CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

シカゴってAORだけではないよ。

2020年06月27日 | Chicago

一週間ぶりのご無沙汰です。

久し振りにブログの記事でもアップしようかと…

本日はシカゴのライブ盤でも。

シカゴの公式ライブといえば1971年のカーネギー・ホールや当時日本でしか発売されなかった1972年の日本公演を録音した1975年発売のライブ・イン・ジャパン、それから20世紀末の1999年発売のシカゴXXVI、ライブ・イン・コンサートあたりで、72年以降のライブ音源がゴッソリと抜けていた。(まあここ数年アーカイブ的なライブ盤出てますけど。)

その穴埋めとして出たのが2011年発売のライブ・イン・75。

ちょうどシカゴVIIIが発売された頃の音源で、当時シングルか通されたOld Daysなんかが新曲として収録されていた。

このCD、アメリカのライノ社が発売した数量限定のCDボックス・セットで、通販で何とか手に入れニンマリした記憶が。

(限定盤の特典としてブック・レットとポスターが付いてきた)

音的にはカーネギー・ホールやライブ・イン・ジャパンと比べると迫力の点においてちょいと物足りないかな〜という印象。でもデビューから75年までの既出の曲のアレンジを変えたりライブ音源初登場の曲もあってそれらを興味深く聴けて、これはこれでなかなかよろし〜

しかし、2015年限定盤だったこのCDセット、パッケージをシンプルにしてお手頃な価格で再発と相成る。

当時はせっかく数量限定という事で必死になって手に入れたのに“それはないでしょ〜”と恨み節が…

でも今となっては、テリー・キャス在籍の栄光のシカゴ時代を知らない世代が多くなってきた昨今、商売とはいえよくぞ再発してくださったの一言ですかね。

途中加入したオリベイラを含む8人組でした。


私はコレでリフレッシュ、シカゴVII

2020年04月23日 | Chicago

かっての政治的なメッセージもないし、メンバー各自の音楽性を尊重し今までの枠を外して結構自由に制作されたこのアルバムはまとまりに欠けるという人もいるが、何が何でもコンセプト・アルバムで御座い〜って制作するよりは良心的じゃないかと….

シカゴVを聞いた後このアルバムを聴けばなんとなくホッとした気分になれる、1974年作のシカゴVII。

(シカゴのジャズを満喫できるサイドー1)

ところでシカゴといえばミシガン湖に面したアメリカ中部の北、イリノイ州にある巨大都市。

てっきりイリノイ州の州都と思いきや、コレが違った。

アメリカの各州の州都はメガ・シティーではなく知らない小さな町に置かれているみたいで結構興味を惹かれるのでちょいと調べてみた。

例えばニューヨーク州はニューヨークではなく、オールバニー(州の中心に位置していたため)、カリフォルニア州はロスアンジェルスやサンフランシスコを差し置いてサクラメント(他の候補もあったが議会の議決で決定)などなど。

アメリカの州都選定は地理的中心、人工的、交通の要所や経済的中心などの要素、そして住民投票及び州議会による議決などによって決定されたらしい。しかしながら州が設立された当時、即ち東部13州が独立した17世紀から中西部および西海岸に至る各地に州政府が設立された19世紀頃における決定だったので、今の人にはなんでそうなるのと感じるかも。

シカゴのあるイリノイ州はスプリング・フィールドなる人口11万人の小都市に州議会の議事堂がおかれている。州の中心に位置していたのと住民投票及び州議会の議決によるものだったらしい。

グーグル・マップで小さな田舎町スプリングフィールドを空から眺めると、ありました! 建物中央がドーム型になった州議会議事堂が。

日本も見習って、国会議事堂、国会議員宿舎や中央官公庁が山奥の限界集落に移転すれば、都会の空気に毒されずリフレッシュ! ピュアな心でお仕事捗るんじゃないかと…

開放的な環境でリフレッシュされレコーディングのお仕事捗りました。

 

 


土曜日の公園のように

2020年03月07日 | Chicago

待ちに待った土曜日の朝。

朝早く起きてあの満員電車に乗らなくても済むのはウイーク・デーをしっかりと勤め上げた何よりのご褒美。

とは言え皆様に誇れるほどの大した仕事をこなしているわけでも無いが。

その悪魔のような満員の通勤電車も、ここのところそれほど混んでいなくすこぶる快適である。例の伝染病対策として時差出勤が奨励され大手の企業を中心にそれが実施されているのだろう。

それは私の周りでも。

ある得意先が始業時間を30分ずらして9時半に変更したと聞いてなるほどと納得。

もしこの期間限定のドリルがそれぞれの日々の生活に影響がないのであれば、一連の問題が解決した後もぜひ続けていただければなんて自分勝手なことを思い描いたりしている。

願わくは、現在の困難が素早く解決され早く元に戻って欲しいと…

 

(1972年のシカゴの大ヒット曲)


チョコレートの誘惑

2019年09月07日 | Chicago

1976年に発売されたシカゴ通算10枚目のアルバム(カーネギーホール・ライブとベスト盤を含む)、Chicago X(邦題カリブの旋風)。 

(おせんにキャラメル、シカゴのチョコはいかがすっか〜) 

何処がカリブの旋風って言いたいところだが、多分ロバート・ラム作のAnother Rainy In The New York Cityがラテン・タッチのポップ・ナンバーだから安易にアルバムの邦題として付けられたのかなと考える。 

このアルバムの肝は、Chicago V辺りから徐々に政治的なメッセージを減らしてきて、このアルバムで完全にAORの路線にシフトした事だろう。

 

特にその極め付けは、ゴディバの上品な甘さ味わえるような魅力を持つピート・セテラ作、大ヒット・ナンバー、If You Leave Now。

 

この曲の大ヒットにより、チョコレートの甘い誘惑に完全にハマってしまったレコード会社は、その後同様の売れ線バラッド・ナンバーをバンドに作るよう圧力をかける事になる。 

その是非はともかく、If You Leave の大ヒットはピートにとって後日バンドから脱退しソロ活動をやって行く考えにかなりの自信をもたらしたのではと思う。 

そう甘い物好きにはチョコレートの誘惑には抗えない。 

でも食べるならせめてシュガー・レスのビター・チョコでカロリー控えめに。


80年代はちょいと苦手かな?

