黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

天神沼の謎・前編

2022-06-23 14:10:28 | 蕨沢川物語

昨日の朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

天神様の御利益かな?

ケンくんとガラス越しながら、久しぶりに逢えました

逢いたかったわ

アタチはガラス越しの逢瀬でも幸せよ

 

アタチは、直接逢いたいですわ

又の機会を待ちます

 

 

 

先日、常広寺で、天神沼で泳いだ記憶のある人に出会いました

本橋院殿(山上郷右衛門顕将)供養塔そばの山上城の縄張り図の前でです。

供養塔の側に、山上城の縄張り図があります。

ここは山上城本丸への近道なのです。

その縄張り図では、城の東を流れるのは蕨沢川(わらびさわがわ)です。

 

話が弾んで、山上城の縄張り図を見ながら、「東の川は蕨沢川と呼ばれていますが、本来の縄張り図では、山上城の東を流れるのは天神川です。先代の和尚さんは天神沼で泳いだそうです。天神沼も近くにあったはずですけど

(『日本城郭体系 第4巻』 新人物往来社・昭和54)

 

すると、「俺、天神沼で泳いだよ

「何処ですか?」

「裏の竹藪のむこうだよ。そんなに大きな沼ではなかったよ。夕方になると、カッパが出るといわれていたんだ

「ええ 貴重な情報ありがとうございます。」

 

と言うわけで、一昨日の朝のお散歩はみんなで「天神沼を探して」ということになりました

 

古い地図(昭和47年)で、付近を確認です。

赤線で囲った部分が、字天神です。

青線を歩いてきました。

字鹿島の上は字諏訪です。

鹿島は鹿島神社の鹿島かも?

あれ、鹿島神社、諏訪神社、天神様がそろってるかも

もしかしたらここら辺は、ものすごいパワースポットかも

鹿島神社の記憶がどこかにあるかな?

 

 

天神沼跡に一番近い橋を渡ります。

むこうに見える森(竹林)の北側が怪しいぞ

あそこの橋を渡るよ

橋の上から、南の風景です。

振り返って、北側の風景です。

けっこう深い流れです。

砂防指定地ですって

土砂崩れを防ぐために、制限があるのかな?

ナス畑の脇を通らせてもらいます。

ナス畑の南は、窪地ではありません。

右の方に道がありそうです。

なんとか道に出て、南に進みます。

少し低い土地だけど、窪地ではありません

大きな桑の木も邪魔していますけど、なんとか通過します。

 

道らしき所に出ます。

右の竹藪は、常広寺境内の竹藪です。

おいしい筍が出ます。

 

道が左に行ってます。

この間のおじさんの話だと、「天神沼は、常広寺の竹藪のすぐ先だよ。」ということでした。

天神沼は、何処だろう?

窪地と考えると、この左辺りだけど

でも、竹藪の向こうだと、低くない

古い地図だと、この先に川を渡って道があります。

現在では、竹やその他の木々の切り株だらけです。

靴を履いてないひめちゃんとタバサねーちゃんも一緒なので、無理をせず退却です。

 

 

本来の橋が架かっていた位置から、数メートル南にかかる橋を渡ります。

あのフエンスが途切れてる辺りのむこうに、昔の橋は架かっていたかな?

川沿いに北上して帰ります。

 

 

道の東は、現在常広寺の墓地で、新墓地と言われる分譲中の墓地です。

ここに、気になる石宮があります。

 

(つづく)

 

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童沢用水記念碑(これが本当の蕨沢川物語第一章)

2021-07-31 21:01:19 | 蕨沢川物語

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩です。

りりしいひめちゃんです

後ろから、黒い大きな甲斐犬ふうの子がやって来たのです。

争いを避けて、脇道を帰りました。

 

獅子丸は、タバサねーちゃんとお散歩です。

タバサねーちゃん、やんちゃな弟によく付き合ってくれてます

 

 

 

今朝、ひめちゃんと獅子丸は、新沼&童沢貯水池を目指しました。

沼下の乳牛の牧場を通ります。

おはよう、牛さん朝ご飯中のようです。

 

 

おや、牛舎隣の大きな庚申塔、台石に文字が見えます。

なんとなく、「小林、相応寺」かな?

