黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

大事の時節到来・その2(桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事・その3)

2024-09-05 14:50:04 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんの足が止まります。

タバサねーちゃんがやってきたのです。

「でも、タバちゃん、無理しないでね。」

タバサねーちゃんは、そこらでUターンです。

ひめちゃんは天神田を歩いてきました。

 

去年の秋、颯爽とお散歩するタバサねーちゃんです

アーカイブで、七海ママと

ママと同じサークルで一緒に住んでいたこともありました。

ののこねーちゃんとの関係は微妙でした

タバサねーちゃん、順位の逆転を狙っていたこともありました

ママ苦労していたね

 

 

 

桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事・その3(大事の時節到来・その2)

茂木馬之丞大老なりとて孫式部連判の上は子細なし。

津久井左京老体なれば倅(せがれ)和泉と同心なり。

荒井主税(ちから)は他出候えども、両舌はあるべからず。

遠藤、根本、片山、宮寺、村上などは役人といえ心なき者なれば、連判延引仕り候えども、兼ねて某方へ内通を取り置けり。

土屋主計、松島図書、鹿貫弥太郎、村上掃部(かもん)などは、去る永禄七年春、謙信公の家臣萩田に頼まれ、久留(黒)川攻めの時、後蘭田(五覧田)の城にて一族ともに亡びて、倅どもあるかいもなき幼稚なり。

 



あらすじです。

(大事の時節到来で、桐生家中の動静報告続きです。)

茂木馬之丞は桐生氏の重臣であるけれど、孫の式部が連判状に署名しているので問題はありません。(由良方です。)
津久井左京は高齢で、倅津久井和泉と同じ考えです
荒井主税(ちから)は所用で外出中ですけど、二枚舌の心配はありません。(由良方です。)
遠藤、根本、片山、宮寺、村上といった人々は、連判状に署名は引き延ばしていますけど、内通の約束を取り付けてあります

土屋主計、松島図書、鹿貫弥太郎、村上掃部(かもん)などは、さる永禄七年(1564)春、謙信公の家臣萩田に頼まれて、黒川攻めの時に、五覧田城にて一族がみんな戦死してしまって、(桐生家中になったけれども)息子たちは役に立たないほど幼いです



内通して由良氏に寝返る人々が、苗字だけになってきました
江戸時代に、桐生に住んでいた人の、オールキャストの感あります

(老談記が書かれた時代は)平和な時代になって、人々の先祖回帰熱が高まってきた事が思い浮かびます

上杉謙信が五覧田城にやって来たのは、天正2年(1574)3月です。
桐生氏が亡びた翌年です
謙信は三国峠から越山、膳城・女渕城・山上城を落とし黒川谷(渡良瀬川上流)にやって来ました。

 

(膳城)

 

(女淵城)

 

(山上城)

 

黒川とは渡良瀬川のことで、このあたりには黒川衆という武士たちがいました
そのリーダーが阿久沢氏と松島氏です
黒川衆は一応桐生氏に従っていたようですけど。

ちょっと、歴史の事実と異なるようです

 

 

初稿  2019.08.12  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.09.05

 

(つづく)

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