2019年06月11日 | Chicago

1980年に出た前作のスタジオ・アルバム、Chicago XIVがほとんど注目されないまま人気も下降。 

バンドの将来が危ぶまれる様な事を避けるためにも、心機一転のテコ入れが行われた。

翌年の1981年には繋ぎとして2枚目のベスト・アルバム、Chicago 15 Greatest Hits Vol.2が企画された。 

そして1982年はいよいよ勝負の年、テリーが抜けた穴に、サウンドに厚みとバラエティーを持たせるため新メンバーとしてビル・チャンプリンをボーカルとキーボードの担当として正式メンバーとして加入させた。 

さらに、70年代の旧態ロックサウンドに別れを告げ80年代を生き残るため、プロデューサーにAOR系のミュージシャン、デビッド・フォスターを迎え完成したのが、1982年のChicago 16。

(レーベルもCBSからワーナー系のFull Moonへ)

発売されるや否や大ヒットをもたらし、シカゴ復活となる。 

ブラスサウンドは健在であったが、かってのジャズ・ロックの面影は全く見当たらなく、1980年にデビッド・フォスターがジェイ・グレイドンとトミー・ファンダーバーグらと組んだバンド、エヤプレイが唯一出した 80年代のAORのお手本ともなるアルバム、Airplayと同系統なポップなサウンドに仕上がった。

(AORが大好きなお宅に是非一枚)

70年代ロックに変わって登場したパンクやディスコもいつのまにか屍と化してしまい、80年代は大きく分けてメロディアスなAOR路線とハード・ロックをさらに尖らせたメタルロックの2極化へと向かった。

シカゴもこの新しい路線で80年代を乗り切っていく事となり、私のような70年代のロック・ファンは敢え無く滅んでいく運命に….

80年代若き日の博士:AORはちょいと苦手じゃ! これからはフュージョン・サウンドだべな。

80年代若き日の助手:ハハ〜、お仰せの通りに。それでは早速、ハービー・ハンコック、スパイロ・ジャイラ、リー・リトナー、ウェザー・レポート、それにカシオペアなぞを仕入れてまいります。 

しばらくのお待ちを〜

てな事で、私も方向転換を図る事となった。


シカゴのロック

2019年03月18日 | Chicago

最近100円ショップで買った木箱を使って小型スピーカー・スタンドを作成し、デスク・トップとして両スピーカーから約70センチの距離に鎮座して音楽を楽しんでいる。

10年以上前に買った実売価格1万円ちょっとの小型ステレオ・コンポ用のスピーカーではあるが、近場に設置して聴いてみるとこれはこれで中々迫力のあるサウンドであり、これが結構ツボにはまる。

今まで深夜にそこそこの音量で聴く場合は周りの迷惑にならないようにオープンエヤ・タイプのヘッド・フォンを使っていたのだが、新しい環境では絞った音量で十分なためヘッド・フォンがお役御免ってことになった。

今宵は、迫力のあるブラス・サウンドのロック・バンド、1969年のシカゴのデビュー・アルバム、Chicago Transit Authorityを至近距離で聴いてみる。


(ジャケ表)


(ジャケ裏)

メジャー・レーベルからのデビューで2枚組アルバムとかなり気合いの入った出来の内容となっている。

フラワー・ミュージックでは世の中動かないってことで、当時のカウンター・カルチャーを代表するちょいとハードなロック・サウンドを用いて結構アグレッシブに政治的メッセージを発信していた。

日本じゃ三波春夫が、コンニチワ〜 コンニチワ〜 世界の国から〜 ….1970年のコンニチワ〜♪♪って歌ってた頃だからギャップがすごい。

ところでシカゴのロックを聴いてどれだけの日本のリスナーが政治について目覚めたお方はいたのかな?

多分、Does Anybody Really Know What Time Is It? (一体現実を把握している者はいるだろうか)って問いかけに私を含めてほとんどがNoと答えたのではないかと….


(SONY・CBS設立10周年記念盤の1976年のセカンドプレス、1枚目の2曲目にDoes Anybody Really Know What Time Is It?)

まあそこまで目くじらを立てなくとも、聴く人が楽しければそれでいいのだと思う。


尖るよりも丸みを持った方が

2018年03月20日 | Chicago

助手:アメリカの俳優やらミュージシャンは日本と違って政治の場によく出てくるので驚かされますね。

博士:前回の選挙なんかでもそうじゃったが、著名人の応援合戦が激しかったのう〜 

これもお国柄かもしれん。

助手:日本の場合は人気商売を意識してか、中立って立場を取る人が多いですね。

博士:わしの記憶の中では、1972年のアメリカの大統領選挙じゃのう。

ニクソン大統領の二期目の就任を阻止するため、民主党は党の予備選でハンフリー候補を破ったマクガバンを大統領候補に立てた。

当時の日本の洋楽ファンなんかはまだ記憶しておるかも知れんが、サイモンとガーファンクルがマクガバン候補の応援のためのコンサートに登場したことじゃ。

日本じゃこれほどの大物が、最大の政治ショーに絡むのはあり得ないからのう。

助手:そう言えば、ジャズ・ロックが主体であった初期のシカゴ も 結構政治的な発言を含む曲を披露するほど尖っていたようで。

博士:有名なところでは、ファースト・アルバムに収録されている、Prologue, August 29, 1968やSomeday, (August 29, 1968)なんかは、1968年のアメリカ大統領選挙関わる民主党大会の情景を歌っていて結構政治色が強かったのう〜

