ひめちゃんは、昨日の朝、久しぶりにケンくんに逢いました。
あ、ケンくんだ
ケンくんも、ひめちゃんに気づいて、「遊ぼ」の姿勢で待ってます。
でも、獅子丸が一緒です。
獅子丸とケンくんは、ライバルです
ひめちゃんは遊びたいんだけど、獅子くんがいるから、またねバイバイ
水沢観音は、赤城大明神・赤城姫の妹、高野辺家成の三女伊香保姫ゆかりの寺です。
今年の1月21日に訪問した記録です。
初詣で白岩観音に行った帰路、白岩の道標を確認しました。
「右は みつさわ、左は はるな道」
みつさわは水沢です。
水沢観音は白岩観音と共に、鎌倉時代に設定された、板東三十三番札所なのです
さらに、ご本尊は、あの高野辺家成(たかのべのいえなり)の三女伊香保姫の持仏・十一面千手観世音菩薩だというではありませんか
これは、ぜひに詣でなければ
ということで、(2019年)1月21日に出かけました。
地図を眺めると、国道17号線を北上し利根川を渡って吉岡方面に下りれば道なりだと思えました。
さらによくよく眺めると、史跡・桃井塚が少し脇に入るとあります。
桃井塚に寄ってから水沢観音に行こう
ストリートビューでよくよく見て行ったので、ゴミ収集所に隠れていましたけど、見つけました
説明板もあります。
桃井播磨守直常は元弘三年(1333)足利尊氏に従い六波羅攻めに参加し、その後播磨守に任ぜられ、越中国守護に封ぜられた。観応の擾乱では足利直義方につき直義亡き後は南朝方に味方し、貞治五年(1366)足利義政と越中に戦った。直常の終焉については判然としないが桃井荘に隠棲し、ここに没しこの地に葬られたと伝えられている。
うーん、りっぱな経歴です
実は、ひめちゃんちのある旧新里村にも桃井塚はあるのです。
桐生市のHPによると、
延元3年(1338)に越前(福井県)藤島で激しい戦いとなりましたが、義貞の死によって戦乱は終わりを告げました。義貞の家臣として参戦した桃井次郎尚常は、さらし首となった主君の首級を密かに義昌寺に届け、その後、新川の大屋の地で主君の後を追い、自害したと伝わってます。
どうも別人ですね。
新里では、「桃井次郎尚常が新田義貞の首を義昌寺の船田義昌に届け、その後桃井塚で腹を切った」と、ほとんどみんなが信じてます
腹を切る必要はありませんね。
出家して菩提を弔えばいいじゃありませんか。
どうしてもこの話に納得がいきません
桃井荘の桃井塚から、東を望みます。
赤城山がみえます
裾野は長いけど、ずいぶんといつも見る姿とは異なった形です
西を見ると、桃井城です
工事中のようです
榛名山が迫ってます
近づいて見ましたけど、やっぱり無理です
残念、またいつの日か
後ろを振り返って、赤城山を望みます
赤城山を斜め北西からみているようです。
ひめちゃんたちが見ている形とは、まったく違います
こちらから見ても、本当に「裾野は長し赤城山」です
さて、それでは水沢観音目指します