とB面の5曲目BRING IT ON HOMEだった。

最終的にWHOLE LOTTA LOVEのクレジットにはウィリー・ディクソンが追加、LEMON SONGにはバーネットが追加、そしてBRING IT HOMEはオリジナル表記だったペイジ・プラントからディクソン単独に変更となった。

これらは、従来のブルースに彼らのハード・ネスをありったけぶち込みニューロックなるものを創造したことはすばらしい事だったといえるが、やっぱり原曲を作ったブルース・マンの存在を当初まったく無視したのはいただけない。

今回の話は、“天国の階段”のオープニング・コードのパクリ疑惑についてである。

これもかなり以前から話題になっていた件であるが、アメリカの60年代末頃にSPIRITと言うサイケデェリック・バンドが活動していた。

彼らの68年デビュー・アルバムに収録したインスト・ナンバー、TAURUS(67年作)のオープニングが“天国への階段”に似ていると言う事だった。

ペイジによると、SPIRITとは一緒のアメリカ・ツアーを68-9年に行い、彼らのセカンドとサード・アルバムは購入したが、TAURUSの入ったファーストは買ってもないし、また聴いたこともないと主張していた。

SPIRITサイドとしては、両バンドがツアーを一緒に行っていたのだから、TAURUSをツアーの何処かで聴いた可能性がまったくなかったとは言い切れなく、イントロ部分はパクリという主張だった。

作者でバンドのギタリスト権ボーカルだったランディー・カリフォルニアは、1997年海で自分の息子を救助する最中に溺死してしまい、その後彼の管財人が2014年に訴訟を起こた。

そして2016年4月に、裁判所が、“この案件は陪審員による評定に値する内容だ”と判断し審理が開始された。ようやく昨日になって、陪審員により、 “盗作というほど似ているわけではない”との判決が出た。

ZEPとしては一件落着、また私も同感で、同じコード進行でゆったりとしたペースでのアコギの演奏となると、なんとなく似ている感じに成るのは避けれない。しかしながら、今回の事例は実際に音源を比較してパクリとまでは言えないと感じた。

もしこの程度のことで、裁判所がパクリと認定するのであれば、日本の演歌なんて訴訟合戦となる。

演歌の場合、イントロなんてほぼ一緒。歌を歌いだしたところで、歌詞の違いに気が付いて、ああ~、これは別の曲だと認識する。

ただ裁判で勝ったとしても、演歌のレコードやCDなんてまったく売れない時代だから、そのままにしているって感が。

やっぱり、この手の訴訟は、相手からいくらふんだくることが出来るかで裁判に進展するかどうかが決まるのだろうね。

私としては、今回の“天国の扉”よりも、どちらかと言えばフィジカル・グラフィティーに収められた、死にかけて、IN MY TIME OF DYINGについて一言いいたい。

この曲はディランも彼のファースト・アルバムで同曲をカバーしていて、作者不詳のゴスペル・ソングとして知られている。

フィジカル・グラフィティーでは、この曲のクレジットとしてゼップ4人の名が記載されいる。

確かに、間奏パートはZEPそのもので、すばらしいハードなアレンジが施されているが、歌うパートは作者不詳のゴスペル・ソング、IN MY TIME OF DYINGそのものである。しかし知らない人が聴いたら、ZEPのオリジナルってなってしまう。

作者不詳で、さらに版権を管理する会社が存在しないのであれば、たぶん印税は発生しないから、TRAD.の追加表記はZEPにとっても問題はなかったと考えるのだが…

何故4人の作者名に追加としてTRAD.と表記出来なかったのかな~? 

このあたりがこの偉大なバンドの残念な点だと改めて思うのであるが。

Taurus- Spirit

サザーン・ツェッペリンの正体

2015年09月01日 | LED ZEPPELIN関連
地味頁: HI! 皆さん~ 元気ですか~

地味頁です。IN THROUGH THE OUT DOORの最新リマスター楽しんで貰えたでしょうか?

何! リマスターにより本編の音質は改善されたけど、アウト・テイクのコンパニオン・ディスクはもういらないって?

IN THROUGH THE OUT DOORからHOT DOGとIN THE EVENINGの2曲が演奏されている 1979年のデンマーク・ツアーか1980年のヨーロッパ・ツアーの音源があるはずで、そのライブをコンパニオン・デイスクで聴きたいって!

ええー? 地味変を見習えって? 彼なんか死んでから、未発表のスタジオやライブの音源を公式に惜しげもなくバンバン出してるって?

わかりました。もし公式に出せるようなクゥオリティーの高い音源が発掘されれば、イエスの14枚組ライブ、プロジェニーのように、ライブ・アーカイブの超スーパー・デラックス・エディションを出したいと思います。(ほんまかいな?)

その箸休めとして、1999年にグリーク・シアターでBLACK CROWESと共演したサザーン・ロック・ツェッペリンでも聴いていただければと思います。選曲がユニークですよ~

DISC 1
1. CELEBRATION DAY
2. CUSTARD PIE
3. SICK AGAIN
4. WHAT IS AND WHAT SHOULD NEVER BE
5. WORK UP THIS MORNING (B.B. KINGのブルース・ナンバー)
6. SHAPES OF THINGS TO COME (YARDBIRDSの曲)
7. SLOPPY DRUNK (JAMES ROGERSの曲)
8. TEN YEARS GONE
9. IN MY TIME OF DYING
10.YOUR TIME IS GONNA COME

DISC 2
1. THE LEMON SONG
2. NOBODY’S FAULT BUT MINE
3. HEARTBREAKER
4. HEY HEY WHAT CAN I DO?
5. MELLOW DOWN EASY (WILLIE DIXONの曲)
6. OH WELL (PETER GREENがFLEET WOODMACに在籍していた頃の曲)
7. SHAKE YOUR MONEY MAKER (ELMORE JAMESの曲)
8. YOU SHOOK ME (お馴染みDIXONとLENOIR共作の ブルース・ナンバー)
9. OUT ON THE TILES
10.WHOLE LOTTA LOVE

さらに国内盤には、ボーナスとしてIN THE LIGHTとMISTY MOUNTAIN HOPがもれなく付いています~

私:なるほど、ZEPのライブでも演奏しない曲も含まれていて、なかなか興味深いセットリストですね。本家のZEPとは違い、地味さんの好きなブルースをサザーン・ロックのストレートなテイストでカラッと演奏しまくっている。コンパニオン・ディスクでアウト・テークを聴いて通ぶっているより、精神衛生上、ずいぶん良いと思いますね。

地味頁:このメンバーで来日する計画もあったのですが、都合により残念ながら叶わなかったのです。

サザーン・ツェッペリンの正体, ジミーがバンドに非常に馴染んでいるような雰囲気の写真

私:それでは、ライブ・アーカイブの超スーパー・デラックス・エディションの件よろしく頼みましたよ。

地味頁:わかりました。その旨ジミー・ペイジさんに手紙を書いてみます。ところでジミーさんの住所ご存じでしょうか?

