コメント欄への書き込みを間違えて…
昨日は、少し体調が悪く、早寝をしたら、
今日は、余裕の早起きで時間があった。
そこで、久しぶりの全文に即しての言説。
>私のあの言葉って、どれを指しているんですか?
↑
この「私のあの言葉」とは、自由びとの記述で、自由びとの言葉ですね!
ならば~それは…
……数十分経過後……
やっと発見しましたよ!です。
てっきり~コメント欄の自由びとコメントだと思い込んでいたら…
なんと…
<記事「禅問答」の回答編~>の中の言葉でした。
↓
<>更に書くなら、
<>禅答とは、
<>考えてから答るのではなく、
<>感じて即答・即反応・即対応が正解である。
<>それも、全身での回答表現が理想であろう。
↑~
これって、あのブルー・リーの言葉を思い出しての…ものですよ。
どう~ですか?
「考えて…なく、」
「感じて…である。」
と書かれているでしょ!
お宅が、この言葉を記憶していないとは…
それって…「無意識的な盗用」ですね。
や~い!盗人野郎!
盗用でないなら、やっぱり「類は類を呼ぶ」=同類ですかね。
それは、映画「燃えよドラゴン」の中の事実の想起です。
>自由びとさんは私の利益になるような知見をわずか一つたりとも提出したことはありませんが?
↑
事実発覚!
上記の~
↓
<>更に書くなら、
<>禅答とは、
<>考えてから答るのではなく、
<>感じて即答・即反応・即対応が正解である。
<>それも、全身での回答表現が理想であろう。
↑
を読んでいる筈だから…これは嘘になります。
もっとも…どうせ「読んでない!」と書くでしょうが…
それなら、「読まずに質問」している、
という事で、非礼者の暴露です。
お宅は、己の非礼を否定していますから…
それも嘘つき、です。
やっぱり嘘つき者!
息を吐くように自然に嘘を吐くソクラテスと同じだ!
>その代わりに繰り返し発言するのが「私(自由びと)のお陰で」という何か自分が指導者的な立場で実績を出しているかに装おうとするいかにも脆弱な強迫観念に囚われているかのセリフばかり…。
↑
私の事実を知り得ていないお宅の、
この記述は、
「お宅の観念内の事実であっても」
「私の現実・事実ではありません」
お宅の本当の事は、私の虚偽の事なのですよ。
いい加減に分かりなさい!
お宅の想像する「自由びと」と私・自由びとの事実は、
全く異なっている事に~
>その脆弱さといったなら「私は玄和の指導局の人間だ。したがってお前の考えは全て解っている。なぜなら私は指導局の人間であるがゆえに会員が義務として強制的に提出させられる原稿を閲覧できるからであり、お前のことを深く理解しようと親身に関わったからではなく南郷尊師に近い間柄の人間だからである!」ぐらいの脆弱さですよ。
↑
バカ!バカ!
妄想狂!妄想狂!
私が、一度でも入局した事実はありません。
お宅にとって都合の悪い事実は、全て玄和会繋がりですね。
それって、ブログ「心」の妄想狂と一緒ですよ!
もしかして…超ヤバかったりして…
自由びとは妄想狂と同類って事だったりして…?
>闘いの中で一瞬でも考えたなら隙ができるというのは思考の時間と間合いとの関係が理解できていない人間なんでしょうね。
↑
ハ・ハ・ハ!
ある日、突然、街中で、目の前に刃物を持った若者が現れた時、
『何なの?どうすればいい?』なんて考えたら、
即刺されて一巻の終わりてせしょう。
そこを、『危ない!=避ける!(闘う!)』と感じられ、
即に反応するば助かるかも?!です。
私の「闘いイメージ」とお宅とは、大きく異なっていますね。
だから、分かったつものお宅は幸福なのです。
ここでの、「危ない=避けるor闘う!」という意識は、
日頃からの「当たりそう⇒避けろor闘え」という意識と
その行為・行動の繰り返し練習の量質転化化の成果ですね。
>ショートレンジで何かを考えていたなら相手を攻めるのも遅れますし、相手からの攻撃に対応していくのも遅れてしまう。
>ですが一旦は距離をとって離れた間合いからなら次にどう行くかを考える余裕も出来るでしょうし、相手の動きも観察できる。
>特に玄和さんのように2メートルも3メートルも間合いを取って闘うスタイルだと考える余裕もあるでしょう。相手が攻めてくる姿を確>認してから右に行こうか左に行こうかを躊躇してから動き出す余裕がありますからね。
>「闘いの中で一瞬でも考えたなら」なんてことを漠然と言い切ることが出来るだけで実際にはやり合ったこと無いんじゃないの?なんて気がしてしまいますけどね。
>ボクサーなんかでも初めて闘う良く解らない相手の場合、いきなりは接近戦にはいかないで、離れた間合いからフェイントかけつつ相手のスピードだとか動きの特徴、癖なんかを観察しながら次の戦術を組み立てていくようですからね。
↑~
これは、
自由びとが、予想し得ない突然の闘いをイメージして「勝負論」から言説を
お宅は、試合・練習・自由組手…等をイメージして「上達論」から否定しているモノです。
なので、想定し得ない闘い以外の場合なら、
上記のお宅の記述に特に異論はありません。
玄和会の稽古の大きな課題に「恐怖心の克服」があります。
その練習の一つが、遠間からの突っ込みの繰り返しなのです。
まあ~お宅には、その真意の理解は不能でしょうが…
>それより何より、「私のお陰で」を繰り返す自由びとさんのような虚勢をはった態度が見苦しいと感じてしまう人間なんですね、私は。
↑
それこそ!
この>「私のお陰で」という、
自由びとの>言葉ってどれを指しているんですか?<
私は、お宅の指摘に応えて数十分かけて探し出し書きました。
お宅も、嘘つき・弱虫でないなら、↑に答え書けるでしょうね…
もっとも、今回のコメントでお宅の
「嘘つき・妄想狂」が発覚したから無理なのかも…
私は、期待する、「嘘つき・妄想狂の」お宅だから答えない事を、
私は、期待する、「ただの普通の意地悪の」お宅だから答える事を、
>日本の武道を学ぶことは正義の精神が涵養されるというイメージがあるのですが、自由びとさんが学んだ流儀は子供に学ばせてはいけない見苦しい武道だという感じがしますね。
↑
嘘つき・妄想狂のお宅が、「…正義の精神が涵養されるというイメージ…」なんて…
その正義とは、お宅の正義!
その精神とは、お宅の精神!
その滋養とは、お宅の滋養!
全宇宙が崩壊しても、
一般的に求められている正義・精神・滋養のイメージは無理でしょうね!
コメント欄への書き込みだったのに間違えた!