「運動」も「静止」も言葉である。
どちらも、物・物体・実体のある状態を表現した言葉。
歩くのが運動ならば、
立ち止まるのは静止。
全力疾走も散歩も運動であるが…
この二つを同じ運動と表現していいだろうか?
「運動」で間違いはない、だろうが…
両者の運動強度・激しさには、大きな差…
歩行は「動く」に対して立ち止まるは「静止」。
しかし、人間は立ち止まっていても、内臓・血液・瞼・眼球…は動いている。
これは、全体的には「静止」と見えても、
個々の部分は運動している、という事である。
ここで、
歩行という位置の変化を「運動」とするので、
歩行から停止への状態変化も「運動」として表現できようか?
等速運動が、加速度運動に変化した時、
これは、等速運動という性質が、加速度運動という性質に、
変化した事になる。
変化とは、あるモノが別のモノになる・変わる事。
運動とは、その位置が変わる事。
変化も運動も同じ「変わる」である。
ならば、変化と運動の違いは?
変化はゆっくりした動き、運動は激しい動き、
どちらも「運動」と表現してもよい、のだろう。
さて…結お宅の以下のコメントによると、
>私は南郷さんの「乱取り、自由組手=運動、型=静止」という発言がどうにも理解できなかったのです。<
師範は、「自由組手=運動・型=静止」と表現している。
そして、結お宅は、その言葉を「どうにも理解できなかった」そうである。
この言葉の理解・解釈は、それ程に難しくない。
自由組手の動作は、相手の動作に即しての不規則的変化である。
それに対して、型は、型通りの全く同じ動き・動作を求めている。
このように
自由組手の不規則運動=運動、とするなら、
型の規則的運動=静止、と表現している、のである。
上記の師範の言葉を
結お宅が、「どうにも理解できなかった」のは、
「自由組手=運動・型=静止」という言葉・文字だけを見て、
現実の「自由組手と型」というモノから理解しようしなかった、からである。
これは、
言葉の相対性、
相対的な言葉表現、
言葉の弁証法的理解、
言葉の弁証法的解釈、
言葉の弁証法的把握、
が出来ないから…であろう。