世界には、まだまだ血なまぐさく、想像したくないような出来事が、
絶え間なく続いているようだ。
人々は、現実を生きているがために、「国益」や「個人の理想」のため、
やらなければいけないことがあるのだろう。
また、同様に、その描いた世界と、実現可能な世界が、微妙にずれたり、
他の人々からの共感を得られない時、大切な命さえもが犠牲になる。
人間は、何故、相手を傷つけてしまうのだろう。
暴力という手段で、相手を封じ込めてしまうことを選んでしまうのだろう。
命を奪ったり、殺し合ったりすることが、果たして「どのくらいの利益を
産むのだろう」と、素朴な疑問に陥ることがある。
そして、その疑問の答えがみつからない私・・・。
きっと“計り知れない長き歴史や思想があるのだろう”けれど・・・
それを変えることはできないのかと、切ない想いにかられる。
違った方法論を用いて、課題を解決することはできないのだろうか。
思い起こせば、いつの時代もそうだったが・・・
世界中で殺戮は繰り返され、報復という形で、無情な出来事が起こり続ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/7a/10c55905cfd374377b9c919314b5b596.jpg)
ガンジーの「非暴力運動」で自由を勝ちえて、独立したインド。
ガンジーの理想と、その魂は、亡くなった後も、世界各地の平和運動や
人権運動などに大きな影響を与え続けた。
しかし、ガンジーの力によって独立を勝ち取った故国インドにとって、
「偉大なる魂」の影響力は(残念ながら)どれぐらいの大きさだったのか。
インドは、独立後すぐに軍隊を持ち、カシミールの領有問題をめぐって、
パキスタンとの戦闘を行った。
チベットの独立問題では中国と対立してしまい、戦争を行った。
さらには、対パキスタン向けとして、開発された核兵器の保有によって、
世界中を危機に巻き込んでしまったりもした。
これらのインドの行動は、「非暴力」でも何でもない。
平和主義とは、まるでほど遠い国になってしまった・・・と私は思う。
さらに、経済的には急速な発展があり、IT業界でも躍進をしたが・・・
裕福なエリート層が「富を独占する」という構図は変わらなかったため、
現在は“世界で最も貧富の差がある国”の一つになってしまっている。
なんとも皮肉なことに、ガンジーが目指していた“インドの伝統に基づいた
質素で自然な社会”とは、正反対の方向へと向かいつつあるのだ。
糸巻き機を見ると、ガンジーを思い出すぐらい象徴的なものだが・・・
現実は、そうではない。
インドでは、まだまだガンジーは、尊敬されている偉人の一人だと思う。
しかし、その魂を、そのまま実現しようとする意識はないのかもしれない。
理由は、変わりゆく価値観と、「時代」だろうか。
人々が、個人の利益を追求したためだろうか。
あるいは、すでに、ガンジーの哲学や理想は、色あせてしまったのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cb/ef9915e1179413ee74018f8066887d43.jpg)
哀しいかな・・・ 繰り返される人類の「殺戮」と「武力行使」の歴史!
