1971年、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドとして活動を始めたイーグルス。当初は明るいカントリー・フレイバー漂うフォーク・ロックが芸風だった彼らも、そのサウンドは徐々にハードに、かつ翳りも加味された作風にと変化していった。
ファーストとセカンド・アルバムでプロデュースを任されていたグリン・ジョンズとバンドの方向性で対立を産み出し、サード・アルバム制作課程でそれまでの関係が崩壊し、新たにビル・シムジクをプロデューサーに迎え新たな路線を突き進むことに。
カントリー・フォーク・ロックのパイオニア、フライング・ブリトー・ブラザーズを経てイーグルスに加入したバーニー・レドンのバンドの音楽性はイーグルスの新たなそれとは少々相容れなかった様で、次第にバンド内での居場所がなくなり1975年の4作目のアルバム、”呪われた夜”を最後にバンドから脱退することに。
彼の書いたイーグルス時代の作品は結構好きで、例えばサード・アルバムに収録され、ブリトー・ブラザーズのリーダーで若くして他界したグラム・パーソンズのことを歌ったMy Manなんて涙ちょちょ切れるくらいいい曲なんだけれどね....
その後、彼はどうなったのか?
1977年に嬉しい便りが。
バーニーはSSWのマイケル・ジョージアディスと組んでニュー・アルバム、Natural Proguessをイーグルスと同じレーベル、アセイラムから出した。プロデューサーはなんとグリン・ジョンズが受け持った。
ただ、悪い出来のアルバムではなかったものの、その後のイーグルスの黄金期と比較するとやっぱり地味な印象だったかな。
その後バーニーはセッション・ミュージシャンとして数多くのミュージシャンのレコーディング参加したりまたプロデューサー業に携わって活動を続けていく事に。また1998年にはイーグルスがロックの殿堂入りを果たしバーニーもイーグルスのメンバーと再開し共に演奏し、更に2004年にマイナー・レーベルからソロ・アルバムを出し地道に活動を続けた。
今オジンになって思うのは、結果はどうあれ自身の思うままに納得して人生を歩むのが最終的には幸せなんじゃないかと... まして他人と比較する必要はないね。