Jimmy Page + The Black Crowes - Custard Pie (Live Oct 99)

かっこいい演奏でした。

新説 IN THROUGH THE OUT DOOR の意味

2015年08月31日 | LED ZEPPELIN関連
助手:博士! アルバムのタイトルってどうやってつけるのですかね?

博士:明確なコンセプトがあれば、レコーディング前にタイトルは出来ておるじゃろう。しかし、普通レコーディングを開始すると、当初持っていたコンセプトが途中で変化する場合もあるので、先に仮題を設定しレコーディング後に、再度検討する場合が多いと思うが。

助手:レッド・ツェペリンの1979年のスタジオ8作目にあたるIN THROUGH THE OUT DOORはどうでしょうか? 

WIKIには、”ロバート・プラントの子息が急逝した事による活動停止とパンク・ロックの隆盛から、レッド・ツェペリンは過去の遺物であるという議論が巻き起こった。それに対して、新しいスタジオ・アルバムに“ドアの外側から内側へ”という意味を込めIN THROUGH THE OUT DOORと命名した”と訳のわからない事が書いてありますが…

博士:本当に意味不明じゃ。わしは、英語の先生でないから、正確でないかもしれんが、THEという冠詞の後にOUTとDOORの単語が独立している事から、THE OUT DOORは、“出口の扉”と解釈したい。海外に行くと出口専用の扉にOUTと表示されているのを見た事があるのじゃよ。

すなわち、IN THROUGH THE OUT DOORは、出口の扉を抜けて中に入る、すなわち”いつもの行動とは逆である”という事を意味しているのではなかろうか?

助手:なるほど、今回のアルバム制作は、ペイジがドラッグ中、ジョン・ボーナムがアル中の影響で万全ではなく、ジョン・ポール・ジョーンズとロバート・プラントが主となり、今までとは全く異なる形でのアルバム制作と成りましたからね。

博士:多分録音終了後、ペイジが自身のスタジオで最終ミックスを行った時に、 今までとは違うやつという意味で、IN THROUGH THE OUT DOORとタイトルを決めたのではないだろうか? 

このアルバムの印象としては、前作のプレゼンスを引き継ぐ内容ではなく、むしろ6作目のバラエティーに富んだ内容のフィジカル・グラフィティーを軽くしたものように感じる。今までのハードでキャッチーなギター・リフもそれほどなく、ドラム演奏もかなりソフトに仕上げられている。時代に合わせ、ちょっと路線を変更してみたかったのかもしれないのう。

助手:副題をつければ、ZEP NOW! という感じですかね。

博士:ペイジはIN THROUGH THE OUT DOORの後、以前のような ハードなギター・リフとヘビーなドラムを盛り込んだアルバムを制作したかったみたいじゃ。残念ながら、ジョン・ボーナムの急逝により実現はしなかったがのう。

コアなファンの要求を完全に満足させる事は出来なかったが、ZEPとしての楽曲の水準は保たれ、ヒプノシス制作の特殊ジャケットも話題となり、全米・全英それぞれ1位に輝き、アメリカだけでも累計売上が650万枚以上という大ヒットとなった。さすがはZEP。博士も、いい加減な新説を唱えるのではなく、もっと地道にしっかりとした記事を書きブログの人気を向上させて欲しいものである。

紙袋の中に、レコードを収めるインナージャケットが入っており、インナージャケットは6種類あり、どれが入っているか紙袋から出さないと判らない趣向であった。

博士:心得た! それでは、ペイジの人気にあやかって、地味頁のペンネームで記事を書こう!

いや~ そういう問題では…

存在感(PRESENCE)とは? レッド・ツェッペリン

2015年08月21日 | LED ZEPPELIN関連
1976年の7作目のスタジオ・アルバム、PRESENCEついに購入。

このアルバムは、チャートは全米と全英共に1位となるものの、彼らのオリジナルスタジオ・アルバム8枚の中で、売り上げは最も低かった。

前作、PHYSICAL GRAFFITI の約4分の1以下であった。とは言え、世界で350万枚も売り上げたのだから、他のバンドであれば大ヒットと言えるくらいのもので、レッド・ツェッペリンの人気のレベルが非常に高かったことを物語っている。 ちなみにその次に売り上げが少なかったのは、3枚目と最終作のIN THROUGH THE OUT DOORでそれぞれ650万枚と言われている。

何故、このアルバムの売れ行きが他のアルバム比べて低かったのか?

これは、ロバートプラントが1975年8月に交通事故に遭い、足に怪我を負ってしまったからではないだろうか? 

怪我のためステージに立つ事は不可能であったため、全米のコンサート・ツアーはキャンセルすることになり、その数ヶ月後に新譜のレコーディングに突入した。

長期のコンサート・ツアーを行なうと、疲労や消耗などの負の面もあるのだが、コンサートに於ける観客の熱気や反応は、時にバンドにとって新たな創作意欲を掻き立てる原動力にもなり得る。コンサートの熱気をそのままスタジオに持ち込むことにより、新たな音楽が生まれることは多々有る。

もちろんジミー・ペイジもその辺のことは、重々承知していたのかは知る由もないが、以前よりさらにハードかつソリッドなサウンドを目指し、キーボードを排し、ギター、ベースそしてドラムのみのシンプルな構成でレコーディングをスタートさせた。

このアルバムのベストテークといえば、ACHILLES LAST STANDとNOBODY’S FAULT BUT MINEの2曲になると思う。残りの曲は悪くはないが、レッド・ツェッペリンとしては及第のレベルではないかと思う。出来上がったアルバム全体のイメージは、暗いというか冷たいように思え、彼らの1枚目や2枚目のアルバムで感じた、熱気というものないように思えたのだが…

PRESENCEのコンパニオン・ディスクは、5曲でレファレンス・ミックスとなっているが、これを何度も聴くようなことがあるだろうか? 