助手:音楽活動においても、ビートルズや前出のサイモンとガーファンクルのような実績のある大物達のように、売れるからといって彼らの許可なしに自主企画のシングル盤やベスト編集のアルバムを出さないようにレコード会社に申し入れていたみたいで、ここでもかなり尖っていたような…

博士:その通り、ここに貴重なアルバムがある。

CBSソニーは、シカゴの1971年の初来日の直前に、コンサートのプロモートとして日本編集のベスト盤を出したいと考えていたのじゃが、許可が下りるかどうかわからなかったそうじゃ。

そこで日本サイドから練りに練ったアルバムの選曲やジャケのデザインなどを提示したところ、なんと特別に許可がおり、当時としてはシカゴ初のベスト盤だったと記憶しておる。

助手:それが、“栄光のシカゴ”というアルバムですね。

博士:ジャケットのデザインも、星条旗の星をバックに真っ赤のシカゴのロゴをジャケの真ん中に配置する、なかなか当時としては垢抜けたデザインじゃ 。

文字の記載はなく、ただシカゴのロゴのみ

ダブル・ジャケットの内側

アルバムの収録曲、初期故に、小難しいタイトルが並ぶ

助手:その後は、AOR路線に舵を切り、政治色は薄れてバラード中心のヒット・シングル狙いにいってますね〜

それに、もちろん彼等の意向に沿ってだとは思うが、ベスト盤が彼方此方から独自編集でバンバンと出てきて、ちょっとびっくり。

エェ〜、贈り物に、シカゴのギフト・パック・シリーズは如何すっか〜、それともキンキラ・ジャケのゴールド・ディスクなんてのもありますよ〜

博士:あまり尖りすぎると、一般的なファンはついてこれなくなるからのう〜

何事もほどほどで、少しばかり丸みを持った方がいい時もあると思うのじゃが….

わしも帰国後、飯ウマでちょっと体型に丸みを帯る状態となっておる。

助手:それは、ちょっと違うような….




Alive Again、俺は生まれ変わるぜ!

2018年01月01日 | Chicago

一年の計は元旦にありと昔から言われている。

と言うことで、今年は生まれ変わったつもりで消極的な生活にはおさらば、何事にも積極的に係わって生きて行こうではないかと!と誓いを早速立てる。

ご存知シカゴの1978年のアルバムHot StreetsからシングルカットされたAlive Again。

ギターのテリーが自殺か事故だったかは分からぬが、ロシアン・ルーレットなる死亡遊戯で1978年の1月に死亡。

重要メンバーが急にいなくなって、シカゴとしても気分新たに再出発する必要があった。

急遽新ギタリスト、ドニー・デューカスをリクルートし、また長年のプロデューサーを勤めたジェームス・ガルシオから、ビリー・ジョエルやポール・サイモンのヒット・アルバムをプロデュースした事でおなじみだった売れっ子AOR系のフィル・ラモーン起用。

スタジオもガルシオ所有のコロラド、カリブー・ランチから、フロリダのクリテリア・スタジオの変更し心機一転。

ドニーの印象的なイントロのギター・カッティングに続いて、シカゴ・ホーン・セクションが炸裂、そしてピート・セテラの甲高い歌声が響く。

オォ~! これぞ新年スタートの誓いに相応しいじゃないか!

Yesterday I would not have believed
昨日はとても信じられなかった
That tomorrow the sun would shine
明日、太陽が輝くなんて
Then one day you came into my life
そしてある日、君は俺の元にやってきた

I am alive again
俺は生まれ変わったのさ
I am alive again

All the empty yesterdays have disappeared
空虚だった過去とはおさらば
Now that you have filled my life with love
君が俺の人生を愛で埋めてくれるから
No one else could ever mean so much to me
誰もそんな事出来やしなかった
Every day my high lasts longer
ハイな気分が毎日続く
As our love grows ever stronger
俺達の愛は今まで以上に強くなるからさ

助手:博士! ノリノリのところ水を差すようですが、この歌はちょっと問題ありと思うのですが…

博士:どう言うことじゃ?

助手:これって、新しい彼女が登場して生まれ変わったって内容ですよ!

博士:おお、そうじゃった。うっかりしておった。この歌を歌って調子に乗っとると、か~チャンにこっぴどく𠮟られるところじゃった。

助手:やっぱり、博士は今まで通りブログをシコシコと更新しながら地味に生きていくのいいのじゃないかと…


と言う事で、今年もよろしくお願いします。


長い夜はつらいよ

2017年09月07日 | Chicago

9月も1週間が過ぎて、日本では日中の気温が30度以上になることも無くなり過ごし易い季節に突入してうらやましい限りである。

此方は相変わらず、日中は30度を越え、夜中になっても気温が落ちることなく寝苦しい夜が続く。

あまりに蒸し暑いので、夜中にふと起きて水を一口。時計を見ると午前3時を廻ったところ。

そんな時思い起こすのが、シカゴの“長い夜”。

オリジナルのタイトルは25 or 6 to 4。

“25もしくは6から4”って一体なんの事?

