東由利地区の玉米氏も調査しました。
東由利の中心と言って老方に由利本荘市の立派な支所があります。
実は東由利は1640の領地替えで本荘藩から矢島藩になった地域です。よって本荘市史には詳しく掲載されていません。
東由利町史には詳しく載っています。江戸時代前の事が多いですが、玉米氏の調査はしないと!
玉米氏は、中世に由利地方を支配した由利十二頭の1人で、玉米館(米本館)は彼の本城でした。築城年は不詳ですが、「由利十二頭記」によれば、由利十二頭は応仁元年(1467)に由利郡に入部したと記載されていることから、概ね応仁年間(1467~1469年)に築かれたという説を採用している人が多いようです
玉米氏は、山田氏や矢島氏(大井氏)と対立関係にあり、度々戦が行われました。
一方、勢力が大きかった小野寺氏と仁賀保氏とは比較的良好な関係だったようです。天正18年(1590)に豊臣秀吉による奥州仕置きでは単独での玉米氏の名前は無く、領主としては既に没落していたと考えられます。一方、豊臣家家臣大谷吉継が小野寺氏に発布した「仙北之内上浦郡指出目録」には家臣として「玉米半三郎」の名が見られることから、小野寺家に従属していたとも推察されます。
慶長6年(1601)に小野寺家が没落すると帰農したようで、寛永8年(1631)には玉米館がある館合に菩提寺となる泉秀寺を創建しました。現在は老方に移転しましたが、境内には玉米氏のものと思われる墓碑が建立されています。
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