最終的にミックス・ダウンされたオリジナルを聴くことで十分じゃないか思うのだが… 例えば、ROYAL ORLESNSの ダミ声ボーカルのバージョンを何度もリピートで聴くことがあるだろうか? 

唯一本編に収録されず、アウト・テークとなった、10RIBS & ALL/CARROT POD POD(POD)だが、イントロからピアノのソロが続き、半ばでギターやドラムの音が加わり、ロック・サウンド仕立てになっている。レッド・ツェッペリンとしては、目新しい趣向の楽曲であろう。

本編に収録されている曲と雰囲気が異なるため、没テイクとなったと考えられているが、例えば、ジャズの入門者がよく聴くところの、ビル・エバンスやキース・ジャレットらのピアノ・ソロと比べるとピアノ・ソロの箇所はそれほどの出来ではでもないようにも思えるのだが。それを発展させて次回のアルバムで新しい事を試みる実験的な曲と捉えれば、アウト・テークに成ったのは致し方のない事だと思うのだが。

同時に、一流ピアニストによるクラッシックやジャズなどのピアノ・ソロが多くの聴衆を引き付けるその技量や表現力には改めて感心する。

辛口の評価を持っているにもかかわらず、大枚叩いて、何故この手のボックス・セット買っちゃうのか? と聞かれると…

ビートルズ、ストーンズそれにレッド・ツェッペリンらは、長きにわたり聴いてきて、少し大げさではあるが、自身の歴史の中で消し去ることの出来ない、大きなかつ厄介な存在(PRESENCE)になっている。

ボックス・セットの内容は別にして、レッド・ツェッペリンのそのPRESENCE(存在感)には抗う事の出来ない、多分興味のない人には全く理解出来ない吸引パワーが存在するのですかね~

ついに到着、ボックス・セット、PRESENCE(存在感)あり

レッド・ツェッペリン II、作者の表記問題について

2015年07月26日 | LED ZEPPELIN関連
本日、以前アップしましたレッド・ツェッペリン II の記事に関しまして貴重なコメントいただきましたので、それに関連して補足した記事をアップさせていただきます。

このアルバムの数曲に既存のブルースの曲から歌詞などが引用されたにも拘らず、オリジナルの作者名がクレジットされていなかったことから、後日クレームを受けることになったのですが、ブルース自体がトラッドなど作者不詳の音楽を取り入れている場合もあるので、ブルースをオマージュとして新しいサウンドを作り上げることに関しても同様に寛容であるべきはないかという考えも有ったと書きました。

またレッド・ツェッペリンとしては、例え似通った内容があったとしても、出来上がった曲は新たに創造された全くの別物と言う自負、つまり絶対的な自信があったからこそ、このような表記になったのではないかと思います。なぜなら、このアルバム以外にも同じようなケースがあり、それらは彼ら自身の名前がクレジットされていたからです。

英盤と米盤の楽曲に関するクレジットの表記の違いは、英アトランティックか、ジミー・ペイジやピーター・グラントの意向だったのかはよくわからないのですが、私はレコード会社の英アトランティックが、欧米は訴訟天国であり一作目があまりに売れすぎたのを懸念して、内ジャケットの作者のクレジット記載を意図的に消し、その件をあまり目立たないようにしようとしたリスク管理だったのではないかと推測します。

この手の訴訟ではジョージのマイ・スィート・ロードやジョンのビートルズ時代のカム・トゥゲザーなどが有名で、一旦それに巻き込まれてしまうと、時間やお金の浪費、そして自身の名誉まで傷つけられてしまうので大変です。

ジョンの場合は、カム・トゥゲザーがチャック・ベリーのYOU CANT' CATCH ME に似ていたのことで、その版権を持つモーリス・レヴィからクレームがつけられ、ジョンは訴訟を避けるためモーリスが版権を持つ曲をソロ・アルバムに収録し、その売上からの印税でクレーム話を収めることで決着しようとしました。アルバム”心の壁、人生の橋”のYA YAと言う曲がそれに当たるものでしたが、モーリス・レヴィに言わせると曲の仕上がりがおふざけだったとのことで、ジョンは次作のロックン・ロールに、YA YA の再録とチャック・ベリーのYOU CANT' CATCH MEまで歌わされる羽目となりました。

ゼップ同様、人気があり過ぎれば、何か問題が起こるという有名税みたいなものですね。

さて、作者名のクレジットに関しまして、今回の場合再発が多く、ジャケットやレーベルの表記に関していろいろなバリエーションがありますので、その簡単なまとめとして下記に紹介します。

要約しますと、米盤と日本盤(ワーナー・パイオニア盤)はゼップの申告に従って作者のクレジットを内ジャケットに記載。
英盤は作者のクレジットを内ジャケットに記載せず。
CDが発売されたあたりから、徐々に改定が始まり、昨年のリマスター盤の記載が最終のものとなる?
という感じでしょうか。

米アトランティック盤

内ジャケとレコードのレーベルには、WHOLE LOTTA LOVEはジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムとロバート・プラントがクレジットされている。

英アトランティック盤

内ジャケには作者のクレジット無し、ただしレコードのレーベルには、WHOLE LOTTA LOVEはジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムとロバート・プラントがクレジットされている。

日本アトランティック盤(グラモフォン盤)

内ジャケには作者のクレジット無しそして曲のタイトルのカタカナのフリ付き、ただしレコードのレーベルには、WHOLE LOTTA LOVEはジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムとロバート・プラントがクレジットされている。

日本アトランティック再発盤(ワーナー・パイオニア盤、P-8042とFCPA-1040)


