寒さの和らいだ朝です。
ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通って、岩神沼まで行ってきました。
母屋から離れた作業小屋の前に、ずっと繋がれているプーちゃんは、ひめちゃんの両親の世代のような気がします。
プーちゃんは立ち上がって、ひめちゃんに呼びかけます。
ひめちゃんは、完全シカトです。
プーちゃんは、この冬もたくましく生き抜けそうです
2020年2月の黒柴家族です。
5年前は、パパもママも健在だったね
岩神沼に行った写真は、これだけです。
やっぱり赤城山は白かったね
飛駒夜討ち、兵部之介病気、同落城、付けたり、百姓討ち死にの事
去る程に、極月二十九日の亥刻ばかりに、足利勢飛駒の城に押し寄せ、四方より火矢を打ちかけ、熊手を以て塀をたおし、矢鉄砲を打かけ、鯨波を作り込み入りしは、いにしえ土佐坊、堀川の御所へ夜討ちに向かいしも、かくやと思い知られけり。さて老若男女、おめきさけんで、あるいは井戸に落ち、堀に落ち、矢先に当たって死するもあり。猛火にむせて死するもあり。城中さながらあわてさわいで敵を防ぐ者もなし。かくて、大将兵部之介、病気以ての外なれば、乗り物に及ばず、仲間の肩に懸かり、近坂峠を越えて野上の方へ落ち給う。大将退けば軍を望む者なし。忽ちに落城したり。足利勢は四方の口を切りふせぎ、兵部之介が落足生け捕らんと、待ち掛けたり。されども近隣の百姓ども、城に火の手の登るを見て、常の出火と心得て、長柄、鳶口を持って先を争い、かけつけ、足利勢に渡り合い、城の勢と思い、誰殿はお変わりありませんか、誰殿は何方にと、知行の名主、組頭互いに家名を尋ね、名をなのり、近づきければ、寄せ手は城の後詰めと思い、1人ももらすなと切って廻れば、両方の間違いにて、百姓大勢討たれしは、あわれなる有様なり。時に足利勢忽ちに城を攻め滅ぼして、勝時(かちどき)作りて、下飛駒の城に引き取りけり。
あらすじです。
12月29日の午後10時頃、足利勢は飛駒の城に押し寄せて、四方から火矢を打ち込み鬨の声を上げて攻め込みました。
その様子はまるで、土佐の坊昌俊が、義経を堀川夜討ちした時もかくやというようでした。
城中は大慌て大騒ぎで、敵を防ぐどころではありません。
大将の小野兵部之介は病気なので、馬ではなく仲間(ちゅうげん)の肩につかまって、近坂峠を越えて、野上の方に落ちて行きました。
近隣の百姓達は、城に火の手が上がったので、戦ではなく普通の火事だと思って、駆けつけました。
そして、足利勢を城の人と勘違いして近づきました。
足利勢も、城の後詰めと思い「1人ももらすな。」と切って廻りました。
百姓は大勢討たれてしまいました
足利勢は彦間城を忽ちに落城させ、勝ち鬨(かちどき)を上げて、下飛駒の城に引き上げました。
本文中の「矢鉄砲」がわかりません。
でも、「堀川夜討ちもかくや」の状況だったということなので、鉄砲は登場していません
動画や絵画を見ると、弓矢と言うより刀を持ってい攻め込んでます
小野兵部之介は、どんな人かわかりません。
でも、「大慈山碧雲寺」(現在は桐生市梅田町)のサイトに、「天正12年(1584)、飛駒町屋、根古屋城の小野兵部の請に応じて」とあります
碧雲寺に関わりある人のようです
百姓達はなぜこんな夜中に城にやって来たのでしょう?
戦国時代は、城は地域の百姓の避難所だったという話もあります
そういえば、「のぼうの城」でも、百姓達が一緒に籠城していましたね
初稿 2020.04.25 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.02.28
(飛駒夜討ち、兵部之介病気、同落城、付けたり、百姓討ち死にの事 終 )
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