「心育て」 と 「自分育て」

2011年06月04日 | 自分 -


人間という生き物は、元来「マイナス思考の人が多い」と
言われています。

心も身体も疲れ果てている「今の私」は、・・・ 特に配慮して、
客観的に自分視を試みながら、様々なことに対峙していかなくてはと
そう感じています。


リカバリーするためには、自分の「心育て」が必要です。
そういう際には、時として「自分で、自分を褒めてあげる作業」を、
努めてするようにしています。
他人ではなく、自分が自分を認めてあげるーという思考です。
ひとことで表現すれば「受容する」というのでしょうけれども・・・
そう簡単な作業ではないと、常々感じています。



「ほめる」という行為は、人間関係をよくするばかりか、
自分の立ち位置をも確認させてくれるようになります。
だから、大切なことだと思っていながら・・・最近・・・
忘れがちになっていました。
目先のことに追われ、ただ疲れ果て・・・。
これでは、あまり良い傾向ではないと、しみじみ思いました。




きちんとした「褒め方」というのもおかしいですが・・・
私の「やり方」で、気をつけていることは、以下のようなことです。
 (1) 観察をする
 (2) 変化や進歩に注目する
 (3) 心だけでなく、身体にも触れる


また、他人との人間関係で追加するとするならば、
「信じる愛」というものも大切です。
親から子へ、上司から部下へ・・・などのケースでは、
大きな影響を与えるかもしれないスタンスです。



私の母は、受容感に満ち、“愛にあふれた人” でした。
学はなく、知識もありませんでしたが、人には愛されました。
その分、自分の命を削ってまで、他人には尽くしていました。
その母が、私に言っていた言葉は、とても深いものです。
  ★「あなたを信じている」
  ★「好きなようにやりなさい」
  ★「あなたを産んで、本当によかった」
これほど、私を愛してくれ、それを伝えてくれていた言葉は、
なかったと思います。
これを言われた方(側)は、強く心に残るはずです。
人を育てる言葉だと、私は思っています。



父の「心」の記録

2011年06月04日 | 自分 -

2001年の日付けのついた感熱紙のFAX紙を、二枚見つけた。

かつて 私が、大事にとっておいた「父の手紙」だった。

この二枚は、日付けから推察すると・・・
父と同居する直前に送られてきたFAXで、内容はとても日常的。

感熱紙のため 色が薄くなってきていたので、私は、すぐに
コピーした。
これで、ずっと記録として保存することができる。


しかし、読んでみると、保存したくなるような文章で、
あのころの父と私の関係が、すぐに思い出せるものだった。
すでに「耳」と一緒に「目」が悪くなっていたせいだろうけれど、
筆ペンで大きな文字で書かれており、判読不能な部分が
少しだけあり、残念だ。
(FAXも斜めに送信され、文字が消えていて完全に読めない)



   ○ちゃんへ
     お父さんから

 二十三日 親戚へ手伝いに行き
 お墓参りをした
 夜二人で 月の世界 
 宇宙を飛びまわって
 あそびました
 ○○も早く帰って
 宇宙を三人飛びまわりませう

                ※○は、私の名前




もう一枚のFAXは、もっと現実的で、日常的なものだ。


  三月○日は 旧○日で
  薬師様のおごまきとう
  皆の幸福を一生懸命に
  お祈りいたします
  昨日は朝早くから無礼な言葉を
  お許しください
  心よりおわびいたします
  毎晩仏壇で祈ると
  二人のことが浮かびます
  
  身体はっぷ父母に受く あえてきしよう    
  せざるは 心 孝を始めなり
  身をたて 道を行いもって
  父母の名をあらはすは 孝の終わりなり
      3月6日父より


  ※「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝至始也。」
   「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母(ふぼ)に
    受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり 」
   《「孝経」から》
    人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、
    傷つけないようにするのが孝行の始めである。

  ※「立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。」
   「身を立て道を行い、名を後世(こうせい)に揚(あ)げ、
    もって父母を顕(あら)わすは、孝の終りなり」
    《「孝経」から》




独創的な父の世界――。
宇宙をとびまわる姿は、「銀河鉄道の夜」を想いだし、
すでに墓の中に入ってしまった母への気持ちが想像できる。
元気な頃は、花を手にして、毎日のように墓参りをしていた。

父が仏壇で祈っている姿は、この目に焼き付いて離れない。
信心深い人だったと思う。
母を見送った後に、二人で仏壇を選び、値段が高くて
しぶっていた私に、「わしもここに はいるけんなぁ」と
ガンとひかなかった“お気に入りの仏壇”。
実際、生前の父は、毎日(実家 仏壇の前で)おがんでいた。
般若心経から、知らないお経まで、大きな声で・・・
何度も となえていた。
まるで詩吟や唄のような風情があり、聴きごたえがあった。
それは、私と同居してからも一緒で( 仏壇は実家だったが)、
位牌と写真を見ながら、“大きな声”は 変わらずだった。


   


仲たがいをして、父から勘当された私が、
晩年は・・・こんなやり取りをしていたのか・・・と、
自分でも感慨深いものがある。

私には、そういう相手はいないが・・・
心安らかに逝けるように、“自分育てを怠らないようにしたい”と
思ってしまうような「父の手紙」だった。

振り返ると、過去には・・・父から文章をもらったためしはなく、
このFAXは貴重な思い出のような気がしてきた。