米盤と同様、内ジャケとレコードのレーベルには、WHOLE LOTTA LOVEはジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムとロバート・プラントがクレジットされている。

1994年のドイツプレスのCD

内ジャケとCDには作者の表記無し、WHOLE LOTTA LOVEのみのクレジットが訂正され、ウィリー・ディクソンが追加されている。他の曲のクレジットはレコード盤と同じ。

2008年のSHM-CD紙ジャケ

曲の作者のクレジットの記載が一切なし。

2014年リマスターシリーズ

内ジャケには作者の表記無し、WHOLE LOTTA LOVE、LEMON SONGとBRING IT HOME など3曲のクレジットが訂正され、ディクソンとバーネットの名前がそれぞれ追加されている。これが最終の統一形態と思われる。

コメントしていただいた方、ありがとうございました。

LED ZEPPELINのリマスター・プロジェクトに関する考察、劣化・ツェッペリン?

2015年06月06日 | LED ZEPPELIN関連
助手:博士! LED ZEPPELINのリマスターの残り3作のコンパニオン・ディスクの詳細わかりましたよ~

PRESENCEは、5曲でレファレンス・ミックスとなっています。内4曲はPRESENCEに収録された曲で、残り1曲はアウト・テークですかね?


博士:レファレンス・ミックスって一体何の事じゃ?

助手: IN THROUGH THE OUT DOORは、7曲のラフ・ミックスとなっています。いづれもIN THROUGH THE OUT DOORに収録された曲の未完成なバージョンですね~


博士:それだけ?

助手:それからCODAがこれまたすごい!
コンパニオン・ディスクは2枚となっています。

1枚目は、8曲からなっており、内3曲は、SHMの紙ジャケでボーナス・トラックして収録されていた、BABY COME ON HOME、 TRAVELLING RIVERSIDE BLUESとHEY HEY WHAT CAN I DOです。残りの5曲はラフ・ミックスやインストなど未完成の音源です。

2枚目が、7曲で、ボンベイ・オーケストラが2曲と残り5曲は未完成のラフミックスとなっています。


博士:ボンベイ・オーケストラって一体何じゃ? センベイの間違いでは?

それにしても、これはひどいのう。LED ZEPPELIN Iについておった貴重なライブ音源のコンパニオン・ディスクに感動して、かなり期待しておったんじゃが。

IIには、同等の音源がコンパニオン・ディスクについていなかったのじゃが、まあ、Iのコンパニオン・ディスクにIIのライブ音源も入っていたので仕方ないと思ったのじゃが。

III、IVとHOUSE OF HOLLYがマニア向けの音源のみのコンパニオン・ディスクじゃったから実は心配しておったのじゃ。

PHYSICAL GRAFFITIは、元々曲が足りなかったので、コンパニオン・ディスクの内容はこんなものかと思い、残り3作、特にCODAで何かライブでの新音源 (例えば1971年の日本公演のライブとか)が出てくるかもしれないと密かに期待しておったのじゃが。

これじゃ、レッド・ツェッペリンじゃなく劣化・ツェッペリンじゃ。

助手:ごもっともです。デラックス・エディションありきで、この手のコンパニオン・ディスクをつける事で高額商品にするのは、問題ですね。

それじゃ、今回は購入を見送るという事で。

博士:ちょっと待ってくれ! もう少し考えさせてくれんかね。

と、なかなかZEP教から抜け出す事ができない、情けない博士でした。

LED ZEPPELINとYESのボックス・セットに関する考察

2015年06月05日 | LED ZEPPELIN関連
助手:博士! さっきタワレコからメイルが入っていて、どうも7月の末ぐらいに、LED ZEPPELINのリマスターの残り3作が一挙に出るみたいですよ。

博士:何ぃ~ PRESENCE、IN THROUGH THE OUT DOORとCODAのアルバムが全部出るじゃと! CODAのデラックス版とは一体どういう物なのかのう? アウト・テークを集めたオリジナル・ディスクにさらなる追加のアウト・テークを収録したコンパニオン・ディスクをつけることになるのかな?


助手:アウト・テーク中心に収録したオリジナルのCODAから漏れたアウト・テークというやつですかね? 

博士:まさか、今回CODAのデラックス版も一緒に出るとは思わなんだ。一気に3作も出るとお金が足りなくなる。まだイエスのPROGENY、SEVEN SHOWS FROM 72というボックス・セットも買おうかどうかと躊躇しているのに。

助手:えー! PROGENYのボックス・セットを買うのはやめたのじゃなかったのですか? そう思ったので、さっきアベレージ・ホワイト・バンドのボックス注文してしまいましたよ!

博士:えー! そんなの今買ったら、イエスかLED ZEPPELINのどちらかが買えなくなるぞ。今月さらにストーンズのスティッキー・フィンガーも出るというのに。最悪の場合、輸入の通常盤で我慢せねばならないのう。

助手:ところで博士、さっき調べてみたのですが、今回のイエスのボックス・セットは、72年のCLOSE TO THE EDGE TOURからの7公演を収録していますよね。
えーっと、
72年 10月31日 カナダ、トロント
72年 11月 1日 カナダ、オタワ
72年 11月11日 ノース・カロライナ、ダーラム
72年 11月12日 ノース・カロライナ、グリーンズ・ボロ
72年 11月14日 ジョージア、アセンズ
72年 11月15日 テネシー、ノックス・ビル
72年 11月20日 ニューヨーク、ユニオン・デール
だっけ。


博士:確かにそのようじゃった。で、それがどうかしたのかな?

