私が通っていた幼稚園はバリバリの仏教系幼稚園だった。春まつりでは、庭に設置されたお釈迦様に甘茶を掛けるイベントが開催されていた。余談だが、ミワちゃんという悪戯な子が、先生たちの目を盗んでお釈迦様に掛けるべき甘茶を柄杓に口をつけて飲んだのを私は記憶している。ミワちゃんは明るくて利発な子であったからに園長先生に好かれていた。なのであのときバレても怒られなかった。私なんか普通に生きていても園長先生に「ボケナス!!」と罵られたのに。(←忘れない)
園長先生は実家の近くに住んでいる。たまに遭遇するときは大人の対応をする私だが、内心は腸が煮えくりがえるほどの嫌悪感を抱いている。そんなこんなで、幼稚園は嫌いだった。あんなにつまらなかった時代は二度と生きたくない。
前置きが長くなった。
今日は国立博物館へ行き「東大寺大仏 天平の至宝」を見てきた。
あの甘茶を浴びるお釈迦さま「誕生釈迦仏立像及び灌仏盤」の本物を見に行くのが目的。
あれ、激マジ可愛い。ぎゅーっと抱き締めたい。あの優しげな表情を観ていると時間が経つのを忘れる。
灌仏盤の外側には麒麟などが描かれていた。繊細で素敵だった。
一人ごっつ的に言えば「おっす!」かな。
お釈迦様はお生まれになったときに7歩歩いてこのポーズをとり、「天上天下唯我独尊」って呟いたらしい。
「八角灯籠」
東大寺の前に佇んでいるあれを持ってきちゃった!史上初。よく来たね~。
水煙の模様も綺麗だったが、周囲の天女の表情もこれまた優しげ。
聖武天皇の死後、光明皇后から東大寺に寄進された正倉院宝物も特別に公開されていた。「聖武天皇が愛用したものを手元に置いておくと、天皇を思い出しちゃうから…」というのが理由らしい。泣ける。泣けるよ。そういうエピソード。
しかも光明皇后はデキた人で、貧困や病気で困った人を助けるために、悲田院や施薬院を作って福祉にも力を注いだ。正倉院に皇后が納めた漢方薬「桂心」が展示されていた。「必要な人がいたら使ってください」と納められた桂心は、100年後には納められたときの10分の1しか残っていなかったらしい。桂心は、シナモンの一種で胃痛や熱を取る漢方薬らしい。
「縹縷」
大仏開眼供養会の時、大仏の目に瞳を描く筆をつなぎ、聖武天皇や光明皇后ほか参集した人々が握って縁を結んだ紐。大仏開眼の喜びが紐から伝わってきそう。
「五劫思惟阿弥陀如来像」
この前に来る人は、皆、一瞬ニヤニヤする。大きな頭。五劫という長い間、考えていたら、こんな髪型になってしまったらしい。私よりボンバヘッドの人って初めて見た。長い間考えていた割には顔は老けていないのが不思議。童顔で可愛い。
「体感!バーチャル大仏」
12分間の上映。2回観た。
超精細映像で大仏をリアルに再現。自分が大仏殿に紛れ込んだ鳥になった錯覚に陥る。その視点で大仏の胸元や背後まで近くで見ることができる。冒頭シーンでは無数の星が散らばって、まるではやぶさの映画「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」かと思ってしまった。
聖武天皇と光明皇后の「植物も動物もこの世に生きるものはすべてお互い協力して助け合いながら共存共栄をはかるべき」という大仏に込められた思想が十分に伝わってきた。
大仏の手の配置は施無畏印という。右手は「恐れるな」、左手は「あなたの願いを聞きましょう」という意味を表しているらしい。
ロビーにあった大仏の手のレプリカ。あまりの大きさに、吉熊、びっくり。
遥か昔。
奈良時代に生まれた思想が今も息づいていて、展示物の一つ一つに込められていたような気がした。
見応えがあった。満足。そしておススメ。
幼稚園の園長先生が、慈悲深い光明皇后みたいな人だったらよかったのになあ。
余談で、超個人的なことなのだが。
私が光明皇后のことを考えるとき、必ず篠原涼子の「Lady Generation」が脳内に流れる。
慈悲深く力強い女性=「Lady Generation」の歌詞に出てくる女性を彷彿とさせるのである。
光明皇后→「Lady Generation」を結びつける人なんて、世界中探しても私だけなんじゃないだろうか。
今日出会った素敵な歌。
会津八一が奈良の大仏を詠んだもの。
おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり
(大らかに両手の指をお開きになって、大いなる仏は天空に満ちていらっしゃいます)
博物館の庭も散策。
ここは年に2度しか公開されない。
紅葉が綺麗だった。
点在する茶屋ではいずれもお茶会が開催されていて、着物姿の女性を見かけた。
夜の博物館はライトアップされていて幻想的。
奈良の文化に触れ、心がほんのりと温かくなった。
明日からまた仕事!