子供の頃は、深夜のAMラジオなんかでよくかかっていた、歌詞の意味は判らなくともキャッチーなメロディーを持つ3分程度のポップ・ソングを好んで聴いた。

ある日部活の先輩が、シカゴ結構いいよ~って言ってきた。

のっけからテリーのギターがうなり、ベースとドラムが被さるヘビーなイントロに続き、シカゴのホーン・セクションがフル・スロットルでパ~パパッ~と炸裂する絡んでいく派手な出だしの曲だった。

うるさ過ぎたり、ジャズっぽいものやインプロビゼーションが極端に長い曲など、69年から70年代にかけて急成長を遂げたニュー・ロックと呼ばれるサウンドは少し苦手であった。

シカゴもそのうちの一つだった。

しかし、そんな私も友人らとのレコードの貸し借りや、深夜ラジオから流れたニュー・ロックなるものを耳にすることによって、少しずつ免疫みたいなのが出来たみたいだった。

聴くジャンルが広がり、シカゴも好みのバンドと相成った。

と言うわけで、つたない英語力であるが翻訳を試みる。

Waiting for the break of day
夜明けを待ちながら
Searching for something to say
何か言いたい言葉を探す
Flashing lights against the sky
空に向ってライトが点滅
Giving up I close my eyes
目を閉じるのを諦める
Sitting cross-legged on the floor
足を組んで床に座る
25 or 6 to 4
あと25-6分で午前4時

Staring blindly into space
眠気が迫り来る
Getting up to splash my face
顔を洗って眠気を覚ます
Wanting just to stay awake
起きたままでいたい
Wondering how much I can take
どれだけ我慢できるのか
Should I try to do some more
もうちょっとそうするべきなのか
25 or 6 to 4
あと25-6分で午前4時

Feeling like I ought to sleep
眠るべきじゃないのか
Spinning room is sinking deep
部屋がぐるぐる回って深く沈んでいく
Searching for something to say
何か言いたい言葉を探す
Waiting for the break of day
夜明けを待ちながら
25 or 6 to 4
あと25-6分で午前4時

その昔ドラッグに関する歌で、夕方6時に服用すれば朝4時ごろまで効き目が持続するなんてこと聞いたことがあり、その様な雰囲気も感じる。

しかし、作者のロバート・ラムによると、ある日夜通し曲作りに励んでいて、思ったように形にならない中、ふと時間を見ると午前3時34-35分頃だったということを歌ったものだとか。

これだけ派手な演奏をされると、眠気も吹っ飛び、明け方まで眠れない本当の長い夜になるだろうが、超熱帯夜で汗が噴出すような眠れぬ夜を過ごすよりはいいかもしれない。


たまには古いレコードも その5、“花びらが散った後のシカゴがとても冷たくされるように”

2017年04月04日 | Chicago

ここ1ー2週間少し肌寒い天候が続いたが、今日は本当にあったかくなり、春って感じで心地よい。

駅前の桜も例年だったら、すでに満開だったのに、今年は天候のせいだったのか、今の所だいたい半分程度の開花にとどまっている。

就職、進学やその他諸々のことが4月からスタートするのは、知っている限りでは日本だけだった気がするのだが…

ところで、その昔、風というフォーク・デュオがいて、彼等の楽曲に、“ささやかなこの人生”って曲があった。

その歌詞の一節に、“花びらが散った後の桜がとても冷たくされるように”とあり、確かに桜は不当とも言える扱いを受けているように思える。

多くの人たちが新たにスタートを切るのを祝うこの日のために、11ヶ月の間ずっと力を蓄えてきて、一気に花を咲かせ新しい門出を祝いそして何も言わずに散っていく 。

なんと健気な!

我々の普段の生活といえば、毎日何か特別なことがあるわけでもなく、普通は平凡に過ぎ行く日々がほとんど。

オイオイ、この地味なブログは一体いつまで続くの? って感じで…

桜のように、毎年一度は何かドカ〜ンとやってみたいと思う今日この頃。

そして今日一枚は、1980年のCHICAGO XIV.

これも地味なアルバムで、前年に出したディスコ・フレーバーのCHICAGO XIIIが、ビリー・ジョエルなどアルバム名を挙げたAOR系の大物フィル・ラモーンを引き続き起用したものの大コケ、全米21位とかなり前作より後退。

コロンビア・レーベルもシカゴに見切りをつけようとしたのか、CHICAGO XIVのプロモーションはほとんど行われなかったようだ。


インナーにはメンバーの写真もなく、半紙のような薄っぺらい紙にアルバムのクレジットが記載。余りにも手抜きってか、天下のシカゴに対してこの仕打ち、言葉を失う。

そのため、チャートは71位とさらに後退、シングルもヒットせず、コンサート・ツアーもガラガラ。

このアルバムのプロデューサーは、原点回帰を狙ったのか、アメリカン・ロック系のプロデューサーとして有名だったトム・ダウドを起用。ただ当時シカゴにはミスマッチのような気がしたが…

個人的には、このアルバム個々の曲出来はそれほど悪かったとは思わない。多分時代にマッチしなかったのだと思う。

これを機会にレコード会社は、区切りをつけるため2枚目のグレーテスト・ヒット集(CHICAGO XV)を出し、契約を更新しないことを決定した。

シカゴはこの低迷期に力を蓄え、新しい方向へと向かう。

レーベルをワーナー系のフルムーンに移籍し、そして心機一転、プロデューサーに売れっ子のデヴィッド・フォースターを迎え、1981年 CHICAGO 16を大ヒットさせ再び花を咲かした。

なんとなく、桜のようなお話…

おまけ、


あれっ!レーベルがCBS SONYってなってる。


それもそのはず、このレコードは当時シンガポールで買ったんだっけ。

当時東南アジアのマーケットは日本のSONYが仕切っていて、MANUFACTURED AND DISTRIBUTED IN SINGAPORE BY EMI SINGAPORE って記載されている。つまり、EMI SINGAPOREによる委託プレスの商品だった。