助手:1973年発売のYESSONGSは、71年から73年にかけてのFRAGILE TOURとCLOSE TO THE EDGE TOURからの収録で、数多く行われた公演の中からベストだった演奏を抜粋し、それぞれの音源を加工して収録していると聞いています。スタジオ盤と比べれば確かに粗はあると思いますが、それでも当時のライブ音源としては比較的に聴きやすく上出来だったと思います。

WIKIで調べたところ、
72年  2月19/23日 ニューヨーク公演からビルブラッドフォードがドラムを叩くPERPETUAL CHANGE、 LONG DISTANCE RUNAROUNDと THE FISH
72年 11月 1日 カナダ、オタワ公演からROUNDABOUTの最初の部分
72年 11月12日 ノース・カロライナ、グリーンズ・ボロ公演からHEART OF SUNRISEとAND YOU AND I
72年 11月14日 ジョージア、アセンズ公演から最初の2/3に当たるパートの THE SIX WIVES OF HENRY VIII
72年 11月15日 テネシー、ノックス・ビル公演からSIBERIAN KHATRUとYOURS IS NO DISGRACE
72年 11月20日 ニューヨーク、ユニオン・デール公演からFIRE BIRD SUIT INTRO、残りの1/3に当たるパートの THE SIX WIVES OF HENRY VIIIとMOOD FOR THE DAY
72年 12月15/16日 ロンドン公演からCLOSE TO THE EDGEと STARSHIP TROOPER
注:YOUR MOVEとALL GOOD PEOPLEについては録音日の記載はなく、また、ROUNDABOUTの残りの部分の録音日の記載もなし。
と各々の公演からそれぞれの曲を収録したと推測されると書いてありました。

もしWIKIに書かれている収録のデータが正しければ、PROGENYとYESSONGSの幾らかの曲は同じ日の録音とではないかと。
つまり、YESSONGSは加工編集された音で、PROGENYは実際のルーティン通りのライブ演奏で音はそれほど加工されていないそのままのものではないかと。

博士:なるほど、なるほど、音が加工されたかどうかは別にして、もし同じ音源が部分的に採用されたということなら、我々素人はボックス・セットではなくYESSONGSで十分ということじゃな。

助手:ええ、同じような意見がアマゾンのレビューにも書かれています。さすが、上級マニアの人たちはよく知っていますね~
それじゃあ、浮いたお金でお好み焼きでも食いに行きましょう。

博士:おっと待った! まだジャケ買いの目も残っておるわい。ロジャー・ディーンのイラストには惹かれるもんがあるからのう。
難しい選択じゃ……
よし! 取り敢えず、それは貯金して、次なるボックセットの購入に備えるのじゃ!

と、わけのわからない無駄遣いの話が延々と続くのでありました。



ZEP感謝祭その2、レッド・ツェッペリン  PHYSICAL GRAFFITI

2015年05月22日 | LED ZEPPELIN関連
以前に6作目のスタジオ・アルバム、PHYSICAL GRAFFITI について書いたことがあったのですが、今週 レッド・ツェッペリンの1枚目から5枚目まで連続できてきたので、その流れを汲んで再投稿したいと思います。

前作のHOUSE OF HOLYが大ヒットした後、1973年に北米を中心にコンサート・ツアーを行い大成功させました。

しかしながら、長期にわたるコンサート・ツアーからくる疲労によりジョン・ポール・ジョーンズが一時バンドから離脱したり、バンド自身のレーベル、スワン・ソングなどの立ち上げなどに諸々の時間を消費し、前作から約2年のインターバルの後ようやく1975年2月に発売となったのが、PHYSICAL GRAFFITIでした。

当時録音された新曲のみでは、長尺の曲やレコードのA面とB面の収録の限界などの理由もあり、レコード1枚分にすればバランスが取れないことから、以前のアウト・テイクだった7曲を加えて2枚組としてリリースすることとなりました。

アウト・テイクのレベルも高くそれらを加えることにより、 ツェッペリン・スタイルのハード・ロックから、アコースティック・フォーク、プログレ、ブルース、カントリーなど更にバラエティーに富んだ内容になり、ZEP感謝祭その2のような雰囲気です。

当然このアルバムも大ヒットし全米と全英で1位を獲得し、発売後の1975年5月に駄目押しの北米コンサート・ツアーを敢行し 、ハードロック・バンドとして最高峰の地位を磐石としました。

このアルバムの定番の長尺のIN MY TIME OF DYINGとKASHMIRについては前回ちらっと触れましたので、今回はサイド4に収録されているBOOGIE WITH STUについて書いてみます。

STUはローリング・ストーンズの6番目のメンバーと呼ばれている、ブルース専門のキーボード・プレイヤー、イアン・スチュワートのことです。ストーンズ結成の際プレイには問題がないが、当時のロック・バンドのメンバーの出で立ちとは異なる風貌という訳のわからない理由で、正式のメンバーになることが出来ませんでした。そのため彼はストーンズのロード・マネージャーのオファーを受け、ブルース系のキーボードが必要な時はその都度グループに参加して演奏していました。

そのため、ストーンズのマネージャーからメンバーになる事を拒否されたにもかかわらず、黙々と仕事をこなしていった事からストーンズのメンバーからは慕われていたようです。残念ながら 1985年になくなりました。

そのイアン・スチュワートが1971年ツェッペリンのメンバーとスタジオで即興のジャム・セッションを行った際の音源がこの曲です。原曲は故リッチー・バレンスという人のOOH, MY HEADという曲で、過去の歌詞の引用に対するクレイムに懲りて、今回はツェッペリン、イアン・スチュワートとバレンス夫人の共作という事でクレジットされていたのですが、バレンス夫人サイドは、共作ではないと異議を唱えていたとの事です。


ツェッペリン・クラスになると、レコードの売り上げが莫大となり、印税の額も半端ではありません。これらのクレームも有名税の一部と考えなければならないのですかね~ 

助手:博士! イアン・スチュワートの1963年頃のマーキー・クラブでの写真を見ると、オールバックの髪型でもみあげが長いのです。だけどビル・ワイマンと比べてもそんなに、ルックスがダメとは思えないんですが。

博士:そうじゃのう~ もし髪型が丸刈りであれば、当時のビート・グループのメンバーになるのは難しかったかもしれんが。わしの時代は、男子学生は全て丸刈りじゃった。文化祭でバンドを組んだ連中も全員丸刈りで、ビートルズやCCRの曲を演っていたのう~ それが普通で特に違和感はなかったが。

助手:博士も丸刈りだったのですか?