 

 

新沼に到着です。

赤城山はその姿を見せません。

何となく、みどり沼復活の色です

 

2人はクンクン、仲良く情報収集です。

獅子丸が実家に帰った頃は、危険な行為でした。

今では、しっかり実家の一員の意識のようです

 

 

沼下の墓地に、僧形の墓石のような石が見えます。

そのうちに、下に降りてみましょう。

山上から移転したというお寺が、いくつか有ります。

 

 

新沼の西岸に、童沢用水記念碑があります。

この手の碑は、ただただ顕彰碑の色合いが濃くて苦手です。

本日初めて、カメラに収めました。

文字数が多くて解読不能ですけど、『新里村誌』(昭和49年)に、全文があります。

長すぎて全文の転機はちょっと無理です。

概略です。

水田の水争いを解決するために、新沼の水は町の東に、西は新たに童沢川をせき止めて童沢貯水池を造って使用することとし、昭和19年工事に着手し、昭和24年7月に竣工した。

そうだったんですか

題字は、前農林大臣・福田赳夫さんです

 

 

碑の西に降りてみます。

まだ、みどり沼です。

でも、カモさんはたくましく生きています

今朝もサギさんの姿はありませんでした。

 

左を見ると、ここが本当の蕨沢川の始点です

あの白いガードレールを渡って、蕨沢川の西側を下ります。

 

暑くなって来たよ、早く帰ろう

 

 

 

諏訪神社にちょっと寄り道です。

拝殿の脇に階段があります。

まだ階段が苦手でない2人は、興味津々です

 

参道の階段も、まだ難なく降りられます

ああ、疲れた

 

 

蕨沢川を渡って帰ります。

川の東の道は、小林の相応寺から関の摩崖仏への道です

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蕨沢川物語第一章は、サギ族の営巣地

2021-06-21 16:33:20 | 蕨沢川物語

ひめちゃんちには、遅咲きのヘメロカリスが華やかに競演を始めました。

こだわりなく集めた花々です。

それなりに、みんないい花咲かせてくれます。

何種類かは、株分けして増やして、郷右衛門忌のプレゼントにと出番を待ってます

 

 

 

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

お天気で気持ちいね

獅子くん、最近小次郎パパに似てきたみたい。

ひめちゃんは、用を済ませると、ご褒美の催促です

獅子丸は、自分にも廻ってくるので、静かに待ちます。

 

岩神沼に到着です。

沼は静かでした。

よくよく見ると、向こうの淵に、カップルの黒いカモさんがいます。

 

さて、上の沼はどうなったかな?

この間は、東の新沼(しんぬま)も西の童沢貯水池(どうざわちょすいち)も、緑の藻に覆われた「みどり沼」でした

 

新沼に到着です。

あれ、きれいになってる

東の新沼は、鳥さんはいませんけど、いつもの沼に戻ってました

さて、西の童沢貯水池はどうかな?

 

向こうから、杖をつきながらお散歩の老人です。

「おはようございます。」

「おはようございます。」

明るく挨拶を交わします

 

あれ、油断してました。

白い物体が舞い立ちます

シラサギです

やっと、その後ろ姿を捕らえました

 

むむ、木の上にまだいるぞ

ここは、蕨沢川の起点です。

 

ここから一級河川・蕨沢川は流れ出しているのです

 

シラサギの向こうには、アオサギです

アオサギは3羽以上いる?

黒いのは、カモさんかな?

 

どうも棲み分けているみたいです

シラサギはシラサギと、アオサギはアオサギと、木の上で生活しているようです

一級河川・蕨沢川の第一章は、サギ族の営巣地だったのです

初めて気づきました

 

ひめちゃんたちの協力がなかったので、なかなか焦点が合わず、小さめサギさんの画像だけになってしまいました

でも、ひめちゃんたちがいるから、ここまで歩いてきたんだね。

ありがとう

 

さあ早く帰って、朝ご飯にしましょう

 

沼の下には、大きな庚申塔があります。

題字は、(新里町)小林にある相応寺住職の筆であることは確認できます。

後ろにも、台石にも、文字がありそうです。

ちょっと判読不能かな

 

おや、獅子丸、ハンターに変身です

気にしない、気にしない、早く帰ってご飯だよ

 

 

 

 

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ひめちゃんと獅子丸の蕨沢川物語

2021-03-19 19:33:25 | 蕨沢川物語

ひめちゃんちのガーデンも花盛りになってきました

 

地植えのクリスマスローズ、たくましく花を咲かせています

 

ヒヤシンスの球根、いつ植えたんだっけ?

地植えだとこんな感じなんだあ

 

水仙もあちこちで、繁殖して切り花で役立ってます

 

お名前知れずだけど、寒さに耐えて花を咲かせました

 

こちらはかなりの大輪です。

去年は花が全く咲きませんでした。

今年は次々と蕾をあげて咲き始めました

 

咲き始めは黄色でしたけど、たくましく咲き誇ってます

春ですねえ

 

 

 

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、蕨沢川沿いを歩いてきました。

いわば、ひめちゃんと獅子丸の蕨沢川物語です

 

まず、蕨沢川にかかる2番目の橋、巧橋(たくみはし)付近です。

サクランボの花が、満開真っ盛りです。

上流の眺めです。

まだ静かな流れです。

 

下流の方にも、サクランボの木があります

こちらも静かな流れです。

橋のたもとの石造物、文字が見えますけど、仏の姿が何となくあるようにも見えます

 

橋を渡って、すぐの道を南下、また、川沿いに戻ります。

蕨沢川にかかる3番目の橋、名前はありません。

かなりの交通量の道ですけど、目立たない橋です。

 

橋を渡って、川の東に戻ります。

渡ってすぐの道を南下です。

 

おや、石宮がある

誰かいるかな?