似たような現象が、世界中に起こって、便利な生活と、自国のプライドのため、
時として「暴力」が刃となっているようだ。
人は“自分を中心とした目線で、常に判断するのが普通なのだろう”けれども、
世界中の人々や、地球全部に想像力を移してみても、同じ判断となるのだろうか。
求心力のある人が果たさざるべきものを想像してみると、国の利益や、
自国のプライドも大切だと思うが・・・・
もう一歩、もう二歩、三歩と、歩みを進めて、対応してほしいと感じる私は、
おそらく「マイナーな人間の枠に入ってしまうのだろう」と思う。
しかし、武力だけにたより、一方的な暴力によって(たとえどんな人であろうと)
貴重な「命」を奪い合うような現状は、心が痛くなる。
私にとっては、心地の良い感情を維持することが厳しい「現実」だ。
絶え間なく、繰り返される世界情勢の変化は確認しておかなければならないし、
否が応でも耳に入ってくる。
見たくもない惨状を見せられるのが、現代の情報化社会だ。
しかし、本当にしみじみと感じる。
悩ましい問題が続く「我が星」よ。
どうか、「人々の平和と安全と、幸せを与えたまえ!」・・・と。
せめて、この連休だけでも、精神的な休息を与えてほしいものだ。
絶え間なく続いているようだ。
人々は、現実を生きているがために、「国益」や「個人の理想」のため、
やらなければいけないことがあるのだろう。
また、同様に、その描いた世界と、実現可能な世界が、微妙にずれたり、
他の人々からの共感を得られない時、大切な命さえもが犠牲になる。
人間は、何故、相手を傷つけてしまうのだろう。
暴力という手段で、相手を封じ込めてしまうことを選んでしまうのだろう。
命を奪ったり、殺し合ったりすることが、果たして「どのくらいの利益を
産むのだろう」と、素朴な疑問に陥ることがある。
そして、その疑問の答えがみつからない私・・・。
きっと“計り知れない長き歴史や思想があるのだろう”けれど・・・
それを変えることはできないのかと、切ない想いにかられる。
違った方法論を用いて、課題を解決することはできないのだろうか。
思い起こせば、いつの時代もそうだったが・・・
世界中で殺戮は繰り返され、報復という形で、無情な出来事が起こり続ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/7a/10c55905cfd374377b9c919314b5b596.jpg)
ガンジーの「非暴力運動」で自由を勝ちえて、独立したインド。
ガンジーの理想と、その魂は、亡くなった後も、世界各地の平和運動や
人権運動などに大きな影響を与え続けた。
しかし、ガンジーの力によって独立を勝ち取った故国インドにとって、
「偉大なる魂」の影響力は(残念ながら)どれぐらいの大きさだったのか。
インドは、独立後すぐに軍隊を持ち、カシミールの領有問題をめぐって、
パキスタンとの戦闘を行った。
チベットの独立問題では中国と対立してしまい、戦争を行った。
さらには、対パキスタン向けとして、開発された核兵器の保有によって、
世界中を危機に巻き込んでしまったりもした。
これらのインドの行動は、「非暴力」でも何でもない。
平和主義とは、まるでほど遠い国になってしまった・・・と私は思う。
さらに、経済的には急速な発展があり、IT業界でも躍進をしたが・・・
裕福なエリート層が「富を独占する」という構図は変わらなかったため、
現在は“世界で最も貧富の差がある国”の一つになってしまっている。
なんとも皮肉なことに、ガンジーが目指していた“インドの伝統に基づいた
質素で自然な社会”とは、正反対の方向へと向かいつつあるのだ。
糸巻き機を見ると、ガンジーを思い出すぐらい象徴的なものだが・・・
現実は、そうではない。
インドでは、まだまだガンジーは、尊敬されている偉人の一人だと思う。
しかし、その魂を、そのまま実現しようとする意識はないのかもしれない。
理由は、変わりゆく価値観と、「時代」だろうか。
人々が、個人の利益を追求したためだろうか。
あるいは、すでに、ガンジーの哲学や理想は、色あせてしまったのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/cb/ef9915e1179413ee74018f8066887d43.jpg)
哀しいかな・・・ 繰り返される人類の「殺戮」と「武力行使」の歴史!
似たような現象が、世界中に起こって、便利な生活と、自国のプライドのため、
時として「暴力」が刃となっているようだ。
人は“自分を中心とした目線で、常に判断するのが普通なのだろう”けれども、
世界中の人々や、地球全部に想像力を移してみても、同じ判断となるのだろうか。
求心力のある人が果たさざるべきものを想像してみると、国の利益や、
自国のプライドも大切だと思うが・・・・
もう一歩、もう二歩、三歩と、歩みを進めて、対応してほしいと感じる私は、
おそらく「マイナーな人間の枠に入ってしまうのだろう」と思う。
しかし、武力だけにたより、一方的な暴力によって(たとえどんな人であろうと)
貴重な「命」を奪い合うような現状は、心が痛くなる。
私にとっては、心地の良い感情を維持することが厳しい「現実」だ。
絶え間なく、繰り返される世界情勢の変化は確認しておかなければならないし、
否が応でも耳に入ってくる。
見たくもない惨状を見せられるのが、現代の情報化社会だ。
しかし、本当にしみじみと感じる。
悩ましい問題が続く「我が星」よ。
どうか、「人々の平和と安全と、幸せを与えたまえ!」・・・と。
せめて、この連休だけでも、精神的な休息を与えてほしいものだ。