『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』、まだ具体的な開幕の日取りについて、見通しが立っていません。
それは、もう、当然ですが、悶々としています。
さまざまな想念が巡ります。いろいろなことを思い出します。
『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』は、ある意味、シェイクスピア『リア王』の変奏曲なのですが、ときどき頭を過ぎるのが、
「『リア王』ではなく『リア』なの」と、岸田理生さんが言ったことです。
岸田理生さんの『リア』は、1997年に国際交流基金が制作した国際合作です。演出はシンガポールのオン・ケン・センでした。
岸田理生さんは、彼女が寺山修司さんの〈天井桟敷〉の人だったこともあり、八十年代からうっすら知ってはいました。私がまだ劇団を作る前だったし、数回しかお目にかかっていない寺山さんでしたが、寺山さんが私の名前を覚えてくれていたことは、感激でした。
理生さんとは、いろいろなところで、とくにアジア関連のことでよく出くわし、また、私が〈アジア女性演劇会議〉のお手伝いをしていた頃からも、お話しするようになっていました。これからいろいろなことをと思っていた理生さんと如月小春さんを失ったことは、演劇界にとってだけでなく、本当に、いろいろな面で、残念なことでした。
『リア王』ではなく『リア』なの、と、岸田理生さんが言ったのは、もちろん、「王制」や「家父長制」的なものへの批判もありましたが、「リア」という一人の老人をこそ、解放してやりたい、という思いもあったのだと思います。
私は、「その『リア』よりもっと前に、『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』という、生きているか死んでいるかわからない、浮浪者か乞食かわからない「リア」的な存在がいて、しかも娘を自称する女たちが何人もぞろぞろ出てくるバージョンを作ったのだぞ」と、理生さんに言ったこともありました。気が合ったのもあるでしょうけれど、いつも生意気な私を面白がってくれる理生さんでした。
このたび、『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』でその「リア」的な存在を演じる大西孝洋と私は、理生さんが亡くなられる数日前に、理生さんと阿佐ヶ谷で飲んでいました。亡くなられたのは2003年ですから、もうすぐ二十年になろうとしているのですね。本当に歳月が過ぎゆくのは早い。
そして、『リア』を追いかけて、私が国際交流基金さんの制作で実現することができた国際合作が、『南洋くじら部隊』でした。
思い出に耽っているわけではありません。
明日のことを考えています。
写真は、開幕を待つ最新バージョンです。
左より、溝畑藍、武山尚史、小松広季、坂下可甫子、三好樹里香、大西孝洋、鬼頭典子、山本由奈、三浦知之
撮影・姫田蘭。
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