新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

自由獲得への二つの道

2021-04-14 17:14:05 | 自由論


自由獲得への道

初めに「自由」とは~
例解新国語辞典[第二版]三省堂
自由―他から制限されたり邪魔されたりしないで、自分の思い通りにできること。


上記の「自由」の意味を元に、具体的に以下のように考えた。

自由が上記の意味なら、
不自由は、自分の思い通りにできない・ならない…となろう。



身体的な自由~
右足でボールを蹴ってゴールへ入れたいと思った時、
右足が怪我をしていれば、思い通りに出来ず不自由である。
それでも怪我が治れば蹴れる自由だ。

生れ付き両目の見えない者が、空を見たい!と思って、
どんなに頑張ってもできない不自由だ。

社会的な自由~

医者になりたい!と思って頑張って勉強してなれる自由がある。
でも、天皇になりたい!と思って、どんなに頑張ってもなれない不自由だ。

精神的な自由~
自分だけで思いたいように思う事は誰にも邪魔されず自由だ。
自分の思いを全ての人に分かって欲しいと思った時は、
他人の心・思考が邪魔して無理がある不自由だ。


人間の「思い通り」には、
可能性のあるモノと絶対的に不可能なモノがある。

いつかは必ず死ぬ人間が「不死・不死身の身体になりたい!」と思った時、
それは絶対的な不自由。

でも、「百歳まで生きたい!」と思ったら、それは努力次第で可能な条件付き自由である。
条件付きとは、邪魔するモノはあるが、それを取り除ける可能性はある、という事。


「自由の結果」の二重性
一つ、達成可能な思いを抱いた時、その努力によっては可能で自由。
一つ、絶対的に達成不可能な思いを自由に抱いた時、絶対実現不能。


「自由獲得への道」の二重性~
達成可能な思いは、達成を可能にする条件に合わせて身体的努力をする事で自由へ。
絶対的に達成不可能な思いは、その思いを可能なモノに変更する事で自由へ。


不死・不死身の思いは、絶対的不自由であっても、

>ギネス認定の存命中の世界最高齢は日本人女性になっているようです。
>2020年9月19日現在ご存命中で117歳。
それを「117歳まで生きたい」という思いなら、
努力次第では可能であろう。

「不死・不死身の思い」を主観的に「達成可能だ」と信じる自由はある。
それでも、その思いは客観的には「達成不可能」な不自由なモノである。
その自己の思い形成は自由でも、その実現は肉体が邪魔をして不自由だ。



コメント
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