ひめちゃんは、いくらか秋めいたので、延び延びになっていたワクチン接種に行ってきました。
帰りには、動物病院の近くに、ひまわり畑→の表示を見つけて、ちょっとだけ寄り道してきました
そういえば、ここのひまわり畑は、ちょっと遅めの今頃です。
入れ替わり立ち替わり、けっこう訪問者がいました
3年前(2021年)は、タバサねーちゃんが、ここのひまわり畑(みどり市笠懸町吹上)を散策してます。
桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 3(大炊之介祐綱かくしつ風にてむなしくなりて)
子息三郎義綱、其の子太郎正綱舎弟左衛門の尉通俊其の子六郎親安、其の子靱負尉繁綱、其の子大炊之介祐綱かくしつ風にてむなしくなりて、人前に出る事叶わず、依って入道して天心と云う。
野州壬生の城主の婿なり。
此の人自然に兵法の術を得て、一足にはしる事飛鳥の如くなり。
去れども世続なくして、佐野又次郎親綱、六歳の時、養子に乞い請けるなり。
あらすじです。
(桐生家の当主は豊綱の後)その子三郎義綱、次はその子の太郎正綱、その次は正綱の弟通俊、次はその子親安、次はその子繁綱、次は大炊之介祐綱(すけつな)です。
祐綱は、かくしつ風になって、人前に出ることができなくなり、出家して天心といいました。
彼は下野の壬生城主の婿でした。
彼は自然に兵法の術を習得して、飛ぶ鳥のように早く走ることができました。
けれども世継ぎがいなくて、佐野又次郎親綱(ちかつな)が6歳の時に養子に迎えました。
桐生家の当主が、歴代順に記されています。
前回では、桐生家の祖は綱元で、桐生小太郎と号しました。
その末裔国綱が柄杓山城を築き、西方寺を開基しました。
嗣子がなくて、佐野家から豊綱を養子に迎えました。
続く世代が述べられていきます。
特に大炊之介祐綱はかくしつふう(鶴膝風)にかかって、人前に出られなくなり出家したといいます。
鶴膝風とは、字の如く、足が鶴のように痩せ細って歩けなくなる病気だそうです
天心と号したといいます。
彼は下野の壬生城主の婿だったとあります。
壬生に行ったのではなく、桐生にいたと思われますから、壬生城主の娘が嫁に来たということでしょう。
その次の記述が不可解です
歩けなくなったはずなのに、自然に兵法の術を習得して、飛ぶ鳥のように早く走ることができたといいます
不可解でーす
「兵法と天心」を検索すると、「天心流兵法(てんしんりゅうひょうほう)」がありました
新陰流支流の古流武術で、技法の主軸は柳生宗矩の工夫によるそうです。
天心流兵法は、剣術、抜刀術、槍術、十文字槍術、薙刀術、鎖鎌術、柔術を含む兵法とあります。
なんとなく、天心の号が連想されてしまいます
桐生氏に関しては、軍記物の世界と中世の資料から浮かび上がる姿とは、かなり違うようです
初稿 2019.09.14 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.10.01
(つづく)
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