既に全世界に、「少女像」はある。
いろいろな国の、いろいろなケースの像がある。
日本の一部の人たちは、この像に過敏に反応する。自分の国や先祖が侮辱されたと感じる、という。なぜだろう。
この像の作者、キム・ウンソンさん、キム・ソギョンさんご夫妻は、ベトナム戦争での韓国軍によるベトナム民間人虐殺を謝罪し、被害者たちを慰める思いを込めて、犠牲となった子を抱く母を形象化した「ベトナム・ピエタ」とも呼ばれる像も制作しているという。
日本人だけの問題ではないとしているのに、なぜ日本では、「日本人(だけ)の問題」として騒ぎたてるのだろう。
現在、愛知の芸術文化会館にある、この「少女像」は、いま急に、この展示会のために、持ち込まれたものではない。
かなり前からこの国に存在する。
私は隣に座ったこともあるし、触れてみたこともある。
この写真は、一年前に自分で撮ったものだ。
巡り巡ってまさにその「少女像」が、いま、愛知の芸術文化会館の展示ブースに、幽閉されている。
既に全世界に、「少女像」はある。
その像の存在に反対する人たちがいることで、なお増殖する。
共同通信によれば、岩手県の達増拓也知事は9日の記者会見で、今回の企画展「表現の不自由展・その後」について、「過去に物議を醸した作品を展示するという批評精神が高いものを、そういうものだと断った上で開くことには意義がある」「警備が(クリア)できるなら再開すればいい」、と述べたという。
そういうことでしたら、ぜひ岩手県で展示を開催していただきたい。
そして、この国の「表現の自由」が萎縮しないために有効な方法は、まず、明確に一つ、ある。
河村たかし名古屋市長を、リコールすることである。
憲法違反の「検閲」発言をし、「大日本帝国」=「現在の日本」と思い込む一部の日本人の蒙昧を、世界じゅうに知らしめてしまった市長である。
当該自治体の首長が卑劣な脅迫犯たちと同じ考え方を持ち、その肩を持ち、被害者である表現者たちに謝罪まで迫ったという事実は断固として糾弾されるべきだが、ただ批判すればそれで終わりではなくて、決着を付けねばならないのだ。
この国が、民主主義を、人間の権利を、守るかどうかということについてである。