シカゴが熱い、カーネギー・ホールのライブ

2017年03月24日 | Chicago

1971年、ロック・バンドがカーネギー・ホールで開かれたライブをレコード化した。

なんとLP四枚組のボックス仕様で、当時の定価が7800円也。


ガキの小遣いでは、到底買えない価格。

まあ、ロック・ファンの大人でもちょっと躊躇する価格。

何しろ1971年のサラリーマンの平均月収が7万円弱の時代、おいそれと買える代物ではなかった。

と言うわけで、レコード会社もそのあたりを考慮し、LP1枚もののダイジェスト盤を発売していた記憶がある。

ジャケットのデザインは、ボックス・セットと同じのシカゴのお馴染みのロゴだけを真ん中に配置したシンプルなものだったが、ジャケットの色は確かボックス・セットの白色ではなく、黄緑色だった記憶がある。

当時は、まだブラス・ロックまでまだ手がまわる状況ではなかったので、ダイジェスト盤でさえ購入しなかった。

それから数年後、ようやくシカゴを聴き始めるのであるが、この四枚組のボックス・アルバムは、レコード会社も収録時間が長すぎるのと、価格面から考えて売れる確信を持てなかったのか、このアルバムのみレコードでの再発はなかったような記憶がある。

そしてCD時代になって、ようやく再発された。

特に2005年には、アメリカの再発もの専門のライノ社から、決定版というべき数多くのボーナス・トラックを含む、CD四枚組のボックス・セットが出て飛びついた。


しかし買ってはみたものの、収録時間が長いことから、少し冗長となる感じがして一通り聴いてその後はCD棚の肥やしとなった。

シカゴのライブとは言えば、個人的には1975年当時日本のみで発売されたLIVE IN JAPANとなる。


カーネギー・ホールは、クラッシック・コンサート向きに設計された構造を持つため、ロックの演奏会には不向きとシカゴのメンバーが言っていた。


反対にLIVE IN JAPANは録音状態も良く、それに当時の最新アルバム、CHICAGO Vからのヒット曲も収録され、またピート・セテラがLOW DOWNなどの日本語バージョンを辿々しく歌っていたり、歌い終わると“ドモ、アリガトー”や大阪弁の“オオキニー”なんて言っていたのが結構微笑ましく思え、こちらを優先的に聴くことになった。

しかし、ついこの前、中古の四枚組のボックスが目に留まりつい買ってしまった。

ボックスの状態は良くないので、白いテープをあて補強。

レコードは丸洗い、そして各インナー・ジャケットもアルコールで消毒。

レコードは先の所有者がほとんど聞いていなかったのか、傷もほとんど見当たらなく、ノイズが全く聞こえない。

CDのように50−60分連続して惰性のごとく聴いていくのではなく、レコードの場合、約20数分で演奏終了し、裏返しもしくは別のレコードに交換する手間が必要で、この作業が集中力を一旦休憩させる時間となり、LPを新たにターン・テーブルに乗せた際、こちらも気持ちをリセット出来、彼らの長時間の熱い演奏を楽しむ事が出来た。

そして、改めてこのアルバムの素晴らしさがやっとわかった気がする。

ところで、シカゴは、後期のAOR路線からは想像がつかないほど、初期には反体制の主張をアルバムで明確に唱えてきた。

このアルバムでも、“若者は選挙に行き国の体制を変えよう、そして選挙制度も変えようじゃないか!”なんて、参考のために各州の選挙のシステムを説明している表がこのアルバムに添付されている。



彼らの主張に賛同するかどうかは別として、バンドそして当時の彼らのファンも本当に熱い連中であったことは間違いないと思う。

何故ならば、当時ロック・バンドとしては誰もやったことのない四枚組のライブ盤は少し冗長さを感じさせまた高額商品だったにもかかわらず、ファンの後押しでアメリカではなんとチャート3位を記録し、プラチナ・ディスクを獲得している。

70年代はロックの力で世の中を変化させようとという、ポジティブな時代であった。

ところでイギリスでは、それまでの三枚のアルバムが全てトップ10になったものの、このアルバムはチャート・インしなかった。アメリカの政治に関してのメッセージにはさほど興味を感じなかったのかも知れない。


川からオリジナル2枚組みレコードへ

2016年07月14日 | Chicago

昨日夜遅く記事をアップした時、疲れていたのか思い起こす事が出来ずに結構抜け落ちていたアルバムがあったので追加。

なにしろ現物のレコードが此処にないので、か細い記憶を頼りにしたところ、案の定、年齢から来るものなのか、記憶喪失まではいかずとも結構失念して抜け落ちていた次第。



シカゴのI(CTA アルバム)、II、IIIとVII:これらのアルバムが最初に出てこなければ、シカゴ・ファン失格!
I(CTA アルバム)、II、IIIは当時お金がなかったので購入できず、VIIはサイド1全面のジャズ風の楽曲が肌に合わず購入しなかった。後にCD化されてすべて購入。今ではジャズ風の曲、まったく問題なく聴ける。


ソフト・マシーンの3:当時はジャズが苦手で購入しなかった。後にCD化されて購入。ロックのリスナーとしてはミニマルな演奏が好きか嫌いかで評価が分かれる。CD再生中にで二ー三秒早送りしても、未だ同じフレーズを繰り返し演奏しているので、退屈なお方は端折って聴くって方法も...


ビー・ジーズのオデッサ:当時は地味な印象で購入しなかった。数年前に発売された3枚組みのCDボックスを購入。このアルバム発売の数年後、小さな恋のメロディーと言う映画のサントラに数曲がこのアルバムから使用され、日本でシングルが後付けという感じで大ヒットした。彼らの大爆発を体験するにはサタデーナイト・フィーバまで待たねばならない。整列して踊るって言うのは、まさにアメリカの盆踊りと言えよう。


ELPのワークス・ボリューム1:当時、このレコードは購入しなかった。後にCD化されて購入。3枚組みのライブ・アルバムを発売後、一休みと言う感じの印象。


ディランのベースメント・テープス:当時、このレコードは購入しなかった。後にCD化されて購入。オリジナル・アルバムと言うよりは、ディランの音楽活動の資料って感じの内容。いくつかのいい曲がアルバム内に散りばめられてはいるが、はっきり言って、ディランの超ファンでない限り退屈するかも?


