Kさんに最後にあったのは
今年の初めだった
ウオーキングでお宅の前を通りかかった時
お正月はいかがでしたか? と訊ねたら
娘のところで孫たちと過ごしました・・・ と
言葉少なに答えられたのが
いつもと違う感じで
気になった
それからすぐに
Kさんの家は留守の状態になり
今日は会えるか 明日は会えるか と
ウオーキングのたびに待ち続けた
そのうちに雨戸が閉められ
ご病気を想像したけれど
暖かくなったらまたお帰りになり
家で療養されるだろうと
希望を持っていた
でも
それはかなわず
たったの数か月のうちに
お亡くなりになった
Kさんは
私たち夫婦と郷里が同じ方だった
長い間お互いにそのことは知りながら
お話をすることはなかったけれど
近年お話をするようになった
奥さんを数年前に亡くされ
一人暮らしだったけれど
趣味が広く
一人暮らしを楽しんでおられるように見え
理想的な老後の生活に見えた
そういえば昨年末ころから
家の周囲をきれいに整理される姿が見かけられ
あるいは自分の病気を知って
整理されていたのかもしれないと
今になって思う
娘さんのご主人はお医者さんだったとか
どうすることもできないご病気だったのだろうと思う
もうすぐ75歳の誕生日だったという
もう一度
お会いしたかった