CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

The Byrds を訳すと(改訂版)

2024年11月24日 | West Coast Rock

カタカナで書けば鳥の複数形の意味になるがネットで検索入れてみると、The Byrdsはアメリカのロック・バンド名、もしくは最後のsを取ったByrdは通常人名に使われるとのこと。

元々ジーン・クラーク、ロジャー・マッギンとデヴィッド・クロスビーの3名で結成した前身バンド名がThe Jet Setだった。ほとんど注目されなかった彼らが、ディランのMr. Tambourin Manをフォーク・ロック調に編曲し激動のミュージック・シーンに再挑戦する際、バンド名の改名も行った。

前身バンド名のJet Setからくる飛ぶってイメージを継承しBirdsとし、更に当時流行りのミス・スペルによる言葉遊びにて、彼らが影響を受けていたビートルズの場合はBeetlesがBeatlesってなる様に、iをyに変えてThe Byrdsここに誕生って感じかな?

本日は1992年に出た彼らの代表曲20曲が選曲されたベスト物のCDでも。

初期のフォーク・ロック時代のコーラス・アレンジメントから、サイケ時代を通り越してカントリー・ロックへと、更に後期のクラレンス・ホワイトのリード・ギターを中心にしたバンド・サウンドが味わえる。つまりyって数学的な変数として捉えるとメンバーの出入りによってyの値が変わりバンドのサウンドがその都度変遷していくって事ですかね。まさか?

それではその歴史を.....

デビュー当時の写真はビートルズを完全に意識した出立ち。左から、クリス・ヒルマン、ジーン・クラーク、ロジャー・マッギン、マイケル・クラークとデヴィッド・クロスビー。

時代はサイケデリックに!

オリジナル・メンバーはロジャーとクリスのみ。母屋を新加入のグラム・パーソンズ(中央)にほぼ乗っ取られた頃のカントリー・ロック時代。

グラムとクリスが去ってクラレンス・ホワイト、スキップ・バッテンとジーン・パーソン3名が新たに加わった4人組新生バーズ。

バーズ解散後、1973年にオリジナル・メンバーで再結成も船頭多くして船山に登るが如くアルバム1枚制作して解散。


バーニーは何処に?

2024年11月24日 | West Coast Rock

1971年、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドとして活動を始めたイーグルス。当初は明るいカントリー・フレイバー漂うフォーク・ロックが芸風だった彼らも、そのサウンドは徐々にハードに、かつ翳りも加味された作風にと変化していった。

ファーストとセカンド・アルバムでプロデュースを任されていたグリン・ジョンズとバンドの方向性で対立を産み出し、サード・アルバム制作課程でそれまでの関係が崩壊し、新たにビル・シムジクをプロデューサーに迎え新たな路線を突き進むことに。

カントリー・フォーク・ロックのパイオニア、フライング・ブリトー・ブラザーズを経てイーグルスに加入したバーニー・レドンのバンドの音楽性はイーグルスの新たなそれとは少々相容れなかった様で、次第にバンド内での居場所がなくなり1975年の4作目のアルバム、”呪われた夜”を最後にバンドから脱退することに。

彼の書いたイーグルス時代の作品は結構好きで、例えばサード・アルバムに収録され、ブリトー・ブラザーズのリーダーで若くして他界したグラム・パーソンズのことを歌ったMy Manなんて涙ちょちょ切れるくらいいい曲なんだけれどね....

その後、彼はどうなったのか?

1977年に嬉しい便りが。

バーニーはSSWのマイケル・ジョージアディスと組んでニュー・アルバム、Natural Proguessをイーグルスと同じレーベル、アセイラムから出した。プロデューサーはなんとグリン・ジョンズが受け持った。

ただ、悪い出来のアルバムではなかったものの、その後のイーグルスの黄金期と比較するとやっぱり地味な印象だったかな。

その後バーニーはセッション・ミュージシャンとして数多くのミュージシャンのレコーディング参加したりまたプロデューサー業に携わって活動を続けていく事に。また1998年にはイーグルスがロックの殿堂入りを果たしバーニーもイーグルスのメンバーと再開し共に演奏し、更に2004年にマイナー・レーベルからソロ・アルバムを出し地道に活動を続けた。

今オジンになって思うのは、結果はどうあれ自身の思うままに納得して人生を歩むのが最終的には幸せなんじゃないかと... まして他人と比較する必要はないね。