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孫1号の引率で大仙市の大曲体育館に来ています。アシックス杯が昨日から行われていました。
西目小は、残念ながら決勝トーナメント1回戦でフルセットの末敗退してしまった。
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会場の大曲体育館の直ぐそばに榊田清兵衛さんの碑があって、雪の中調査しました。
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榊田清兵衛(さかきだ せいべえ、元治元年5月26日- 昭和4年は、明治時代から昭和時代の政治家です。
仙北郡会議員、秋田県会議員を経て元衆議院議員を当選7回した大曲の名士です。地方問題の解決と床次竹二郎内閣実現のために奔走したとあります。
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榊田清兵衛は、出羽国仙北郡大曲村(現秋田県大仙市大曲地区)に大地主・四世榊田清兵衛(長蔵)と由利町出身のさだの長男として誕生した。幼名は清蔵ですが女ばかりの後の待望の男子となりました。
1874年(明治7年)に大曲小学校に入学後、まもなく父長蔵が亡くなり、家督相続し、家名の清兵衛をついだ。
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学問を好み、神沢繁(素堂)、黒沢利吉、高垣重明、岡田好成らに師事し、自宅向かいに講習義塾を設立しました。
14歳頃に大曲小学校助教就任した天才少年です。
1881年(明治14年)、今の青年会に当たる大曲談話会を設立し、町の主要行事・政治の動きを決定する機関を作りました。
翌年には田口岩蔵と仙北改良社を設立し、産米の改良に着手、また乾田馬耕、耕地整理なども奨励した。
1888年(明治21年)の町村制施行に伴って大曲村会議員の1人として当選し、政界への第一歩を踏み出したのです。
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1908年(明治41年)4月19日に発生した「川上弁護士邸焼き打ち事件」が代議士出馬のきっかけと言われます。この事件は、秋田地方裁判所大曲支部の横手への移転を不満とする大曲町民が、移転推進を公言していた横手町(現横手市)出身の弁護士川上勝淑宅を焼き打ちした事件です。
この事件は横手出身の代議士沼田宇源太の政治活動によるもので、大曲からも代議士を送れという機運が高まり、同年6月の第10回総選挙に秋田県郡部区から無所属で出馬しトップ当選しました。
選挙では秋田進歩党(憲政本党)は準党員扱いで支援したものの、岩手県選出の原敬への敬服から帝国議会では立憲政友会に所属したそうです。
第26回帝国議会では1年生議員ながら請願委員長に当選し、各種法律案のほか、港湾改良、全国鉄道速成、学制改革、河川改修費増額などに関する建議案を提出して可決させた人です。
本市の須藤善一郎氏と良く似てます。
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