キンクスのプリザベーション第2幕:以前のキンクスと比べたら、ちょっと違う方向にディープにはまったと言う感じで、当時購入はしなかった。再発のCDを買う予定だったが、どう言うわけか、毎回CDを購入する際、このアルバムの事を失念しいまだに購入ならず。
じゃ、レコードもCDも持ってないのに何でこの場にリスト・アップしちゃうの? 今後また失念しないように、メモっておくと言う事で...

それから、スタジオ録音プラスライブと言う変則盤からは、


キンクスのこの世はすべてショー・ビジネス:ライブのほうは少し中途半端で正直拍子抜けの感があるが、スタジオ録音の楽曲に関しては、それなりにクオリティーが保たれていると思う。


サンタナのムーン・フラワー:ライブとスタジオ録音がうまく噛み合って中々よろしー



オールマン・ブラザーズ・バンドのイート・ア・ピーチ:スタジオ録音にフィルモアイーストのライブの未発表曲をカップリング。再発CDではあの33分のも及ぶ長尺のマウンテン・ジャム(レコードではBとDの2面にぶった切られている)がレコードをひっくり返さずとも一気に聴ける。おおー、未だマウンテン・ジャム延々とやっているな。ちょっとトイレにでもいってこよう!



バーズのアン・タイトルド:当時、このレコードは購入しなかった。後にCD化されて購入。この盤の場合、スタジオ録音の楽曲はおまけで、“霧の8マイル”に代表されるライブ録音された楽曲がこのアルバムメインとなる。
 

小頭:谷!

下忍:橋! ん~、お頭! これって、確かにサブちゃんの歌のタイトルを使ったもので、“谷”に架かる“橋”という意味の合言葉だと思うのですが、北島三郎の演歌シリーズでいくとすると、どうも曲がマイナー過ぎると思うのですが…

頭:しからば大ヒットしたご当地ソングで! しかも新幹線で二つの地方が繋がっているのじゃ!

小頭:函館!

下忍:薩摩! オーこれなら、二曲とも聴いたことがあります。納得。


Chicagoのダイヤローグから、バカボンが登場って?

2016年06月30日 | Chicago

昨日アップしたCHICAGOの DIALOGUE PART I とIIについてもう少し書いてみたい。

この曲ではテリー(ギター)扮する活動家らしき人物と、ピート(ベース)が扮する芸術専攻のノンポリの学生の会話の掛け合いを歌っている。

活動家は学生に対し、世の中をどのように見ているか?、自身の持っている力を何かに使ってみなか?とか社会の悲惨さについてどう思うかなど色々と質問したらアジテートしたりするのであるが…

学生のあまりにもあっけらかんな反応、すなわち自身が直接関係しないことには興味もないし特に首を突っ込むこともしないとか、世の中の状況についても少なくとも大統領が現状を認識しているのであれば、特に問題は無いなどと言う返事に毒気を抜かれたのか、活動家は此処のところ何かに追い詰められていたのか、プレッシャーを感じていたがそれらの会話により気分が楽になり、学生に感謝した。

学生は、さらに活動家に追い討ちをかけるようにな台詞を言う。

“俺の見立では、君はちょっと混乱しているみたい。君は何時もすべての事がうまく行ったと考えるべきだよ。”

能天気な学生から発せられた言葉なので、若干皮肉めいた表現の意図があるのかもしれないが、そのまま素直に解釈すると、物事をあまり悲観的に考えたり、常に何かをしなければならないと言う使命感を持ち過ぎると、それらのプレッシャーに押し潰されることになる。

楽観主義を100%支持するわけではないが、健康を維持するために余計なストレスを抱き込まないとなると、能天気とまでは行かぬとも物事楽観的に判断するほうが精神衛生上よさそうである。

と、何か老人の健康百科みたいな話となった。

そこで、今日は物事を必要以上に考え込まないと言うテーマを歌う、ディランのDON’T THINK TWICE IT’S ALIGHT
1963年のセカンドアルバム、FREEWHEELIN'に収録


It ain't no use to sit and wonder why, babe
座って何故って考えたって無意味だよ、君
If you don’t know by now
今判らないのならね
It ain't no use to sit and wonder why, babe
座って何故って考えても意味なんてないのさ
It’ll never do, somehow
どうにもならないだろうから

When your rooster craws at the break of dawn
明け方、君んちの鶏が鳴くとき
Look out your window and I'll be gone
窓の外を見てごらん、俺は出て行っちまうだろうから。
You're the reason I'm travellin' on
俺が出て行くのは、君のせいさ
Don't think twice, it’s alight
深く考えないで、それでいいのさ

何! “それでいいのさ”だって!

となると、やっぱりこれこれ。


これでいいのだ~♪
あっ、これでいいのだ~♪
ボンボン、バカボン、バカボンボン♪
天才一~家だ、バ~カ、ボンボン♪

やっぱりこれがしっくりくる、ほぼ半世紀近くに放映された漫画の主題歌ではあるが、今でも覚えている。

何の迷いも無いこの能天気さは、これが一番。これを歌えば何事に対しても楽観的になれるのでは?

但し、この歳になると大勢の前で声に出して歌うのはちょっと...

だから、心の中で大声で歌うのである。

何らかのプレッシャーから開放されて、街中で一人にこやかな表情を浮かべてたたずんでいるおっさん達の千人に一人はこの歌を心の中で歌っていると言われているとか...

