今朝は曇り空です。
今にも泣き出しそうな空です。
ひめちゃんは、なんと小次郎パパ&タバサねーちゃんと、それにいつも隣でののしりあっているののこねーちゃんと、4名で、お散歩に出かけました
心配です。
お部屋(サークル)に、お水を取り替えて朝ご飯がくばられたころ、無事に帰ってきました。
威嚇するひめちゃんをタバサねーちゃんが止め、時に追いかけっこをして遊ばせたりしたそうです。
この群れのリーダーは、タバサねーちゃんだったそうです
小次郎パパは、我関せず、娘達の争いには無関心だったそうです
もう、ご隠居さんのようです
3月26日、大間々の渡良瀬川左岸、高津戸城本丸を目指しました。
以前、途中の展望台までは行った事があります。
「ああここが高津戸城なんだ」と納得して、帰ってしまったのです。
「山までは見ず」仁和寺の法師を笑えません
地域の集会所の脇から入ります。
跳ねたき橋からのハイキングコースではなく、展望台まで車で行くコースです。
細い道でそれなりに大変ですけど、舗装はされています。
あちこちに阿弥陀堂縁日の貼り紙があります
ここらへんに阿弥陀堂があったっけ
対向車に逢う事もなく、展望台の駐車場に無事に到着です。
おや、展望台の塗装が新しい
帰りに上ってましょう。
展望台脇に大間々の観光案内がありました。
右下の要害山のP駐車場にいるのです。
確かに奥に要害神社があります。
渡良瀬川の先に里見兄弟の墓があります。
阿弥陀堂はここです。
思い出しました。
では、要害神社へ
最初の道は細いながらも、いちおう舗装されています。
ところが、まもなく階段に、それもズーと続きそうです
足取りも重く、やっと一の鳥居です。
ちょっと悲しき鳥居の状態です。
む、おじさん邪魔
一の鳥居をくぐって、振り返ります。
大間々の町が眼下に見えます。
重い重い足取りでハアハア、やっと二の鳥居です
二の鳥居も足下がちょっと不安です
すぐ先に沓石があったので、ある時期に作り替えたですけど、だいぶ痛んでいます。
またまた、重い重い足取りでハアハア、やっと三の鳥居です
こちらも、鳥居の足が心配です。
社殿が見えてきました。
付近に子供用遊具や石造物があります。
さて、もうひと頑張り
階段を登って、やっとたどり着きました
屋根瓦が崩れたままです。
全体的に痛みが来ています
りっぱな石の手水舎があります。
こんなに山の上で水はあったのかな?
社殿の脇に説明板があります。
高津戸城について、かつて言われていた話です。
最近はちょっと違うようです。
『大間々町史通史編上巻』によれば、
結局、高津戸城の歴史について確認できることは、謙信の仁田山攻め以後に城が築かれ、その死後、後北条氏から由良氏に与えられたことである。ただし、それ以前にも砦のようなものがあった可能性は否定できない。
見晴らしの良い要害の地です
要害神社は、「自音寺の七世高海上人が四国の金比羅宮に参籠していたとき梅枕にたった金比羅神王を、この地に祀ったのが起源」とあります
さらに、
この金比羅宮(現在要害神社)は霊験あらたかで近郷近在の老若男女の参詣者でにぎわったと文政五年の自音寺の古記録に残されている。
帰りに久しぶりに、自音寺に寄ってみましょう
社殿の周りにもいくつも石造物があります。
子供の遊具もあります。
かつては子供達が元気に遊ぶ、村の鎮守だったのです。
駐車場に戻る途中の見晴らしです
足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)大間々駅が見えます。
左手上方に大間々町役場(現みどり市役所大間々庁舎)です。
駐車場に戻り、展望台に上りました。
東の青い山と膨らんだ桜の芽のコラボです
今日あたりは咲いているかもしれません
今にも泣き出しそうな空です。
ひめちゃんは、なんと小次郎パパ&タバサねーちゃんと、それにいつも隣でののしりあっているののこねーちゃんと、4名で、お散歩に出かけました
心配です。
お部屋(サークル)に、お水を取り替えて朝ご飯がくばられたころ、無事に帰ってきました。
威嚇するひめちゃんをタバサねーちゃんが止め、時に追いかけっこをして遊ばせたりしたそうです。
この群れのリーダーは、タバサねーちゃんだったそうです
小次郎パパは、我関せず、娘達の争いには無関心だったそうです
もう、ご隠居さんのようです
3月26日、大間々の渡良瀬川左岸、高津戸城本丸を目指しました。
以前、途中の展望台までは行った事があります。
「ああここが高津戸城なんだ」と納得して、帰ってしまったのです。
「山までは見ず」仁和寺の法師を笑えません
地域の集会所の脇から入ります。
跳ねたき橋からのハイキングコースではなく、展望台まで車で行くコースです。
細い道でそれなりに大変ですけど、舗装はされています。
あちこちに阿弥陀堂縁日の貼り紙があります
ここらへんに阿弥陀堂があったっけ
対向車に逢う事もなく、展望台の駐車場に無事に到着です。
おや、展望台の塗装が新しい
帰りに上ってましょう。
展望台脇に大間々の観光案内がありました。
右下の要害山のP駐車場にいるのです。
確かに奥に要害神社があります。
渡良瀬川の先に里見兄弟の墓があります。
阿弥陀堂はここです。
思い出しました。
では、要害神社へ
最初の道は細いながらも、いちおう舗装されています。
ところが、まもなく階段に、それもズーと続きそうです
足取りも重く、やっと一の鳥居です。
ちょっと悲しき鳥居の状態です。
む、おじさん邪魔
一の鳥居をくぐって、振り返ります。
大間々の町が眼下に見えます。
重い重い足取りでハアハア、やっと二の鳥居です
二の鳥居も足下がちょっと不安です
すぐ先に沓石があったので、ある時期に作り替えたですけど、だいぶ痛んでいます。
またまた、重い重い足取りでハアハア、やっと三の鳥居です
こちらも、鳥居の足が心配です。
社殿が見えてきました。
付近に子供用遊具や石造物があります。
さて、もうひと頑張り
階段を登って、やっとたどり着きました
屋根瓦が崩れたままです。
全体的に痛みが来ています
りっぱな石の手水舎があります。
こんなに山の上で水はあったのかな?
社殿の脇に説明板があります。
高津戸城について、かつて言われていた話です。
最近はちょっと違うようです。
『大間々町史通史編上巻』によれば、
結局、高津戸城の歴史について確認できることは、謙信の仁田山攻め以後に城が築かれ、その死後、後北条氏から由良氏に与えられたことである。ただし、それ以前にも砦のようなものがあった可能性は否定できない。
見晴らしの良い要害の地です
要害神社は、「自音寺の七世高海上人が四国の金比羅宮に参籠していたとき梅枕にたった金比羅神王を、この地に祀ったのが起源」とあります
さらに、
この金比羅宮(現在要害神社)は霊験あらたかで近郷近在の老若男女の参詣者でにぎわったと文政五年の自音寺の古記録に残されている。
帰りに久しぶりに、自音寺に寄ってみましょう
社殿の周りにもいくつも石造物があります。
子供の遊具もあります。
かつては子供達が元気に遊ぶ、村の鎮守だったのです。
駐車場に戻る途中の見晴らしです
足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)大間々駅が見えます。
左手上方に大間々町役場(現みどり市役所大間々庁舎)です。
駐車場に戻り、展望台に上りました。
東の青い山と膨らんだ桜の芽のコラボです
今日あたりは咲いているかもしれません