デビュー・アルバムを1975年、全米チャート13位に送り込こんだが、1976年のセカンドアルバムは36位にランク・ダウン。
翌年の1977年にサードアルバムHURRY SUNDOWNは発売された。
前2作と異なるのは、かってドアーズをプロデューサーしたポール・ロスチャイルドから、イーグルスのプロデュースで有名なビル・シムジックに変わったこと、前作のレコーディング終了後ベーシストを解雇したため新たにメンバーを補充したこと、そして自作曲だけではなく外部の作者の曲も取り入れバラエティー感を出すことを試みたことだろう。
もともと、ウエスト・コースト風のハイトーン・コーラスに南部のロックを融合させたサウンドが売りのアウトローズにとって、ビル・シムジックのプロデューサー就任は大歓迎だった。
彼らの感性とプロデューサーの的確な指示の元で制作されたサードアルバムはとても満足のいくものだったと述べていたのだが、残念ながら更なるランクダウンの51位とセカンド・アルバムにも及ばなかった。
何度も通して聴いてみて、一曲一曲を個別に聴けばよく出来ているのであるが、アルバム全体の感想としては、
1. 新たなバンドの魅力を出すために、外部の作者の曲や新メンバーの曲を収録したものの、いままでの自作曲と同じようなタイプの曲であった。
2. ほとんどの曲がカントリー・タッチで、ヘビーなツイン・リード・ギターのサウンドが生かされていない軽いタッチとなった。
3. 日本人的な感覚としては、たとえカントリー・タッチの曲であっても、もう少し親しみやすいメロディーのフレーズを曲のサビの部分に使っても良かったのでは? 但し、カントリー・ソングはポップ・ヒットを狙うような曲とは異なり、淡白なフレーズの歌が好まれることもあり、意見の分かれるところではある。
などと思うわけだが。
そして、バンドでアコースティック兼リズム・ギター担当のヘンリー・ポールが、このアルバムの完成後にバンドから脱退したことから、彼が担当していた軽く爽やかなイメージのアコースティックなサウンドから脱却し、またサードアルバムの芳しくない売れ行きもの結果も熟慮すれば、南部のロック・バンドが持つハードで泥臭いサウンドにと方向転換するのは必然的であった。
サード・アルバム発売後のツアーでは、ツイン・リードにリード・ギタリストをもう一人加えたトリプル・ギターの編成で、ハードなサウンドを展開し、その模様を収録した翌年発売のライブ・アルバム、BRING IT BACK ALIVE は全米29位と人気を盛り返したのである。
ライブアルバム、BRING IT BACK ALIVE
やはり南部出身のロック・バンドはライブに限る、体力勝負のギンギンの演奏が彼らを活き活きとさせるのだ~
The outlaws - hurry sundown- bring it back alive