JORGE DONN の「ボレロ」

2012年03月07日 | 人物 -

「ボレロ」を聴くたびに、どうしても頭をよぎるのが、
「20世紀バレエ団」 の ダンサー「ジョルジュ・ドン」 だ。


一世を風靡した「モーリス・ベジャール」の黄金期には、彼の存在が
無くてはならないものとして定着していた。
斬新で前衛的なベジャールの振付と、舞台総合芸術の表現者として、
バレエダンサー「ジョルジュ・ドン」 は欠かせなかったのだ・・・。


私が、ドンの「ボレロ」 を 最初に観たのはテレビだったはずだが、
あまりにも衝撃的だった。
そのインパクトは、知人宅で鑑賞したLDのマリア・カラスに匹敵する。

記憶の中に残る “強烈な印象” が、今も断片的にリフレインする。

思い込みを打ち破られたかのような存在感があり、あの独自性、表情、
強靭な身体の線、・・・そして、体毛(胸毛)さえもが、まるで
衣装のように思えるほど・・・・個性的で、且つ、衝撃的だった。


「ボレロ」の舞台は、他のダンサーでは鑑賞したが、結局は欲求不満で、
心の中で「ジョルジュ・ドン」の存在がぬぐえないままだった・・・。
あまりにも、最初に観た時のインパクトが強すぎたのだと思う。



彼が出演したルルージュ監督の映画 「愛と哀しみのボレロ」 も、印象的で、
世界が彼を注目するきっかけになったとも言える・・・。


今でもDVDで彼の舞台を観ることはできるが、やはり 「生鑑賞」 ではないと
感じられないものがあり・・・、 映像とは全く違う臨場感があるために、
私はどうしてもリアルな舞台鑑賞にこだわってしまう。
映像の構成では、どうしても視点が限定されてしまうので、自分の感性を
躍らせることができず、不完全な感覚におちいることがあるからだ。
肌で感じる劇場の空気と、自分の意思でフォーカスしていく鑑賞形態では、
明らかに違いがある。

   


生舞台鑑賞をこよなく愛した若かりし頃・・・
テント芝居、前衛劇、コメディ、ストレートプレイ、ミュージカル、
はっきりと言うと「節操無く、ほとんどのジャンルを観た時代」を
経たことで、とりあえずの経験と知識がついて、自分の中にも
ある程度の “好みに近いもの” が 明確になった。

一年に一度、ロンドンに通っていた時代もあり、「よくもまぁ、
あんなに固執していたなぁ」 と(今となっては) 感慨深い。
A・ロイド・ウェバーの新作があけると聞けば、格安航空券を取り、
仕事をやりくりしては渡航していた・・・。

そのほか、アフリカン太鼓音楽劇やガムランなどの来日舞台や
コンサート・オペラ・バレエなども鑑賞していた。
来日舞台はチケット代が高価で、財布は悲鳴をあげていたが、
あの頃の私は「好奇心の塊」で、その都度、熟考して鑑賞した。



これまでに生で観られなかったことを残念に思ったのは少ないが・・・
それでも筆頭にあげられるのは、「ジョルジュ・ドン」だと思う。
テレビの映像では何度も観ていたけれど、願わくば・・・
「彼の絶頂期に生舞台で観たかった」と、今でも心から思う。

少しばかり生きた時代があわなかったし・・・、どちらにしても
彼は若くして逝きすぎた。
ジョルジュ・ドンが侵された「エイズ」という病は、まだあの頃は
情報が無かっただけに “不治の病気” として認知されており・・・
最期の迎え方もまた、(私にとっては)ショッキングだった。

何から何まで情報足らずで、魅惑的なままに逝ってしまったから、
今でも 「ボレロ」 を聴くと、どうしても思い出してしまう。
私にとっては「 ボレロ = ジョルジュ・ドン 」 になっているようで、
まるで「パブロフの犬」 みたいだ。


彼は、こんなことを言っていた。
「精神と肉体は、常に表裏一体だから、切り離すことはできない。
 だから、精神を豊かにすると、肉体の表現も自ずから豊かになる」
プロフェッショナルだからこその言葉だと思う。