黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

岩井の背高地蔵

2021-09-15 19:18:27 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩き、山上城三の丸の南に出ます。

紫陽花の城址は、草に埋もれそうです。

クンクン、誰が通ったのかな?

 

蕨沢川に架かる元町橋を渡って帰ります。

あれ、注連縄が付いてる

大きな石造物3体に注連縄です。

幣束も上がっています。

地域で祀っているのかな?

初めて遭遇した光景です。

 

馬頭観音だったんだ

こちらは道祖神です。

 

北側には、元町橋の供養塔です。

元禄14年(1701)、近くの愛宕塚古墳の石室の石を使って、石の橋になったいきさつが書かれています。

今ではもちろんコンクリートの橋です。

 

暑くなってきたよ、早く帰ろう

あちゃあ、小学生がやってくる

もうとっくに、通学時間は過ぎているのに

分散登校になったのかな?

子供達は明るく「おはようございます

「おはよう、行ってらっしゃい

ひめちゃんは、及び腰でやり過ごします

 

 

 

 

真田伊賀守苛政の跡・池の薬師水牢跡から、再び長徳寺前に戻ります。

県道35号線に出て、もう少し西に行ってみましょう

しばらく行くと、コンビニがあります。

ちょっと一休みしましょう

 

あれ、道の向こうに大きなお地蔵様です

行ってみましょう。

岩井の背高地蔵です。

大きい

帽子とオガケの交換、危険が伴いそうです。

合掌

説明板があります。

岩井の背高地蔵は、正徳5年(1715)岩井村山根の田中八兵衞・田中十兵衛が中心となり、岩井村中の後援で建立された。ここは元岩井村から中之条町へ通ずる渡船場道と金井川方面へと渋川方面に通ずる三本辻にあり、その後東端開通によって十字路となり要衝となる。現在は東吾妻町の重要な道路となって信号も出来、往来する多くの人々の安全と住民の安泰を願って高いところから見守っている。

地蔵尊の傍らに自然石で「右江戸 左ぜんこうじ」と刻まれている。

 

これかな?

文字がありそうで、なさそうで

「右江戸、左ぜんこうじ」ですか

この道は信州善光寺に通じているのですね。

 

そういえば、少し先に大戸(おおど)の関所跡があります。

国定忠治は、この道を信州に行こうとして大戸の関所破りをしてしまったのですね。

大戸まで行ってくると、帰りが遅くなりそう

 

コンビニでアイスコーヒーとサンドイッチを調達して、家路に就きます。

ひめちゃんたちが待ってるから、続きは又の機会にしましょう

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