黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの高津戸・要害神社参拝記(後編)

2022-02-05 13:38:08 | 小平川紀行・番外編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに諏訪神社の向こうの高台まで足を延ばしました。

薬師の道を歩いて帰ります。

薬坪を持ったやさしい微笑みの薬師様、今朝は目立ちます

浅間山は見えません。

吹雪いているかな?

タバサねーちゃん、ひめちゃんに仕掛けて少し追いかけっこです

遊んでくれてありがとう

 

 

 

要害神社ヘの最後の階段、かなりの急階段です

でも、タバサちゃん、自力で登ります

 

こんにちは

お久しぶりです。

依然と変わらないようです。

鈴を鳴らしたつもりで、2礼2拍1礼です

 

 

本殿はちょいっと近づきがたい

 

 

狛犬さんの後ろには、昭和10年の文字があります。

戦前には留守番もいたということなので、まだ賑やかな時代だったのでしょう。

 

 

以前のままの由来です。

前半は、高津戸城について、かつて言われていた話です。
最近はちょっと違うようです。

『大間々町史通史編上巻』によれば、
結局、高津戸城の歴史について確認できることは、謙信の仁田山攻め以後に城が築かれ、その死後、後北条氏から由良氏に与えられたことである。ただし、それ以前にも砦のようなものがあった可能性は否定できない。


要害神社は、「自音寺の七世高海上人が四国の金比羅宮に参籠していたとき梅枕にたった金比羅神王を、この地に祀ったのが起源」とあります
さらに、「この金比羅宮(現在要害神社)は霊験あらたかで近郷近在の老若男女の参詣者でにぎわったと文政五年の自音寺の古記録に残されている。」とあります。

 

自音寺が深く関わっていたのです

神仏習合の時代には、僧侶が神社を建立することもあったのです。

 

 

タバサちゃん、情報収集中です。

でも、「熊出没注意」「猪出没注意」等の表示もありません。


 

 

手水社脇から、大間々の町を見下ろします。

要害の地です

 

 

さて、帰りましょう。

最初の急階段は、念のため抱っこして降ります

 

 

二の鳥居の向こうに、大間々の町が見えます

 

あたちもがんばりました

あたちの足は大丈夫だったけど、鳥居の足が心配です

 

 

展望台からの大間々の町です。

まさに間間(まま)、河岸段丘の町です

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