がんばるん。
園長先生は実家の近くに住んでいる。たまに遭遇するときは大人の対応をする私だが、内心は腸が煮えくりがえるほどの嫌悪感を抱いている。そんなこんなで、幼稚園は嫌いだった。あんなにつまらなかった時代は二度と生きたくない。
前置きが長くなった。
今日は国立博物館へ行き「東大寺大仏 天平の至宝」を見てきた。
あの甘茶を浴びるお釈迦さま「誕生釈迦仏立像及び灌仏盤」の本物を見に行くのが目的。
あれ、激マジ可愛い。ぎゅーっと抱き締めたい。あの優しげな表情を観ていると時間が経つのを忘れる。
灌仏盤の外側には麒麟などが描かれていた。繊細で素敵だった。
一人ごっつ的に言えば「おっす!」かな。
お釈迦様はお生まれになったときに7歩歩いてこのポーズをとり、「天上天下唯我独尊」って呟いたらしい。
「八角灯籠」
東大寺の前に佇んでいるあれを持ってきちゃった!史上初。よく来たね~。
水煙の模様も綺麗だったが、周囲の天女の表情もこれまた優しげ。
聖武天皇の死後、光明皇后から東大寺に寄進された正倉院宝物も特別に公開されていた。「聖武天皇が愛用したものを手元に置いておくと、天皇を思い出しちゃうから…」というのが理由らしい。泣ける。泣けるよ。そういうエピソード。
しかも光明皇后はデキた人で、貧困や病気で困った人を助けるために、悲田院や施薬院を作って福祉にも力を注いだ。正倉院に皇后が納めた漢方薬「桂心」が展示されていた。「必要な人がいたら使ってください」と納められた桂心は、100年後には納められたときの10分の1しか残っていなかったらしい。桂心は、シナモンの一種で胃痛や熱を取る漢方薬らしい。
「縹縷」
大仏開眼供養会の時、大仏の目に瞳を描く筆をつなぎ、聖武天皇や光明皇后ほか参集した人々が握って縁を結んだ紐。大仏開眼の喜びが紐から伝わってきそう。
「五劫思惟阿弥陀如来像」
この前に来る人は、皆、一瞬ニヤニヤする。大きな頭。五劫という長い間、考えていたら、こんな髪型になってしまったらしい。私よりボンバヘッドの人って初めて見た。長い間考えていた割には顔は老けていないのが不思議。童顔で可愛い。
「体感!バーチャル大仏」
12分間の上映。2回観た。
超精細映像で大仏をリアルに再現。自分が大仏殿に紛れ込んだ鳥になった錯覚に陥る。その視点で大仏の胸元や背後まで近くで見ることができる。冒頭シーンでは無数の星が散らばって、まるではやぶさの映画「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」かと思ってしまった。
聖武天皇と光明皇后の「植物も動物もこの世に生きるものはすべてお互い協力して助け合いながら共存共栄をはかるべき」という大仏に込められた思想が十分に伝わってきた。
大仏の手の配置は施無畏印という。右手は「恐れるな」、左手は「あなたの願いを聞きましょう」という意味を表しているらしい。
ロビーにあった大仏の手のレプリカ。あまりの大きさに、吉熊、びっくり。
遥か昔。
奈良時代に生まれた思想が今も息づいていて、展示物の一つ一つに込められていたような気がした。
見応えがあった。満足。そしておススメ。
幼稚園の園長先生が、慈悲深い光明皇后みたいな人だったらよかったのになあ。
余談で、超個人的なことなのだが。
私が光明皇后のことを考えるとき、必ず篠原涼子の「Lady Generation」が脳内に流れる。
慈悲深く力強い女性=「Lady Generation」の歌詞に出てくる女性を彷彿とさせるのである。
光明皇后→「Lady Generation」を結びつける人なんて、世界中探しても私だけなんじゃないだろうか。
今日出会った素敵な歌。
会津八一が奈良の大仏を詠んだもの。
おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり
(大らかに両手の指をお開きになって、大いなる仏は天空に満ちていらっしゃいます)
博物館の庭も散策。
ここは年に2度しか公開されない。
紅葉が綺麗だった。
点在する茶屋ではいずれもお茶会が開催されていて、着物姿の女性を見かけた。
夜の博物館はライトアップされていて幻想的。
奈良の文化に触れ、心がほんのりと温かくなった。
明日からまた仕事!
がんばるん。