自分が十年間住んでいた都営住宅が建物の棟ごとなくなったことを記したが、
最近何かがなくなってショックを受けた別な出来事といえば、
昨年春ニューヨークに行って、アスタープレイスを歩いていて、
私の愛する店、Marion,s がなくなっていたことを事前に知らず、
今まさに目の前で店舗の解体工事をしているところに出くわしたときのことだ。
おかしい、 Marion,s がない、私は土地勘をなくしてしまったのかと動揺し、何ブロックか回って戻り、やはりこの場所であった、そして、店の痕跡が何もかもなくされようしていることに、気づいたのだ。
その日の作業は一段落したのか、表で解体のために働いているらしい人以外は、中に人の気配はなかったが。
建物がなくなるのではなく、無店舗が別なものに変わるのであろう。
ニューヨークで一番、好きな店だった。
じつは私は、ほとんど一人で飲みに行ったりすることはない。
例外の一つが、ここだった。
入口そば、曲面のガラスの向こうに、そう大きくはないカウンターがあったのだ、ちょっとしたダイナーふうの、ピンクというか赤いカウンターテーブルの。
その辺りの壁には、百年余りの歴史を誇るこの店の、昔の写真が、ニ、三、飾ってあった。
奥はけっこう広く、その気になれば百人近くは入れたはずだ。
店内に、別な出口もある地下の別な店に降りていく階段もあって、なんだか不思議だった。
四半世紀前、ACCのグラントとして、ニューヨークで三ヶ月過ごした。
ワールド・トレード・センターがまだあった時代で、チェルシーのアパートの窓から身を乗り出せば、遠くに見えたはずだ。
そのとき、ラ・ママ劇場で拙作『くじらの墓標』の英語版の、アメリカでは初めてのリーディング上演が行われた。
出演者・スタッフの打ち上げも、ここだった。
ニューヨークの劇団・SITIカンパニーの全面協力を受けた公演で、彼らも常連である、この店で飲むことになった。
みんな素敵な人たちだった。
後に『アイ・アム・マイ・オウンワイフ』でトニー賞を獲得することになるジェファーソン・メイズも来てくれていた。
店は、何曜日かは、女性が半額デー。
食事が半額の日もあった。
平日だと、時間帯によっては、客が極端に少ない日もあって、カウンターの向こうに店の人ひとりと、本を読む私と、たまたま居合わせた女子学生の、三人だけで二時間くらいの時間が過ぎていったという日もあって、三人でなんとなくだらだらと話したのだった。
以来、何度か来て、『屋根裏』ニューヨーク公演の時は、劇団員の一部を連れて行ったが、やつらは定食みたいなのを、わしわしと食べた。
店名を冠した、Marion,s という名前のカクテルは、ペコロスというのか、小さい玉葱が浮かんでいて、ものすごくドライで、最初は驚いたが、味わい深かったし、なにより、量が多かった。
カクテルは、ギムレットもやたらと量があった、通常の2・5倍くらい、そして、うまかった。
店が亡くなりつつある瞬間に遭遇して、驚いたし、ただ、茫然とその様子を見るのみだった。
過去と現在の時間が混じる店という印象だったが、その「時間の隙間」みたいなものじたいが、どこかに消えてしまった。
私が勝手に思っていたニューヨークが、姿を変えていった、一つの事例である。
追記
後日、ニューヨークの知り合いに聞くと、「ニューヨークに住む身としても街のgentrification (中低流階級の浄化?)には心が痛みます」とのことでした。
そうか、やはりあの店は「庶民の店」だったのだなあ。
ジェントリフィケーションとは、都市の居住地域を再開発して高級化することを意味するようであるが、元の言葉は「gen・tri・fy」のようで、〈人〉を紳士的にするという意味でもあるらしいが、「gentle」とは「L」と「R」の違いがあるので、関連はあるように思えるけれどもちょっと違うのかな。英語は難しい。