旧宅への感謝の気持ち

2011年05月21日 | 出来事 -

旧宅の一軒家の掃除を、やっとの思いで終えた。

家庭用洗剤を使って、家中の汚れを(歯ブラシで)落として、
使わないであろう家具や小物類、衣類、靴、雑貨などを処分した。

もう壊れてしまっていた旧式のプリンターなども見つかり、
大きな家には収納スペースがあることが、このような怠慢を
引き起こしていたのだろうと感じた。
「後で捨てよう」と思い、捨てられていなかった。

本の量は莫大で、分別するのも大変なぐらいの数時間を要した。
最初はかなり残すものを選んでいたが、結局は全ての貴重な本を
再利用のゴミとして出すことを決心。
絵画の図録や、海外の舞台パンフレットは、最後まで悩んだが・・・
潔く、本当に、全てを、捨てた・・・。


使っていなかった旧式のパソコンや、携帯ラジオ、ラジカセ、
CDラジカセデッキなどは、いくつか大型から小型まであったので、
新宅の段ボールからカセットテープ(ナツメロ)を持参して、
旧宅から(ラジカセ等と一緒に)東北地方へ宅配便で送った。
近くの市役所では、すでに救援物資は受け付けていなかったが、
ツイッターでチェックすると、現地ではまだまだ物資を受け付けて
いるようだったので、今回は岩手県一関市に送った。
保存用に置いていた水や米、乾麺、海苔、缶ズメなどの食品類、
野外キャンプで残った紙コップやプラスチックコップ、懐中電灯等が、
たくさん見つかったことで、かなりの量になってしまった。
また、新宅からは、使用していない小物やカバンや衣類なども運んで、
詰め込んで来た大型バックもそのまま「支援物資」として一緒に送った。
気がつかないうちに、本当に似たような物品がたまっていたから。
私自身は、一つだけあれば、生活に支障はない。

これからは、新宅の段ボールの整理が残っているが・・・
夏物の衣類などは再度、どっさりと東北地方に送ろうと思っている。
父が使うために残していた夏物浴衣や靴下、自分の夏物衣類・浴衣も、
これからの暑い夏を乗り切るためには必要だと思う。
タンクトップや下着類など、買っておきながら手を通していない・・・
そんなものもたくさんあるので、そういう生活意識はもう変えたい。
できるだけシンプルにしたいし、身の周りのモノも、できる限り、
少なくしたいので、東北地方の方に使っていただければ何より有り難い。

  以前に(火事で)身一つで焼け出された時に、私も多くの支援物資を頂き、
  非常に有り難かったが・・・・、白シャツに昔風にペンで書かれた名字を
  見ると、今も(当時)「物資」を頂いた“その人”を思い出してしまう。
  そういうものは、結局、使わないのだけれど捨てられなかった。
  なんというか「使う&使わない」という価値基準での選別ではないのだ。
  私にとっては、“思い出の品”ということになる。



旧宅の整理を終えてみて・・・
今、この胸にあるのは、「名残惜しさ」と、「解放感」である。
旧宅での近隣の皆さんには、非常にお世話になった。
本当に「私は、この場所で、多くの人に仲良くして頂いていた」と
痛感する日々が続き、少しばかり感傷的になってしまった。
思い出が、たくさんある。
父と暮らした日々を、ともに過ごした人々だ。
一人で、荷物の整理をしていると、誰彼となくあがりこんできて、
勝手に「換気扇のべたべた汚れだけだから」「ちょっとだけ」と
言い訳のように話して、掃除していってくれた。
ある人は、冷たいシャーベットを持参してくれ、「休んだら?」と
声をかけてくれる。
「大変そうな顔をしているよ。疲れているように見えるわ」と、
身体を気遣ってくれる。
ある人は、「また飲みたいから、家に遊びにきて」と誘われた。
「パーティをしようよ」「一緒に、ゆっくりと飲みたいんだけど」と、
私がはじめた習慣が すっかりと根付いたようだった。
新しく引っ越ししてきた人は、「今後は我家のリビングで休んで
いってくださいなぁ」と、優しく声をかけてくださる。
「なんなら、一部屋空いているから、泊ってくれても・・・」とは、
なんとビックリする言葉だろう。
交流できなかったことが残念だったし、お仕事が介護ヘルパーなので、
いろいろな雑談を踏まえて、私と話したいそうだ。
近隣情報や、過去情報も、密かに知りたいのかもしれないが・・・
気さくで、明るい、新住人さんだ。



私は「この場所で、こんなに濃密に暮らしていたのか」と嬉しくなり・・・
最後に、一階の床をぞうきんで拭いている時に、少しばかり・・・
こみあげてくるものがあった。
これまでの数年間がよみがえって、まさに「この場所に父のベッドが
あったのだ・・・」とか、本当に走馬灯のように思い出されて・・・
なつかしさと一緒に「名残惜しい気持ちも芽生えてきた」。

しかし、「今・・・私は、こうして当地を離れることがベターなのだ」と
あらためて感じることもあり、これからの生活をつくりあげていくために
必要な行程だと思えば、「希望」・「解放感」・「新生活」・「期待」という
前向きな文字が浮かんでくる。
引っ越しを思いとどまらせていたのは、いろいろなことに対する・・・
私の執着心かもしれないとも感じたし・・・、やはりこれで良かったのだ。



身体は、いたるところが筋肉痛で、数日間にわたって、時間を割いて
完璧を目指した「この家への感謝の気持ち」を、行動で示し尽くした。
そういう意味では、満足感でいっぱいだ。

あとは、粗大ごみや分別ゴミを捨てるため、二度ぐらい出かけたら、
全てが完了となる。

本当の「おつかれ~さ~~ん!」は、その時だろう。