ようやく寒い冬も終わりそうです。
上野国山上(こうずけのくにやまがみ)は、いつもより厳しい冬でした
クリスマスローズも、3月になってようやく開花しだしました
2020年3月の黒柴家族です。
七海ママと小次郎パパは、服を着ています。
けっこう寒い日があったかも。
末っ子のひめちゃんと獅子丸は、よく一緒にお散歩しました
獅子丸は、タバサねーちゃんとも相性よかったね
菜の花が咲いても、赤城山がうっすらと雪化粧していることもありました。
宗綱短気に依って不慮の最後の事 ・ その 2
不思議や馬小道に切れて、本光寺の墓所にかけ入り、宗綱怒って手綱をかいぐり引き返せども、三度迄こそかけ入りしかば、後にこそ不思議と知られたり。
かくて宗綱供もなく、ご近所の人四五人物の具もせず、はかまも抜かず、取り刀にて駆け出したれども、馬は元より名馬なれば、歩行武者既に息を切り、遅れて追いつく人もなし。
かくて足利勢夕べの夜討ちに勝利を得、飛駒の城に引きこもり、定めて佐野より討っての勢の向かわんと、門、木戸堅め待つ所に、元日辰の刻ばかりに、物の具したる武者一騎、駒に白砂はませ飛び来る。
あらすじです。
宗綱が乗り出した馬は、不思議な事に本光寺の墓地に駆け入りました。
宗綱が怒って引き返したけれど、三度も駆け入りました。
本当に不思議なことでした。
宗綱に騎馬武者の供はなく、歩行武者が4,5人刀を腰に差す余裕もなく、わしづかみにして駆け出しましたけれども、馬が名馬なので、息が切れて追いつく者もありませんでした。
一方、足利方は、昨夜の勝利に下飛駒の城にこもって、きっと佐野から追っ手がやってくると、門や木戸を閉めて待っていました。
すると、元日の辰の刻(午前8時前後)鎧兜に身を固めた武者一騎がやってきました。
地図を見ると本光寺は唐沢山城の北の方にあります。
由来等はわかりません。
足利勢が籠もっていたのは、須花の須花城だと思われます
佐野市のHPでも、
須花城跡は、標高約200メートルの山城です。本丸周辺に土塁を巡らせた削平地と堀切が残ります。
皆様ご存じのように、須花周辺は、佐野宗綱が天正13年(1585)、足利長尾方に討たれた地としても知られています。
あれ、佐野市のHPでは、佐野宗綱の討ち死には天正13年(1585)とあります。
『桐生老談記』では、天正12年(1584)の元旦としています
いろいろ検索してみると、宗綱の死は天正13年(1585)というのが一般的のようです
初稿 2020.05.01 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.03.11
(つづく)
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