四国霊場 歩き遍路

2010年07月04日 | 自分 -

高校の同級生で、東京有名大学病院で内科医をやっていた女性がいる。
もちろん、(私と同じ故郷)四国、徳島出身だ。

昨日も今日も、徳島は雨だと思うが・・・・
彼女は、今日、徳島で「歩き遍路」(四国八十八箇所霊場巡り)をしている。
少し前から一番さんから始めて、これから四国中を回ってくる――という。

今回は、月曜日までの日程を使って、歩いていると思われる。

雨の中「どうしているのかな?カッパを着て、大変だろうなぁ」と、なんとなく心配で、
歩いている様子などを、勝手に思い描いている。



今回、彼女が霊場をめぐることを決めた理由としては、三点を挙げていた。
 ◎自分の身体が歩ける内に、ちゃんと歩いて、八十八箇所をまわりたかった。
 ◎父がやりたがっていたのに、軽い脳梗塞を患い、身体の具合が悪くなり・・・・
  私が代わりにまわってあげようと思った。
  (願懸けの意味合いもあるのだろうか)
 ◎一緒に行ってもいいという友人がいたので、一人よりも心強いので決めた。




歩き遍路は、楽な場所と、泣きの難所があり・・・・奥が深いものである。

彼女は、東京でつとめていた大学病院を(このたび)辞め、気楽な立場になったので、
金、土、日、月曜日・・・の内の三日ぐらいを使いながら、四国を行ったり来たりして、
歩き遍路をしているそうである。

八十八箇所を巡り、仕事の合間をぬって、何度も四国へ出向くわけだから、経済的にも、
なかなか決意のいることだっただろうと、勝手に思っている。



「いつか、歩き遍路をしてみたかった!」
彼女は、そう言った。
実は、私も、ずっと、そう思っている。

私の母は、不自由な足を引きずりながら、難所を登り、最後の巡礼では涙が溢れた――
そうしみじみと語っていた。
そのときに、母は「もう二度と来れないだろう」と、切実に思ったらしい。

体力は、どんどんと落ちていく。
特に、我が母のような持病持ちには、厳しい状況だったと思う。
しかし、結局、彼女は、各霊場を歩いて、三回まわっている・・・・。

今も残されている台帳を見ては、「いつか私も、元気な内に・・・」そう思っていた。


仕事がなければ、3ヶ月ちょっとあれば、楽々に「歩き遍路」を達成することは出来る!
いつか、本当に行ってみたいものだ。

憧れは、つのる。 

郷愁と、憧憬と、希望と、達成感の果てに、何が待っていて、どのような気持ちに
なるのだろうかと、興味深い。
そのときの自分は、どのような自分なのだろう。

だからこそ(途切れることなく)続けて、歩き遍路は達成したいと思っている。
いつか、この息が途絶えるまでに・・・・・。



   ※写真は、四国霊場一番札所のものである。


一任されることの複雑さ

2010年07月01日 | 仕事 -

難航していた企画を、長期にわたって双方の間に入り、何度も話を詰めて・・・・
「何故、私がしなければならないのか」などと愚痴のような気持ちを強く抱きつつも、
幾度となく、話し合いに入って・・・・・状況を聞いて・・・・また間に入って・・・
ついに、私自身が腐りそうになった時・・・・
まるで「とろこてん」を押し出す時のように、するっと、話がまとまることがある。
今日は、まさに、そうだった・・・。

相手の人の明るい声を聞くと、「ほっ」として、私の心が(やっと)落ち着くし、
「やったこと」に対する自我自賛(誰もほめてくれないから:笑)のようなものを、
自分で(ひとしれず)かみしめたりもする。
そして、自分で、自分を鼓舞するのだ。



難航して一任された仕事の調整&交渉の過程は、ストレスがかなりのものであるために、
私は“へとへと”になってしまう。 疲れ切ってしまうのだ。
それでも、(最終的に)まとまると、結局は「嬉しいものである」。

こういう場合の原因は、だいたいが、双方が同じように主義主張を折り曲げないことが、
一つの大きなネックになっていることが多い。
それを、肩をもみほぐすように、丁寧に、話し込んでいく作業は、時間を要することで、
時々「かけひき」のような手練を使うときもある。



しかし、冷静に考えてみると、ホント、私は・・・相当のおバカさんのようである。
上手く利用されているのか・・・
事が「モメモメ」になると、周囲は手を上げて、「君に一任するから」と軽く言われる。
そんな状況の仕事を引き受ける私が、(結局は)おバカなのか――と、思ったりもする。
挑戦してやろうという気概もあったりもするが・・・・
根っから、お人よしで、おめでたいのか・・・・
本当に、わからなくなるときがある。
人がいいのであれば問題はないが・・・・それ以外の状況と理由があるのであれば、
私自身の内面に問題があるということになるはずだ。


しかし、なんだかんだ言っても、
たとえこういうケースだったとしても・・・
一つの「経験」として、自分のキャリアに、なっていることは事実だ。

そして、ただ単に、仕事は「できないよりは、出来た方が良い」と勝手に、自分を慰め、
刹那的な仕事であっても、次に繋がるようなケアをして、時々は連絡を取り合いながら、
何かの折に・・・というつもりでいるのも事実である。



しかし、それにしても・・・である。 本当に「仕事」は、疲れる。
だけれど、私の肩をたたいて、「頑張れよ!」と(時々だが)小さな声をかけてくれる。
だから、まだ(どうにか)続けているようなものである。