博士:当たり前じゃ! 生徒手帳に校則で男子の髪型は丸刈りと書いてあったからのう。子供が多かったから、生徒数が1000人を超える中学校なんてザラじゃった。その半分が丸刈りじゃったから、全校集会などでは、まるで甲子園の開会式のようにズラット丸刈り頭が並んでいて壮観じゃった。

私:そういえば、その昔、日本に初めて来たアメリカ人をあちこち案内した時、 “日本にはたくさんのアーミー・スクールがあるなー”と言われました。

助手:丸刈りと詰襟の制服をいく先々で見たからですね。

と本題から外れた懐かしい話は続いていくのでした。

Led Zeppelin - Black Country Woman

学生時代、アフロヘヤースタイルの友人が、ヘイ、ヘイ、ママ~ とこの曲をよく歌ってました。 但しヘイ、ヘイ、ママ~の後は 何たらかんたらと意味不明の英語でした。

観たか? 聴いたか? 問答無用のハイブリッド・ハード・ロック !、レッド・ツェッペリン IV

2015年05月20日 | LED ZEPPELIN関連
レッド・ツェッペリン III の出来に自信を持っていたジミーペイジは III が II の売り上げと比較すると思ったほど売れずに不満を感じていたと思われます。

レッド・ツェッペリン IIIを今聴いても、個人的にはアコースティックな曲を含めて非常によくできたアルバムと思います。すなわち、その比較があくまでもスーパーアルバムだった IIと比べてであって、 現実的にみれば全米と全英ともに1位になったトップセラーのアルバムなので、なんとも贅沢な不満だったと言えるでしょう。

売り上げの減少は、III が II の続編のハード・ロック路線になるであろうとと期待して肩透かしを食らった人たちの反応だったのでしょう。それによってレッド・ツェッペリンのメンバーのプライドが傷つけられたかどうかはわかりませんが、少なくとも次作の問答無用のアルバムを作るモチベーションになったのではと思われます。

III を発売後1年以上、新譜の発売やツアーなど表舞台から消えるというリスクを犯し、ついに1971年11月に発売されたのが、彼らの4枚目の“名無しのアルバム”です。レコード会社の反対を押し切って、アルバム・タイトル、バンド名や管理番号の表記が全くなく、またメンバー自身の写真もなく名前は記号表記という前代未聞の発売形態をとりました。よっぽど自信があったのでしょうね。

アルバムの印象を簡単に述べると、更に進化したエレクトリックとアコースティックサウンドの融合により、彼らのマスターピースと言える新しい新種のロック・アルバムが完成したと言えるでしょう。 あまりにも有名な曲ばかりですので個別の曲の解説は割愛し、別の興味深い点について書き記します。

まず、天国への階段という曲の構成は、前半のアコースチック・ギターのサウンドから後半のエレクトリック・ギターのサウンドにと転換していきます。

スタジオではオーバー・ダビングで録音ということになりますが、ライブでの再現で登場するのがあのGIBSON EDS-1275のダブルネック・ギターです。IV 発売後のライブから使われ、ジミー・ペイジのトレード・マークとなります。かっこいいですね~。

その後ダブルネックが多くのミュージシャンによく使われるようになったのはご存知の通りで、私の時代でよく思い出されるのは、マハビシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリン、WINGS OVER THE AMERICAでのデニー・レーン、ラッシュのアレックス・ライフソンーなどなど、またYESのスティーブ・ハウはダブルネックの印象はなく、ステージに固定したギターと肩にかけたギターを使い分け、そしてクリス・スクゥワイアは3本のネックを使用していたと思います。


それから、このアルバムは世界の販売累計で3700万枚を売り上げたスーパー・アルバムで、言うまでもなく 全英1位に輝いたのですが、全米ではどういうわけか2位止まりとなっています。

何が彼らの指定席である全米1位を邪魔したのか調べてみますと、
1971年11月:サンタナ3
1971年12月:スライ&ファミリー・ストーンのTHERE’S RIOT GOIN ON
1972年1-2月:キャロル・キングのMUSIC
1973年3月:ドン・マクリーンのMERICAN PIEとニール・ヤングのHARVEST
1972年4月:アメリカのデビューアルバム、AMERICA
1972年5月:ロバータ・フラックのFIRST TAKE
1972年6月:ジェスロ・タルのTHICK AS A BRICK
1972年6-7月:ストーンズのEXILE ON THE MAIN STREET
1972年7-8月:エルトン・ジョンのHONKY CHATEAU
1972年8-10月:シカゴのCHICAGO V
1972年10-11月:カーチス・メイフィールドのサントラ、SUPERFLY
1972年11月:キャット・スチーブンスのCATCH BULL AT FOUR CHATEAU
1972年12月:ムーディー・ブルースのSEVENTH SOUJORN

なるほど、全米1位の入れ替わりは非常に激しく、英国勢が結構検討しているのとアメリカ人の好みがわかり興味深い結果です。  

タイミングが悪く全米1位は達成出来なかったものの、この問答無用の“名無しのアルバム”によってアルバム売り上げナンバーワンとコンサートが常時満杯となり、次回のアルバム制作も彼らの主導と成ります。

Led Zeppelin - Rock And Roll


ハード・ロックだけではない! 進化のアコースティック・ミュージック、レッド・ツェッペリン III

2015年05月19日 | LED ZEPPELIN関連
昔は、もし有望な商権を獲得すれば、少なくともその商権を維持することにより10年、20年と企業が存続することが出来ました。しかし、物事の移り変わりが激しい現代においては、そのような甘い商売は存在しなくなり、たえずマーケットの先を見据えながら進化しないと生きていけない厳しい時代となりました。ブランドの力を過信して、それににあぐらをかいていると一瞬のうちにマーケットから消えてしまうことになります。某総合家電メーカー が、つい最近まで大型の液晶画面のテレビをさかんにTVコマーシャルで宣伝していましたが、今はみる影もありません。

