飯舘村の元酪農家・長谷川健一さんの訃報にうなだれる。森住卓さんのFB投稿で知る。
震災直後は牛の苦しさを救うため、どこにも出せない牛乳を搾り続けた。最近は農地を荒れさせないために、出荷できないそば粉を造り続けていたという。
農業の人だった。地元を、作物を、愛していた。
下北沢でお会いした。日本酒がお好きで、私が薦めた「ふるさと」のおにぎりを、うまいと言ってくれた。
そのときの、仲間思いの発言が印象に残る。
最近の記事では「飯舘村では若い人が胃がんで立て続けに亡くなっている」と言っておられたようだが、どう考えても、ご本人も、お亡くなりになるには早すぎるという気がする。