黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

赤城村紀行総集編6(赤城山・旧一の鳥居)

2024-04-12 23:20:32 | 赤城村紀行総集編

晴れて暖かい朝でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いてきました。

 

写真は元記事(2021.06.21)の写真です。

この少し東を歩いてきました。

この頃、ひめちゃんは、基本的に獅子丸とお散歩してました。

ひめちゃんが大好きなケンくんと行き会ったときは、用心が必要でした

 

 

 

(2021)

5月31日、以前から気になっていた「赤城の大鳥居」の旧鳥居を訪ねました。

まず、大鳥居下のコンビニに寄って、アイスコーヒーで一休みです

 

元気になったところで、大鳥居目指して歩きます。

右折する予定なので、道の東側に渡ります。

特徴のある「赤城山」の額が見えます

 

信号を渡って、「旧一の鳥居入り口」の→で右折します。

 

少し行くと、小高い所に赤い鳥居が見えます。

旧一の鳥居です。

あの特徴のある「赤城山」の文字があります

説明板です。

 

この鳥居は江戸時代後期の宝暦11年(1761)に小暮村(玄前橋市富士見村小暮)の人たちにより赤城山信仰のシンボルとして小暮村内に建てられたが、天明4年(1784)に小暮の十字路に移され、大洞赤城神社の「一の鳥居」として親しまれてきた。昭和40年(1965)に有料道路建設に伴って解体され、赤城山頂大洞の旧赤城神社に移築された。しかし山頂の風雪による傷みが激しくなったことから、平成6年に現在の小暮神社に再度移転された。~(中略)~鳥居上の扁額は、江戸後期の僧侶で書道家の「角田無幻」の書である。

 

旧一の鳥居の由来もあります。

 

角田夢幻書の「赤城山」、いいですね

そのうちに、角田夢幻の記憶も訪ねてみたいなあ

 

鳥居をくぐって、シンプルなすっきりした拝殿です。

2礼2拍1礼で参拝です

 

シンプルな拝殿の割には、しっかりした本殿です

 

社殿の西には、石造物です。

大きな念仏供養塔があります

 

「法印」とあります。

和尚さんの墓標のようです。

 

境内にかつてはお寺があったかな?

 

隣は富士見児童館ということです。

小暮幼稚園跡地だったのですね。

 

鳥居を出て帰ります。

鳥居をためつすがめつ、見ながら帰ります

目立たないけれどしっかり「願主 小暮邑中」としっかりあります。

宝暦十一辛巳歳十一月吉日とあります。

小暮村の人々の思いが詰まった鳥居です

 

帰りは大鳥居の西側を辿ります。

富士見カルタがあります。

鳥居の先は有料道路だったのです。

 

信号の南には、赤城山登山口の道標です。

ここからは有料道路を上らなければ、赤城山には登れなかったのです。

それで、有料道路を避けて、三夜沢から上ったという話もあります。

そんな時代もありました

 

 

 

赤城山周辺には、角田無幻書による石造物もいくつも残されているようです。

赤城歴史資料館の企画展「修験者無幻道人~後世に伝える金石文~」(渋川市教育委員会 平成4)を眺めながら、何処を訪ねようかなどと考えています

上野国府かもといわれているあの宮鍋神社(もしそうならば、平将門はここで新皇宣言をしたことになります)、そこにある道祖神も彼の書によるとあります。

何度か行きましたけど、気がつきませんでした

今度は、道祖神の書を確認に行きましょう

 

 

初出 2021.06.21  カテゴリー群馬県・旧勢多郡 赤城山・旧一の鳥居

改稿 2024.04.12

 


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