と愚痴をこぼしたくなる今日この頃です。

それでは本題に、

1970年に発売されたレッド・ツェッペリン、第3弾のオリジナル・アルバム、 レッド・ツェッペリンIIIは、ジミー・ペイジにとっては自信作であったと思います。

レッド・ツェッペリンは、 単なるエレクトリック・ハードロック・バンドではなく、多彩な表現能力を持ったバンドであることをアピールしたいと思ったのか、今回大胆にもはA面に1曲そしてB面の5曲の全てにアコースティックなトラッド・フォークやブルースぽい曲を配置しました。特に、A面の2曲目のFRIENDSという曲は、弦楽器のアレンジを外すとスティルス・クロスビー&ナッシュの曲のように感じるのは私だけではないでしょう。しかしながら、それを単純に彼らの曲の模倣ではないかというのは的外れだと思います。

なぜなら、すでにレッド・ツェッペリン Iで2曲がアコースティック・ギターとエレキギターの併用の曲、そしてエレキ・ギターが登場しないBLACK MOUNTAIN SIDEという曲を収録しています。またレッド・ツェッペリン IIでも同様にアコースティック・ギターとエレキ・ギターが併用された曲を収録しています。すなわち、レッド・ツェッペリン I と II で登場したアコースティック・サウンドを IIIでジミー・ペイジ好みに進化させたものと捉えた方が適切だと思います。

ただ、今までレッド・ツェッペリン I と II のハードロックに酔いしれていたリスナーにとっては、欲求不満のサウンドに映ったと思います。確かに、アコースティックのフォーク・サウンドに合わして熱狂的に踊り狂うということは出来ませんからね。

というわけで、このアルバムの評価は賛否両論あり、ハードロック・サウンドの移民の歌などの健闘もあり全米と全英の両方でチャート1位を獲得したものの、売り上げは前作に比べて半分程度となりました。

しかしながら、このアルバムに対するリスナーの反応でリスナーが彼らに何を求めているかも理解できたと思えるし、またそれ以上に次作でリスナーをあっと驚かすようなアルバムを制作しようという野心も芽生えたのではないでしょうか。

そういう意味ではレッド・ツェッペリン III は彼らのターニング・ポイントになるアルバムで、その後もトップバンドの地位を保ちながら、更に進化を続けていくことになります。

移民の歌 Led Zeppelin

その通り、これがハード・ロックというものである。レッド・ツェッペリン II

2015年05月18日 | LED ZEPPELIN関連
レッド・ツェッペリン I の大ヒットを受けて、アメリカのアトランティック・レコードよりせっつかれて翌年の1969年に発売されたのが、第二弾のオリジナル・アルバム、 レッド・ツェッペリンIIです。

前回のアルバムは、ブルースの香りは所々に感じられるが、ジミー・ペイジの巧妙なアレンジにより、いままで聴いたことのないハードなサウンドが印象的でしたが、第二弾は更に進化させたアレンジを導入したハード・ロックに仕上がりました。そして、20世紀末までに世界で1900万枚を売り上げるスーパー・アルバムとなり、またその後登場するハード・ロックやメタル・ロックのバンドに大きな影響を与えました。

個人的にも非常に大好きなアルバムで、ジミー・ペイジのギターのリフ、ジョン・ポール・ジョーンズのベース・ランニング、ジョン・ボーナムの迫力あるドラミングそしてロバート・プラントのすざましいシャウトと、どれを取っても超一流のサウンドです。

多分ご存知の方もいられると思いますが、このアルバムの数曲に既存のブルースの曲から歌詞などが引用されたにも拘らず、オリジナルの作者名がクレジットされていなかったことから、後日クレームを受けました。ちなみに、A面の1曲目WHOLE LOTTA LOVEはウィリー・ディクソンのYOU NEED LOVE から歌詞を引用、3曲目の THE LEMON SONG とB面の5曲目BRING IT ON HOMEなども同様に引用がありました。

まあ、ブルース自体がトラッドなど作者不詳の音楽を取り入れている場合もあるので、ブルースをオマージュとして新しいサウンドを作り上げることに関しても同様に寛容であるべきはないかという考えも有ります。レッド・ツェッペリンのロックに対する創造力は群を抜いており、サウンドの面ではまったく別物の曲になっているので、制作時にクレームの対象になるようなものではないと思われていたのでしょうか? また、アトランティック・レコードが 2枚目のアルバムの早期制作を強烈にプッシュしてきためツアーの合間の限られた時間でのレコーディングが行われました。そのため、そこまで考える余裕がなかったのかもしれません。後日これらのクレームがついた問題は、当事者同士で話し合いが持たれ一応解決したようです。


それでは、大音量でレッド・ツェッペリンのハード・ロック楽しんでください 。

Led Zeppelin - Whole Lotta Love


参考までに、

オリジナルレコードの曲のクレジット。WHOLE LOTTA LOVEはジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムとロバート・プラントがクレジットされている。


1994年のCD、WHOLE LOTTA LOVEのみのクレジットが訂正され、ウィリー・ディクソンが追加されている。他の曲のクレジットはレコード盤と同じ。


2008年のSHM-CD紙ジャケでは、どういうわけか、曲の作者のクレジットの記載が一切なくなっている。

こ、こ、これがハードロックというものなのか~ 恐ろしいものだ~、レッド・ツェッペリン

2015年05月17日 | LED ZEPPELIN関連
ビートルズやストーンズなど超有名グループの記事をブログにアップするとなるとかなりプレッシャーがかかります。なぜなら、超有名グループには数多くのディープなファンの方々が存在し、それらの方々のグループに対する知識や一家言などを比べますと、このブログの内容では上面をなぞっただけのノービス級の文章だと言われかねないからです。

しかしながら、そのような厳しい指摘をあまり意識しても駄文は駄文ということで開き直って、今回も無謀にもかかわらず超有名グループ、レッド・ツェッペリン I について書いてみます。

1968年に4人のヤード・バーズのメンバーのうち3人が脱退し、ジミー・ペイジのみが残りました。バンドを継承していくには、契約の残っている北欧のライブ・ツアーを実行することでした。

ボーカルのロバート・プラント、ベースのジョン・ポール・ジョーンズそしてドラムスのジョン・ボ-ナムを新しいメンバーとして迎え 、ニュー・ヤード・バーズとしてライブ公演を行い、帰国後、レッド・ツェッペリンに生まれ変わりました。ファースト・アルバムは、たった36時のスタジオ・ワークで完成したと言われています。当然ライブ公演中、バンドとしての音合わせはしていたと思いますが、短時間での完成はやはり個々の能力が高かったからでしょう。

