学生時代の頃、将来何をして生きていくかなんてシリアスに考えたことはあったっけ。
はるか昔の私の時代では、大学4年生になった頃から方向性を定めて、夏ごろから会社説明会や会社訪問を始め、年内までになんとなく将来の進路を定まった就職内定って段取りだったような記憶がある。
もちろん大学入学以前に、特定の専門的分野で生きていくため、医学部や法学部などに入学し国家資格の試験に合格する目的を持って勉学に励んでいた人もいただろうが、学生全体から見ると少数派だったと思える。
私は、その他大勢のなんとなくの口であった。
実家が当時零細経営の製造業を営んでいて、小額ではあったが製品を貿易会社を経由し海外に出荷していたことから、漠然とその方向に進めれば良いなと思っていた。
当時は、70年代末の第二次オイル・ショックの影響で日本の経済が落ち込み、採用人員の大幅な削減により就職はかなり狭き門となった。
何とか最終面接まで残ったものの、例年と比べ採用者数の激減で連戦連敗。
幸いなことに、たまたま訪れた大学の就職課の求人広告が目に止まり、ギリギリで小さな貿易会社にもぐり込むことが出来た。
いつも思い出すのが、この歌。
チューリップの1972年のファースト・アルバム、“魔法の黄色い靴”に収録された曲、“私の小さな人生”。
アルバム・タイトル曲でシングル・カットされた“魔法の黄色い靴”の陰に隠れた少し地味目の曲ではあるが、彼らにとって記念すべきシングル第一弾(自主制作盤を除く)だったようだ。
アマチュア時代から歌っていた自信作でコーラス・アレンジなどもチューリップさを発揮していたと思うが、残念ながらヒットはしなかった。
ビートルズに影響を受けたチューリップの楽曲に興味はあったものの、当時は洋楽のロック専門で、国内のミュージシャンのレコードを買う事はまれであった。
時は流れ、貿易会社の駐在員だった80年代の有る日海外から一時帰国し、たまには日本の曲も良いかもと、彼らのベストのカセット・テープを購入し持ち帰り、この曲の存在を知った。
私が今日まで 生きてきて
何がこの手に 残ったろう
生まれて死ぬまで 私は何をする
お金をもらって 何に使おう
歩いても 歩いても いつも一人だった
人はおかしな男と言うけれど
私の小さな人生は これからどんなに変るのか
花の開く音も 人の歌う声も
私には淋しく 聞こえてくる
できることなら 死んで行くその日まで
歌を歌って生きて 行きたい
歌を歌って 生きて 生きて 生きて ゆきたい
チューリップのリーダーであった財津氏は、この歌通りの人生を実践されている。
どのような気持ちで20歳頃に作ったのか想像はつかないが、歳を重ねた今、その通りになっているのが何気に凄く感じる。
かく言う私も、この数十年の間に、最初に就職した会社が倒産したり色々なことがあったけど、これまでと同じラインの仕事でなんとはなく生きてこれた。
残念ながら、死んで行くその日まで、今の仕事を続ける事は現実的に難しい。
私の小さな人生は これからどんなに変るのか?
まあ今後も良いにつけ悪いにつけ、今まで通りなんとなく事が収束し落ち着くって感じなのが私の小さな人生という気はするが...
はるか昔の私の時代では、大学4年生になった頃から方向性を定めて、夏ごろから会社説明会や会社訪問を始め、年内までになんとなく将来の進路を定まった就職内定って段取りだったような記憶がある。
もちろん大学入学以前に、特定の専門的分野で生きていくため、医学部や法学部などに入学し国家資格の試験に合格する目的を持って勉学に励んでいた人もいただろうが、学生全体から見ると少数派だったと思える。
私は、その他大勢のなんとなくの口であった。
実家が当時零細経営の製造業を営んでいて、小額ではあったが製品を貿易会社を経由し海外に出荷していたことから、漠然とその方向に進めれば良いなと思っていた。
当時は、70年代末の第二次オイル・ショックの影響で日本の経済が落ち込み、採用人員の大幅な削減により就職はかなり狭き門となった。
何とか最終面接まで残ったものの、例年と比べ採用者数の激減で連戦連敗。
幸いなことに、たまたま訪れた大学の就職課の求人広告が目に止まり、ギリギリで小さな貿易会社にもぐり込むことが出来た。
いつも思い出すのが、この歌。
チューリップの1972年のファースト・アルバム、“魔法の黄色い靴”に収録された曲、“私の小さな人生”。
アルバム・タイトル曲でシングル・カットされた“魔法の黄色い靴”の陰に隠れた少し地味目の曲ではあるが、彼らにとって記念すべきシングル第一弾(自主制作盤を除く)だったようだ。
アマチュア時代から歌っていた自信作でコーラス・アレンジなどもチューリップさを発揮していたと思うが、残念ながらヒットはしなかった。
ビートルズに影響を受けたチューリップの楽曲に興味はあったものの、当時は洋楽のロック専門で、国内のミュージシャンのレコードを買う事はまれであった。
時は流れ、貿易会社の駐在員だった80年代の有る日海外から一時帰国し、たまには日本の曲も良いかもと、彼らのベストのカセット・テープを購入し持ち帰り、この曲の存在を知った。
私が今日まで 生きてきて
何がこの手に 残ったろう
生まれて死ぬまで 私は何をする
お金をもらって 何に使おう
歩いても 歩いても いつも一人だった
人はおかしな男と言うけれど
私の小さな人生は これからどんなに変るのか
花の開く音も 人の歌う声も
私には淋しく 聞こえてくる
できることなら 死んで行くその日まで
歌を歌って生きて 行きたい
歌を歌って 生きて 生きて 生きて ゆきたい
チューリップのリーダーであった財津氏は、この歌通りの人生を実践されている。
どのような気持ちで20歳頃に作ったのか想像はつかないが、歳を重ねた今、その通りになっているのが何気に凄く感じる。
かく言う私も、この数十年の間に、最初に就職した会社が倒産したり色々なことがあったけど、これまでと同じラインの仕事でなんとはなく生きてこれた。
残念ながら、死んで行くその日まで、今の仕事を続ける事は現実的に難しい。
私の小さな人生は これからどんなに変るのか?
まあ今後も良いにつけ悪いにつけ、今まで通りなんとなく事が収束し落ち着くって感じなのが私の小さな人生という気はするが...