黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

御朱印あります(浅原鎮守・菅原神社)

2021-12-11 15:41:33 | 小平川紀行

寒い寒い朝でした

車のフロントガラスも、厚く凍ってます

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

先を行くタバサねーちゃんの向こうには、霜が残ってます。

浅間山は、真っ白です。

赤城山には、積雪がなさそうです。

でも、小沼の辺りに雲が懸かってます。

もしかしたら降るかな?

 

 

 

県道334号線、浅原を小平方面に向かうと、菅原神社があります。

何度か訪問しています。

でも、今回はビックリです。

なんと「御朱印あります」の大きな看板があります

これは寄らなければなりません

 

まず拝殿で2礼2拍1礼です

書き置きの御朱印をいただいて、賽銭箱に御代を入れます

 

 

御朱印を頂いてから、狛犬さんにご挨拶です。

こんにちは、お久しぶりです

 

 

右の狛犬さんです。

かなり目が深く彫られています

大きな獅子鼻です。

シッポは、本当に小さいです。

 

左の狛犬さんです。

眼の彫りがちょっと違うかな?

わずかに朱が残っています。

やはり小さな小さなシッポです。

こころ和む、メイドインジャパンの狛犬さんです

 

 

本殿は、難く閉ざされています。

 

 

菅原神社について、『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々町の社寺』(平成9)に、『山田郡志』からの引用があります。

当社は人皇第百五代御奈良天皇の天文年中上野国勢多郡黒川谷深沢城主松島愛久沢の一族桐生家に属したる時靭負丞重綱の下知により勧請する所なり、爾来天正元年迄桐生家の崇敬社として代々造営祭祀を行ひ来たりしが、桐生家没落後は自然社運衰頽の止むなきに至りしが、天正十八年御代静謐になるに及びて、愛久沢の族深沢城より移り、当社を再考しその旧に復するを得たり、後寛文八年当検地の際、御奉行諸星伝左衛門当社の由緒を糺し先規に任せて社地若干を寄進せられ、当所の総鎮守と崇め、日輪寺住職をして別当として、春秋の祭祀を司らせ、これにより正徳二年別当幸栄法師の代、愛久沢の発願にて社殿を修理し、神像を内殿に納むる等大いに社の面目を施せしが、愛久沢氏徳川家に召集され仕官せしめ、以後同族深沢氏これに代わりて寛延三年三月郷民協力して京都神祇管領より御幣を勧請し、これより領主肥後守に於ても采邑安穏のため年々祭料を寄進せられ、明治に至りと云ふ。

 

戦乱の世が終わって、黒川衆が帰農して移ってきているのですね。

日輪寺は、菅原神社の別当だったんですか

 

本殿には神像があるのかな?

そうならば、堅く閉ざされているのも納得です。

 

 

いただいてきた御朱印です。

梅の花があります

祭神は菅原道真、天神様です

 

 

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天神前・大日如来と庚申塔

2021-12-10 20:31:16 | 小平川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場の方にお散歩です。

ヤギさんいるかな?

彼女は無事でした

好かった

また来るよ、バイバイ

 

道の向かい側の山神さま、パワーまだ残っていたんだね

 

鏑木川にかかる山神橋(さんじんばし)を渡ります。

上流の風景です。

あれ、なかなかいい景色です

 

サマンサ坂を通って帰ります。

雲に覆われた赤城山は、その姿をあまりはっきりとは現していませんでした。

 

 

 

 

県道334号線を小平に向かう途中、浅原(みどり市大間々町浅原)の鎮守・菅原神社の少し手前(天神前)に、「庚申塔と大日如来坐像→」の表示があります。

だいぶ前に、訪問しました。

でも、畑の向こうで、畑作業中のおじさんがいたりして、よく分からなかった記憶があります

11月26日、矢印に誘われて、再チャレンジです。

 

あれ、今回は見えます

結構な数の石仏群です

説明板もありそうです。

 

 

まずは、左側の石仏群にこんにちは

りっぱな墓石もあります。

僧形の墓石もあります。

もしかして、お寺があったかな?

晩秋の周囲の山々ともいい感じでコラボです。

 

 

石仏群の東には、大きな大きな大日如来です

説明板を確認です。

 

重制石幢の一つは塔身に輪廻車孔を持ち、元亀四年(1573)に弥左衛門以下四十七人の村人が庚申供養のために造立したと銘文に記されています。輪廻車孔は、訪れた人々がこの車を回す事で死者の後生が弔われるとするものです。

中央には智拳印を結ぶ大日如来坐像があります。銘文には寛永六年(1629)に鏡海上人を中心にした浅原村の人々が結集して造立したと記されており、人々の信仰心と結束の固さが表されています。

庚申塔と大日如来は別の目的で造立されたものですが、後に、あたかも一組で造られたかのようにまとめられています。

 

 

元亀4年は、武田信玄が亡くなったり、室町幕府が亡んだりした年です。

寛永6年の江戸幕府将軍は、家光ですね。

10年後の寛永16年(1639)には、鎖国になります。

 

西の石仏群には、庚申塔もありますけれど、市指定の重要文化財「庚申塔及び大日如来像」は、ここの一角の石造物3基をいうのです

輪廻車孔が見えます。

訪れた人が回して、死者の菩提を弔ったのです。

たくさんの人がなくなったのかな?