アルバムには、ウイリー・ディクソンの2曲(YOU SHOOK MEとI CANT QUIT YOU BABY)のブルース・ナンバーのカバーそしてブルースのフレーズの入った自作曲が含まれていますが、アルバム自体を表現しますとやはり新種のハード・ロックと言えるのではないでしょうか。単なるエレクトリック・ブルースの再現ではなく、ブルースの香りは所々に感じられるが、ジミー・ペイジの巧妙なアレンジにより、いままで聴いたことのないロックだと認識されたことが大ヒットに繋がったのでしょう。全米10位、全英6位の大ヒットとなる。

レッド・ツェッペリンはオン・タイムでは聴いていなく、レット・イット・ビーが日本で発売され、その人気が一巡した70年代始めの頃、近所の兄貴が持っていたレコードを借りて聴きました。当時はビートルズなどのメロディアスなロックに親しんでいたため、それとは違った異次元の破壊力を持ったそのサウンドに打ちのめされ、一回聴いたのみでレコードを返しに行ったような記憶があります。

それから、今回調べていて初めて知ったのですが、1966年にジェフ・ベックがヤード・バーズから脱退し、 ジミー・ ペイジもなんとなく意気消沈していた頃、ジェフのベックズ・ボレロのレコーディングに キース・ムーンと一緒に参加しました。その際お互い閃いたものがあったようで、新グループの構想が持ち上がりました。ギターはペイジとベックで、ベースとドラムスにTHE WHOに在籍していたキース・ムーンとジョン・エンストルウイット、そしてボーカルにSMALL FACES のスティーブ・マリオットかSPENCER DAVIS GROUPのスティービー・ウィンウッドのどちらかだったとのことです。またLED ZEPPELINという名前は、キース・ムーンかジョン・エンストルウイットがLEAD ZEPPELIN(鉛のツェッペリン)と言ったことから付けられたとも言われています。

誕生すればすごいグループとなったのでしょうが、個性が強い人達ばかりですから、そのぶつかり合いによってアルバムが1枚完成するかしないかのうちに解散となったのではないかと思います。今まででもスーパー・グループと称されるものは数多くありましたが、いずれも短命に終わっていたからです。

それでは、大音量でレッド・ツェッペリンのハード・ロックなるものを聴いて、打ちのめされてみて下さい。

とはいえ、今では 多分普通の音に聞こえるかも知れませんね? 

昔はボブ・ディランがアコースティック・ギーターからエレキに落ち変え、大音量でかき鳴らしただけで、賛否は別として多くの人がぶっとんだ時代があったのですがね~。 ディラン曰く、時代は変わる。

Good Times Bad Times - Led Zeppelin (Studio Version - Best Quality)

ZEP本日到着。

2015年02月28日 | LED ZEPPELIN関連

このブログが解説されて丁度1ヶ月経ちました。当初はレコード収納棚あるいはCD収納棚の肥やしとなっていた最近全く聴くことのなかったレコードやCDを取り出し備忘録のようなものを作ろうというのがこのブログの始まりで、アクセスのほとんどは検索エンジンが使っているBOTだと聞いていたので、素人が書いているこのようなブログ対してアクセスはほとんど期待していませんでした。

しかしながら、BOTによるアクセスの数を差し引くと、幾らかの方々が当ブログを訪問していただいていることがわかりました。書いている本人が途中で一体何を言いたいのか解らなくなるような駄文にもかかわらず、当ブログを訪問していただき感謝します。今後とも宜しくお願いします。

さて話は変わりまして、以前に予約していたLED ZEPPELINのフィジカル・グラフィティのリマスター版が本日届きました。今日はこのアルバムについて書いてみたいと思います。

1975年の6作目のスタジオアルバムで、当時録音された新曲のみではレコード1枚分が埋まらないため、3-5作目のアウトテイク7曲を加えて2枚組としてリリースされました。アウトテイクとはいえLED ZEPPELINの作ったものだから曲自体のレベルは高く、なんとこのアルバムが彼らにとってもっとも売れたアルバムとなりました。

このアルバムのハイライトといえば、長尺のIN MY TIME OF DYINGとKASHMIRだと個人的に思っています。IN MY TIME OF DYINGは各人の演奏や歌唱技術が最大限に発揮されたブルース仕立てのハードロックです。 この曲のクレジットはメンバ-4名が記載されていますが、実際はアメリカの読み人知らずの伝承歌で、1962年にボブ・ディランがそれをカバーしています。ちなみにディランのアルバムでは、TRAD.ARRANGED BY BOB DYLANと記されています。一度ディランのカバーも聴いてみてください。ギター1本のシンプルな演奏ですが、歌はとても20歳の青年が歌ったとは思えない例のダミ声で、すでに彼としては完成の域にあったと思います。 一方LED ZEPPELINの曲は、彼らのオリジナルといっても差し支えのない、独自のアレンジでした。

KASHMIRは以外とシンプルなコード進行のプログレ系のサウンドというか、クラッシックミュージックの香りもするような不思議な曲です。どこかの映画の1シーンに使われてもぴったりとハマるでしょう。

これ以外にもバラエティーの飛んだ曲ばかりで何回聴いても飽きることはないでしょう。
ぜひLED ZEPPELINの大作、フィジカル・グラフィティ聴いてみてください。

ところで、今回届いたフィジカル・グラフィティのリマスター版は、スーパー・デラックスエディションというやつで、箱の中にCDとLPが入っています。これで同様のシリーズが6作が揃ったのですが、それらの感想を書こうにも、時間の都合で今になってもまだ一度も聴くことが出来ていません。

特典であるハイレゾのダウンロードの配信が終了するまでになんとか聴き終えたいと考えています。しかしながら、たとえハイレゾの音源を貰ったとしても肝心の耳の性能が落ちているため、せっかく無理して虎の子のヘソクリで豪華版を買ったのに、猫に小判の状態になっています。
ロックに興味のないカミさんは何も言いませんが、また無駄遣いが始まったと思っていることでしょう。


猫に小判と言われる面々です。