CNNによれば、昨年末アメリカが、米空軍がかつて第2次世界大戦で日本への原爆搭載機「エノラ・ゲイ」「ボックスカー」の出撃地となった太平洋のテニアン島・ノース・フィールド飛行場を再建し活用する計画を立てていることがわかった。
同地は、日本が建設した滑走路を米軍が奪った飛行場で、日本本土を爆撃するB29スーパーフォートレス爆撃機の発進地となったところだ。1945年3月10日の東京大空襲では、焼夷弾による攻撃で10万人が死亡、100万人が負傷した。
テニアン島は近くのサイパン島、グアム島とともに、米空軍作戦で数多くの歴史を残してきた。沖縄から移民した一族で現地生まれの私の義母も住んでいたが、米軍の攻撃後、収容所に送られた。
六五年ぶりに行ってみたいという義母の望みを叶えるため、私も十年前に行ったことがあるが、その頃は林が生い茂っている未整備な状態にあった。
大平洋を攻めてゆき、沖縄を占領する過程を経ての原爆投下、「太平洋戦争」と呼ばれる日々の中で、刻まれていった歴史。
あの飛行場が「現役」になることに、不穏な思いしか、湧いてこない。
義母は米軍に追われた後、初めて沖縄の地を踏んだ。
沖縄の「戦後」は、あの年の八月十五日から始まるのではない。
新たな「戦後」を迎えることは、避けたい。
写真は、ニューオリンズの、第二次世界大戦博物館、太平洋戦争の歴史を辿って、「OKINAWA」が始まるコーナー。