元亀4年は、東上州は戦国時代のまっただ中です。

 

庚申塔が先で、約50年後、世の中が平和になった江戸初期に、大日如来坐像が建立されたのです。

合掌

 

たくさんのパワーをありがとうございます。

中央の2本の角柱、まるでお寺か御堂の門柱のようです。

ここには、お寺があったか、修験者がいたかの可能性大ですね

 

 

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小平への旧道沿いの日輪寺

2021-12-09 15:32:40 | 小平川紀行

ひめちゃんは、ダッシュで帰ってきました。

獅子丸の御飯をもらう時の大騒ぎの声を聞いたのです。

獅子丸は、配膳を静かに待つことが出来ません。

御飯の準備が始まると、「早くして、餓死しちゃうよ。」と大騒ぎを始めます。

第2陣で帰ってきた、ひめちゃんとタバサねーちゃんにも、しっかり聞こえたようです。

慌ててカメラを向けますけど、ボケボケです

ハート型マロマユのひめちゃんになってしまいました

でも、かわいい記念かな?

 

 

 

11月26日、小平方面からの帰り、ちょっと浅原で細道に迷い込みました。

予期せず、日輪寺です。

何故か環境庁・群馬県の説明板です。

ここ日輪寺は、天台宗のお寺で、本尊は十一面観音です。

延暦年間に創立され、開山は慈雲山です。慶応三年(1867)に、本堂・庫裏・鐘楼の全てを焼失してしまい、大正13年に再興しました。

この寺の庫裏北面には、自然石に梵字を刻んだ種子六尊の庚申塔や、やさしくほほえましい道祖神が安置されています。

 

道祖神は、もとはたぶん旧道沿いにあったものでしょう。

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)では、

ここは浅原の集落を抜ける旧街道で、この道を北へ一キロほど進むと左手山際に日輪寺がある。

裏山ではなく、道ばたのほうが似合いそうです。

 

 

クラシックな、いい雰囲気の参道階段です

鐘楼堂の階段になぜか覆い屋があります。

 

参道脇には、左右にお地蔵様です。

大きさは違うけど、なんとなく似ているかな?

合掌

 

 

ちょっと登りにくい階段を、がんばって登ります。

閉ざされた本堂です。

とりあえず合掌

 

 

本堂左の階段に覆いのある鐘楼堂です。

なぜ階段に覆いがあるんだろう?

 

側には、こんなバリケード

実は駐車場がよく分からずに、この進入禁止の前に駐車してます

御朱印をと声を掛けたりしないで、静かに退却した方が良さそうです。

 

 

日輪寺下の小平川を渡って帰ります。

橋の名は、「よりや橋」です。

この突き当たりの道が、旧道らしいですね

もしかしたら、円空さんが歩いた道かもです

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浅原薬師堂のカヤの木と廻国供養塔

2021-12-08 15:39:15 | 小平川紀行

昨夜から冷たい雨です。

ひめちゃんたちは、みんな貧乏カッパでお散歩です

 

夕方、15歳半の小次郎パパはそこらまでの1人散歩です。

パパも、この間シャンプーやさんに行ってきました

明日天気になーれ

 

 

 

 

円空仏の寺・禅桂寺(みどり市大間々町浅原)から東に少し行くと、「薬師堂のカヤ」の表示があります。

左折してまもなく到着です。

11月27日、お久しぶりの訪問です

「薬師堂のカヤ」の説明板です。

樹高約20m、樹齢700年ですか

この木は雌木です。

カヤの実がいっぱい落ちてます。

 

 

御堂の額は、「瑠璃殿(るりでん)」です。

薬師如来は瑠璃光如来とも言うそうですから、地元(浅原東下組)の人々はそう呼んでいるのでしょう。

前回来た時は、全く気になりませんでした。

でも地元のこだわりは大事です。

 

 

御堂の周りを左から回ります。

 

現役の墓地としても利用されているようで、りっぱな墓石も多数あります。

僧形の墓石も若干見えます。

 

 

見上げて、カヤの木です

 

 

