1972年に出た第二期パープルの3枚目のアルバム、Machine Headが世界的に大ヒット。
鉄は熱いうちに打てって事で、すぐさま次作のレコーディングをスタート。ちょうどパープルが日本でのライブを行なった1972年8月前後の期間がレコーディングに当てられたそうだ。
完成したのが1973年に発売された、Who Do We Think We Are(邦題は紫の肖像ってなってるけれど、直訳すれば俺たちが何者かって考える? 即ち波間で産まれ漂うバブルのように、そんなに大した者でもないって言ってるのかな?)
(UK盤は黄色がベース)
(USと日本盤はブルー)
当然、前作の大ヒットを受けて方向性としては前作を踏襲するものとなったが、当時リッチー師匠とイアン・ギランの仲が悪かった事から、この作品ではリッチー師匠完全にやる気無くしたみたいで、前作のような永遠に心に刻まれるギター・フレーズが聴かれなくなり、インパクトに欠ける演奏となった感があった。
その負のベクトルを解消するためにも、ジョン・ロードが頑張ってキーボード引きまくる事によって何とかバンド・メンバーを鼓舞したような… ギランのボーカル快調だし。
出来としては、Machine Headが無ければよく出来たハード・ロック・アルバムって感じで、シングル・カットされたWoman From Tokyoは日本に対して感謝の意を込め日本公演後にレコーディングされたものであろう。
ただ歌詞を今一度読むと、これって何となく日本滞在中に招聘サイドから連れて行かれたナイト・クラブかなんかで美形のホステスさん相手に会話した印象を曲にしたって気もするが...
つまり北島サブちゃんが歌う函館の様な、ご当地ソングって感じですかね。
まあサブちゃんの場合、函館だけでなく尾道、薩摩、伊予、その他諸々と大勢いらっしゃいますが、二期パープルはTokyoだけだから律儀って言えば結構律儀なんですね。