ところで、シカゴのダイヤローグと言えば個人的にはライブ・イン。ジャパンの音源が一番だと思っている。

コンサートのオープナーにこの曲をもってきて、テリーのギターに合わせて観客の手拍子。
この一体感! 

何らかのプレッシャーから開放されて、街中で一人にこやかな表情を浮かべて手拍子をしながらたたずんでいるおっさんを発見すれば、それは、シカゴのダイヤローグをアイポッドかなんかで聴いている、私のことである。

Chicago - Dialogue, Pts. I & II [Live in Japan] (HQ)


Chicagoのダイヤローグ

2016年06月29日 | Chicago

先日、イギリスでEU加盟に関する国民投票があった。結果はEU離脱。

しかしながら、イギリスの政府もよくこのような重大案件を国民投票にかけるなどと言う無謀な事をしたものだと思う。EU離脱に関するメリットやデメリットが充分に国民に理解されず、いわゆる雰囲気に流されて各自が投票を行ったのではないかと思うのだが。

EU離脱が決定した後、離脱派の旗を振っていた中心人物が今後どのようにEUと交渉を行うかの具体的な案や見通しが存在しない、すなわちEUとの離脱の交渉は出たとこ勝負と言う感じだろうか。

離脱派は、当初この投票では、彼らは勝利を得られるとは思っておらず、負けたとしてもかなりの票を獲得するため、今後その存在感を生かして政府にいろいろ圧力をかける算段ではなかったのではないだろうか?

EUとしては、同じような事例が今後起こらないよう団結して、この問題に厳しく対応すると思うので、イギリスが考えているような楽観的な交渉にはならないし、またスコットランドがこの機に乗じて北海油田の利権と共に独立しEUに加盟したり、北アイルランドが、アイルランドと統合を目論見、これまたEUに残るとなると、たいした地下資源を持たないイングランドとウェールズは、弱体化して孤立してしまうのではないかと言う見方もある。

政治家のアジテートに流され雰囲気的な判断で国を二分する可能性のある二者択一の国民投票が行われるのは非常に危険である。政権交代であれば、新たに誕生した政府に不満があれば、次回の選挙でひっくり返すことが出来るが、EU離脱はいったん宣言すると、後戻りが出来ない仕組みになっている様で、これまた厄介である。

今回は政治や社会的事象に興味の無い学生が登場するCHICAGOの DIALOGUE PART I とIIを取り上げてみた。

この曲は、1972年に発売されたCHICAGO V(全米1位)に収録されたもので、シングル・カットされた(全米24位)。

テリーの軽快なリズム・ギターから曲は始まり、掛け合いでテリーとピート(高音部のボーカル)が歌っていく会話が歌詞となっていて、パート2からは、シカゴのホーン・セクションが炸裂、同じ歌詞の繰り返しをコーラスによって歌われる。

Part I

A : Are you optimistic 'bout the way things are going?
君は世の中の動きに楽観的かい?
B : No, I never ever think of it at all
いや~、そんなこと考えたことないね。

A : Don't you ever worry
When you see what's going down?
なにか悪い事が起ころうとするだろうって解る時、心配なんてしないの?

B : No, I try to mind my business, that is, no business at all
いいや、おれ自身の事だけ考えるって事にしているのさ。
そいつは俺には関係ないね。

A : When it's time to function as a feeling human being
Will your Bachelor of Arts help you get by?
人間であるって覚醒する時だってなったら、芸術関連の学士さんってのは、役に立つのかい?
B : I hope to study further, a few more years or so
I also hope to keep a steady high
もうちょっと勉強続けたいね、あと2-3年とかね。そしてしっかりと高めたいと思ってるんだ。

A : Will you try to change things
Use the power that you have, the power of a million new ideas?
何かを変えたてみたい? 君の持っている力で、そう多くの新しいアイデアの力を使ってさ。
B : What is this power you speak of and this need for things to change?
I always thought that everything was fine
君が言っている力って何? それって変革のために必要?
俺は何時もすべて順調だって思っていたけど。

A: Don't you feel repression just closing in around?
まわりで近づいてくる抑圧って感じないの?
B : No, the campus here is very, very free
いいや、このキャンパスはとても自由さ。

A: Don't it make you angry the way war is dragging on?
戦争が続いていることに怒りは感じないの?
B : Well, I hope the President knows what he's into, I don't know
もちろん、大統領がどうなってんのか知ってるんだろ、俺は判らないけどね。

A : Don't you ever see the starvation in the city where you live
All the needless hunger all the needless pain?
きみのまわりで飢えている人を見たことは無いのかい?
すべての不要な飢えとか、不要な痛みってのを?
B : I haven't been there lately, the country is so fine
But my neighbors don't seem hungry 'cause they haven't got the time
最近そこには行ったことはないし、この国はまったく大丈夫さ。
うちの近所の人が飢えてるようには見えないし、まあ彼らも時間が無かったんだ。

A : Thank you for the talk, you know you really eased my mind
I was troubled by the shapes of things to come
話をしてくれて有難う。本当気持ちを楽にさせてくれたよ。
近づきやってくる事なんかに混乱してたんだ。

B : Well, if you had my outlook your feelings would be numb
You'd always think that everything was fine
ところで、俺の見地からすると、ちょっと麻痺してるんじゃないかって。
すべての事がすばらしかったといつも思うべきだね。

Part II

We can make it happen
We can change the world now
We can save the children
We can make it better
We can make it happen
We can save the children
We can make it happen
何か起こすことが出来る
今世界を変えることが出来る
子供たちを救うことが出来る
よりよく出来る
何か起こすことが出来る
子供たちを救うことが出来る
何か起こすことが出来る

政治に無関心はよくないよ、そして団結すれば世界はよりよく変えられると歌っているのである。

バレなければ何をやってもよいという政治家が与野党問わずあちこちに紛れ込んでいる昨今、やはり選挙民としては政治には無関心であってならない。

そして、今回のEUの国民投票は、この歌の通り団結すれば何かを起こすことは証明できたが、もしその場の雰囲気に流されて各々が正確な知識を持たずに投票したのなら、当初描いていた情景とは異なる事態に陥る危険性があるとも教えてくれた。

まあ、イギリス国民がそう決めたのだから、第三者がとやかく言うことはないが、世界経済に影響が出ないよう今回のEU脱退の選択を行使して欲しいものである。

Chicago - Dialogue Part I & II (Album Version)


CHICAGO QUADIOってどうよ?

