家族の誰もがムーちゃんは天寿を全うするものと思っていました。
ところが、天寿少し前で、不慮の事故で逝きました。
夜、台所でニャンという声を聞きました。
裏の道で車に跳ねられた、ムーちゃんの断末魔の声でした。
ムーちゃんがいなくなっても、むーはうすです。
しばらくして2006年の秋、またまた縁があって、黒柴の小次郎がやって来ました。
先住犬が3名もいるところに来たので、だいぶ神経をつかっていました。
ところが、七海は小次郎を気に入ったのです。
七海ねーさんは、小次郎をしつけます。
三四郎はすでに6歳の成犬だったので、0歳の小次郎とは圧倒的に力が違います。
終生、三四郎と小次郎の権力闘争はありませんでした。
時には男組(おとこぐみ)と称して、一緒にお散歩もしました。
このころは、赤城山の麓に、ドイツ村というのがあってドッグランも併設されていました。
よく、みんなで行きました。
たぶん最初に行った頃でしょう。
コジくん緊張しています。
七海は高い所がすきで、小屋の屋根に乗っています。
つい最近まで、こんな生活をしていました。
この小屋はまだ使用可能ですけど、足を痛めてから、穴蔵式の小屋に変更しています。
また、この頃は、高崎にデザインの勉強に通っていました。
みなさんすぐれた能力の方々でした。
自分だけのデザインとなると、やはり素材はうちの子でした。
オリジナルデザイン「七海な日々」の染め絵です。
デザイン画をろうけつ染めで染色しました。
先生のアドバイスで、背景に朝まだきのお散歩、昼の草いっぱいの原っぱ(耳型で草原の様子を表現)、星がきらめく山里の風景等を表現しました。
昔、ひめちゃんちにはグレーのペルシャ猫のムーちゃんがいました。
このころは、まだデジカメなどは無くて、使い捨てカメラなどというものを使っていました。
ミニアルバムが残っていて、良さそうなのを、PCに取り込みました。
2000年の秋、ムーちゃんがおばあちゃんになったころ、黒柴の三四郎がやって来ました。
おかあさんとジョイフル本田で出会ってしまったのです。
三四郎は、妹と一緒にいました。
おかあさんは妹も迎えようか迷いました。
迷って何度かジョイフル本田に通ううちに、その子はいなくなりなした。
新しいおうちに行ったようでした。
おかあさんはその子を密かにサマンサと呼んでいました。
そのサマンサは、ひめちゃんによく似ていました。
その後、縁があって、黒柴の女の子がやって来ました。
その子はサマンサと名付けられました。
したがって、三四郎の妹のサマンサは、元サマンサと呼ばれる様になりました。
それからしばらくして、また縁があって、黒柴の七海がやって来ました。
ひめちゃんのママです。
三四郎・サマンサ・七海の3名でよくお散歩しました。
犬はぬいぐるみが好きです。
このころは、犬用にぬいぐるみを買っていました。
七海が来た年の冬は、雪の多い冬だったようです。
三四郎と七海、飛んでます。
ピチピチギャルのななちゃんです。
ひめちゃんちは、むーちゃんちだったのです。