黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

あの山は嵩山だ(道の駅・霊山たけやま)

2021-09-07 17:51:58 | 北毛紀行

久しぶりに晴れるはずの朝散歩です

でも、まだ影が出ないね。

ひめちゃんと獅子丸は、葛塚城の内曲輪を通って、北の方にお散歩です。

葛塚城の中心部分だった内曲輪は、現在は大きな豚舎が営まれています。

ひめちゃんたちは、堀之内を北に出て、上の沼を目指します。

 

こちらの牛舎は、若い乳牛のみなさんです。

ちょうど朝ご飯中でした

 

ひめちゃんたちは、更に上の新沼に足を延ばします。

ちょうどシラサギさんが、飛び立つところでした

パトロール、いってらっしゃい

隣の童沢貯水池は、まだ藻がいっぱいのみどり沼です。

カモさんたちは、たくましく泳いでいました

 

 

 

箱島湧水のあと、中之条町の歴史博物館・ミュゼに寄って帰りました。

中之条への途中、前方に見える山が気になります。

岩櫃山(いわびつやま)かな?

いや、方向が違う。

嵩山(たけやま)だ

 

後日とりあえず、麓の「道の駅・霊山たけやま」まで行ってみました

昔々中之条町民をしていた、ひめちゃんちのおとうさんも、初めてだそうです。

 

必要な野菜やリンゴを買って車に積み込んでから、付近を散策です

 

ボケボケの説明板ですけど、後方の大きな岩が男岩とあります。

 

今日は無理だけど、そのうちに登るつもりで登山口を確認です。

子供達が遊べるようになってます。

 

「嵩山(たけやま)城跡一の木戸の遺構」説明板です。

この城跡は、戦国時代の永禄六年(1563)から同八年にかけて城主斉藤城虎丸と真田幸隆軍が戦った古戦場である。~(中略)~永禄八年初冬の嵩山合戦ではこの一の木戸付近は的味方が熬り乱れる激しい戦いのあったところで、斉藤軍は200真田軍は150の死者を出した、吾妻では一番の激戦であった。

 

ここで460年ほど前に、そんなに激戦があったんですか

合掌

 

鳥居があります。

額の文字は、嵩山です。

鳥居の下には、馬頭観音です。

嵩山城趾の説明板もあります。

古くから祖霊を祀る山として信仰され、中世には武の神として「和利大明神」が、麓の親都神社・里宮の吾妻神社(和利宮)に祀られている。

中世には武田勢の吾妻侵攻で大変な悲劇があったんですね

 

江戸時代にそれらの霊を慰めるため、三十三観音が置かれたと言うことですね

この三十三観音は、ネット検索してもあまり詳しく出てきません。

自分で歩いて自分の目で確かめて、逢ってこなくてはなりません

でも、それなりの準備が必要ですね。

又の機会にしましょう。

 

近くに、こんな案内もありました

近いうちに、鳥居から馬頭観音に見送られて、登ってみたいものです

 

 

かやぶき屋根のおそば屋さん、いい雰囲気です

営業中です。

でも、又の機会にしましょう。

 

隣の神社に、不思議なオブジェが見えます

何だろう?

 

(つづく)

 

 

 

 

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