お留守のようです。

でも、現役のようです。

 

おや、稲荷様です。

そばのお宅の屋敷神かな?

 

不思議な空間です

御神木の様なツツジを囲んで、石造物があります。

そばには、かわいいお地蔵様と石殿です。

おや、石殿の向こうの方は、上半分がありません

真っ二つです

ここは単なる墓地ではなく、何かあった感じです

 

そういえば、ここらへんに、いつも一人でウロウロしている白い老犬がいたっけ。

もう姿も犬小屋もありません

 

道なりに南下します。

枯れ草の中に何かあります

あそうだ、ここには庚申塔などの石造物が並んでいたんだ

枯れ草に覆われて、存在を忘れられている

パワースポットのはずだけど、パワー切れだね

 

川の向こうの桜が、悲しく見えるよ

あの桜の木の下の百番供養塔と馬頭観音は、まだパワー残っているみたいです

そこの橋は、名前がありません。

諏訪神社のそばなので、諏訪神社橋とでもいいそうですけど、天神様が怒ってしまうでしょうね。

この川は、近年まで天神川だったのですから。

地域の整理の中で、川も管理しやすく名称変更されたのでしょう。

本来の山上城の縄張り図には、ちゃんと天神川とあります。

 

子供たちは、来ないよね

そう、もう通学時間は過ぎたみたいよ、よかったね

 

今朝は、ボクが主役だよね

そうだね、今朝は獅子くんが主役だね

 

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安永3年の百番供養塔(諏訪大明神の御利益?)

2021-02-01 15:25:28 | 蕨沢川物語

ひめちゃんちのニューフイスを紹介します。

シローくんです

この春閉園になる常広寺学園・城山幼稚園から、やって来ました

とりあえず、おとうさんのメダカ桶の番をしてもらってます。

小次郎パパがクンクン、情報収集しました。

ほかのみんなは、関心が無いようです

 

 

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の西の高台をめざしてお散歩です。

 

諏訪神社の鳥居前からは、妙義山も見えます。

真っ白な浅間山も見えます。

榛名山もうっすらと白いような感じです。

 

赤城山には、重い雲が垂れ込めています。

ひめちゃんと獅子君は情報収集です。

だれが通ったのかな?

 

高台の中央で右折し、道なりに戻ります。

畑の自生しているロウバイの向こうに赤城山です。

 

神社前に戻りました。

この間お散歩の途中に、2礼2拍1礼をして、鳥居前でちゃんとお参りしている人がいました

ひめちゃん・獅子くん、お参りしよう

ひめちゃんたちは、関心がありません

右手にカメラ、左手に2本のリード、両手が塞がっているので2礼2拍1礼したつもりで、会釈をして通り過ぎます

 

橋のたもとの百番供養塔、少ししつこくみたいなあ

獅子丸が、供養塔と馬頭観音の間をすり抜けていきます

 

しかたなく、ひめちゃんとおかあさんもついて行きます。

あれ、後ろに文字があります

後ろには、やわらかい草があったのです。

 

ひめちゃんもお相伴です。

「安永3年甲午(きのえねうま)星次 卯月吉祥日」、きれいな文字です

まさか裏に文字があるとは、思ってもみませんでした。

そして、安永3年(1774)ですって

 

安永3年は、世良田の毛呂権蔵が『上野国志』を著した年です

毛呂権蔵は、常広寺の「竜骨伝記」を『上野国志』の中に遺してくれたのです。

「竜骨伝記」は焼けてしまったけれど、『上野国志』の記述によって再現されたのです。

奇遇です

さっそく諏訪大明神の御利益かな?

 

江戸時代の後期には、他国に行くのは難しいけれど、国の中では比較的楽に移動できたといいます。

そんな中で、毛呂権蔵がやって来たのです。

そんな中で、百ヶ所の霊場巡りを成し遂げ、記念に百番供養塔を建てた人々がいたのです

 

気のせいか、隣の馬頭観音さんの足下の馬たちも、元気に見えます

 

ひめちゃんたちのお散歩記事が、長くなりました。

南勢多郡の廃寺・三夜沢赤城神社の神宮寺(後編)は、明日にしましょう

 

 

 

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