2016年05月18日 | Chicago

助手:博士!  アメリカのライノ社からシカゴのボックス・セット出るみたいですよ。
なんでも、ブルーレイ9枚組みの4CH再生となっています。

博士:オッー! ファーストから、カーネギー・ホールのライブを除いたところにベスト・アルバムCHICAGO IXを付け足した、CHICAGO X(カリブの旋風)までの9枚までのスタジオ・アルバムが4CH化されるじゃと!

CHICAGO Xと言うとチョコレートがジャケットに使われたやつじゃないか。なんでテリーが在籍した最後のスタジオ・アルバムCHICAGO XI(ジャケットにシカゴの地図が使われたアルバム)が含まれていないのじゃ? 

トイレに行ったにもかかわらず、まだ一物が少し残っている感じでどうもスッキリせんの~

助手:たぶんCHICAGO XIは4CH録音で当時制作されなかったのじゃないですかね?

70年代初めに4CHの再生装置として、日本ビクターが開発したディスクリート方式のCD-4の規格や、ソニーが出したマトリックス方式のSQ規格なんてのもありましたっけ。

博士:それ以外のメーカーによっても、異なった4CHの規格が開発されたものの、結局その統一がなされなかったのじゃ。

だから、当時贔屓のアーティストが出した4CHのレコードを購入しても、所持する再生装置がそのレコード方式と異なっておれば、再生することが出来ないなんて不便だったのう~

助手:結局70年代後半頃には、わざわざ4CHレコード制作のためのマスター・テープの制作は行われなくなり、残念ながら結局4CHの規格は消滅したみたいですね。

博士:そう言えば、ソニーは結構多くのSQ方式4CHのレコード出しておった記憶があるのう~ 

サイモンとガーファンクル(明日にかける橋)やジェフ・ベック(ギター殺人者の凱旋)なんかが出ていたのを思い出した。

ソニーから出たSQレコード

助手:博士はそれらを当時買ったのですか?

博士:いやー、残念ながら買ってないのじゃ。何しろ、実家にあったのは、ビクターのCD-4の再生装置じゃった。何でも、ディスクリート方式のCD-4は、各チャンネルが完全分離されていて、ソニーのSQ規格より立体的に聴こえるという触れ込みだったので、当時家族会議にてビクターの4CHシステムを採用することが決定されたのじゃ。

しかしCD-4のソフトに関しては、非常にしょぼかった。歌謡曲や映画音楽のような4CHレコードはある程度出ていたかもしれなかったが、有名ロック・バンドのものはまったく無かったように記憶しておる。

一方SQ軍団はソニー系列のCBS やEPICレーベル以外に、EMI(ジョンのイマジン)、 HARVEST(ピンクフロイドの狂気)などのレーベルがSQ規格でレコードを制作しておった。

イマジンもSQで制作された。

かくして我が家が所有したCD-4規格のレコードは、ビクターの4CHシステムにおまけで付いてきたクラッシックやイージー・リスニングの音源が収録されたサンプルのレコードのみで、再生のセレクション・スイッチは、常時2CHに固定されてしまったわけじゃ。

助手:シカゴは当時CBSからレコードを出していて、その当時の4CHミックスの録音テープが残っていたってわけですね。

博士:その通りじゃ。ジェフ・ベックも、同じような4CHミックスの録音テープが残っていたから、それをもとにしてSACDの規格にして“ギター殺人者の凱旋”をで出したのう~ 

何でも、EPIC時代のジェフベックグループのスタジオ録音でも4CHの音源があるそうな。

昔からのシカゴ・ファンとしては、昔のSQ規格のような4CHもどきではなく、各段にスペックのあがった最新のマルチ・システムで初期の頃の勇壮なホーン・セクションを一度聴いてみたいものじゃのう~

助手:博士! 今回はだめですよ。これ買っても再生装置が無いですから。

ブルーレイ・ディスク再生のために日本からPS4を持ち込み、100/220Vの変圧器を繋げることは出来ますが、もしAVアンプとマルチ・システム用のスピーカーをここで手配するとなると、220V仕様のAVアンプは将来的に日本では使用出来ないと言う無駄使いになります。

博士:よーく、分かっておる。

しからば、4CHの資金は4Dで獲得じゃ!

と近所のセブン・イレブンに4Dのくじを買いに行く博士の後姿が先ほど見えたのであった。

以前乗っていた車のナンバーが4Dのくじで何回か当選したことがあり、ナンバーを知っている友人などは、当選したかどうかよく電話をかけてきたものだが、そのような時はくじを買うことなどまったく頭に無く、また欲を出して買ったときは、ハズレになるという毎度おなじみの自然の摂理の法則にしたがっていた。

まあ今回も同じような結果になるであろう。

博士:たんすの肥やしになる前提で、ボックス・セットのみを今回購入と言うわけにはいくまいか?

あきらめの悪い博士であった。まったく私とそっくりの性格をしているではないか!