新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

腕の故障から気付いた事

2020-08-15 15:08:46 | 認識論
腕の故障から、
日頃の生活での「左右差」について思い考えた。


六月頃だろうか…
小学校の雲梯を子供達の真似をして、
同じようにぶら下がって移動した。

すると、右腕に少し痛みを感じた。
大したことないと思い、そのままにしていたら、
なかなか痛み取れず、最近は、曲げるとズキっと痛む事が多くなった。

そこで時々通っている整体院で診てもらったら
「生活の中での左右差に気を付けて…」といったような事を言われ、
最近の日常生活を思い出し、色々と考えてみた。
すると以下のような事に気付けた。



腕の痛みが、なかなか消えないのは何故?
また、今の痛い箇所が、初めと少し違っているのは何故?
それは、雲梯で痛みを覚えた後、雲梯のぶら下がり移動は止めても、
日々の鉄棒ぶら下がりを続けた、
その結果では、と考えていた…


また、雲梯でのぶら下がり移動では、
左右両手を使用していた。
なのに、右腕だけに痛み!とは何故だろう?


そう~
両手が痛むのではなく、
右腕だけという所に、日常生活での左右差、
右腕と左腕の使い方の相違があるだろう事に気付けた。


すると…日々の洗濯物干しをする時の右腕の酷使が思い出された。

今の家に引っ越してから洗濯物は二階に干している。
毎日三人分の洗濯物を一度に二階へ持っていくのに、
右手だけで抱えて左手でドアを開けての移動であった。

その都度、右手にかなり負担だったのだろう。
その日々の積み重ねが右腕筋肉を疲れさせていて、
その疲れた右腕が更に雲梯でも使われた結果の痛みなのだろう…

もしも…左腕も右腕同様に酷使されていれば…
今回のような、片腕だけの痛みとは、なり得なかったのだろう。
その時は、雲梯でのぶら下がり移動が出来なかったのだろう。






コメント
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