700年、世の移り変わりを見続けてきたんですね

鎌倉末期からずーっと、ここで世の移り変わりを見て来たのです

 

 

瑠璃殿を一周すると、御堂の前の道沿いに気になる石造物です。

 

道祖神です

ここはかつて人々が往来した、メインストリートだったかも知れません

 

廻国供養塔も目立ちます

宝暦12年(1762)とあります。

廻国巡礼の旅は、本来は各国一ヶ所で全国66ヶ所を廻る旅でした。

けれども、18世紀に入ったころから一国一ヶ所に限定せず、四国・西国・板東・秩父などの霊場を組み込んだりして、しだいに多くの寺社を参拝するようになったと言います。

中世の六十六部は専門の宗教者だったけれど、江戸時代には俗人が回国巡礼を行う事もあったと言います。

また、廻国の途中で信者が出来ると、その村の御堂や庵に定住することもあったと言います。

 

 

移動が制限されていた江戸時代に、ここ浅原にも、全国を廻る廻国巡礼をする人々がいたのです

 

瑠璃殿の前の道は、まっすぐではありません。

でも道がまっすぐになったのは近年のことで、以前は道はまっすぐではなかったのです。

道祖神があり、廻国供養塔がある、いかにも円空さんが歩きそうな道です。

円空さんは、この道を通って小平(おだいら)に行ったかも知れません

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紅葉の円空仏の寺・禅桂寺 2021

2021-12-07 15:44:23 | 小平川紀行

ひめちゃんはタバサねーちゃんと、朝散歩に出ました。

ひめちゃんも、昨日シャンプーやさんに行ってきました。

でも、迎えに行くと「ひめちゃんは、耳がグジュグジュです 耳掃除させてくれませんでした。すぐにお医者さんに見てもらった方がいいですよ。」

正午ちょっと前だったので、動物病院に電話しておいて直行です。

先生にはちゃんと耳を見せて、お薬を入れてもらいました。

「左の耳はちょっと腫れていますけど、右は大丈夫です。お薬を一日一回、4、5滴耳に入れて揉んでやって下さい。」

重傷でなくて、好かった

シャンプーやさんで、クリスマスバージョンのミニアクセサリーを付けてもらいましたけど、ちょっと目立ちにくい。

やっと写りました

タバサねーちゃんのと位置が違います。

シャンプー担当者の好みに寄るのかな?

 

今朝の岩神沼は、曇り空でしたけど、逆さ赤城が映っていました。

 

 

 

11月27日、松源寺の円空仏がもともとあったという禅桂寺を訪ねます

この日は福岡大橋ではなく、一本下流の新栄橋を渡りました。

橋に行く途中からの渡良瀬川です。

大河です

向こうに見える白いガードレールが県道334号線、小平への道です

 

 

表示もしっかりあり、迷うことなく禅桂寺に到着です。

紅葉真っ盛りではないけれど、まずまずの紅葉です

現代的な本堂です。

 

 

まずは、紅葉に生える左の門柱の辺りを散策です。

紅葉に映える三界萬霊塔です

お釈迦様の世界に行けるかな?

 

珍しい形の庚申塔です。

文字は分かりません。

でも、2猿と2鶏、かなり立体的です

 

こちらは馬頭観音さんかな?

みなさん紅葉の中で、ちょっとだけ浄土の雰囲気かな

 

 

右の門柱の側に、古い円空仏如来像のポールがあります。

松源寺の円空仏は、もとはここ禅桂寺にあったのです

そばのお地蔵様、なんとなく微笑みの円空仏に似てかな?

 

 

本堂に参拝です。

ご本尊の姿は拝めませんけど、合掌

本堂前には、円空仏の説明板です。

円空は江戸時代初期の美濃国の生まれと伝えられている僧で、諸国を遍歴行脚して布教の傍ら仏像を刻んでいる。上野国(群馬県)を訪れたのは延宝九年(1681)のころで、貫前神社に滞在した後各地で造像し、大間々を経由して日光に向かっている。

この禅桂寺に安置されている円空仏は像高は35.8cm、ヒノキの丸材を真ん中で縦割りし、片方に鏨を振るった一木彫りである。円空独特の素晴らしい鏨の跡は見られるが、円空にしては柔らかみがあり、口元の微笑が特に魅力的な像である。

 

 

本堂の後ろには、立派な墓石群です。

手前の石殿には、何様かな?

合掌

そこらのお寺が真っ青になってしまいそうなくらい、りっぱな墓石群です

こんなにりっぱな檀家を持ったお寺がどうして無住になってしまったのでしょう

 

 

紅葉の季節に再訪できたことは、ラッキーでした

円空仏の寺、禅桂寺の紅葉を見ながら、さようならです。

紅葉の小平路を、もう少し歩きます

 

 

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