続・沢庵お宅コメントへの自由びと記述
>コメントを書いた人
>沢庵
・>コメント
>>私はお宅に合わせての
>私のせいなわけですか?www
>お宅のように他人のせいにばかりしている人間を「自由でない」(と自分では思っている)と言うのです。
↑~
「お宅に合わせて」の決定は自由びとの意志。
「責任」を問うなら自由びとの責任となり得る。
しかし、ここは裁判所法廷でない。
ここで責任の所在を問う必要なし。
本当は沢庵お宅って…
被害妄想狂なのかもね!
>「自由」とは「自分のことは自分で決められる」ということなのですよ。お宅の理解しやすい?小学校のペーパーテストを例にとれば「選択肢のどれを回答に選ぶかは本人の意志に任されている、自由だ!」ということであるが、その自由に選んだ回答が正解か不正解かを決めるのは生徒自身でなく学校教員だということ。
沢庵お宅と自由びと では「自由」に対する見解に多いなる相違がある。
自己の「自由論」の正解・不正解は、自分の人生の中で確認すべきモノ。
自由びとの個人ブログという私的場所で、
己の持論の強引なる押しつけは全く迷惑千万、
不届き者の行為、自由びと法の違反である。
それは不法行為であるから
即刻ここからを立ち去れ!
>それがヘーゲルの言う「昔はたった一人だけが自由だったが今は全ての人が自由となる」という意味であり、お宅が入学したい学校もお宅は自由に選択できるが、相手の学校のほうにだって選択する自由はあるのだから入学できるか?採用されるか?は双方の合意に基づかなければ成立しないということでしかない。
↑~
自由である事と自由に行動するは別物。
この二つは「相対的独立」関係にある。
人には、殺人の自由はあっても、
殺人者は不自由な刑務所犯罪者。
犯罪者は自由な思考はできても、
その行動範囲は非常に不自由だ。
>同様に、機械の力を借りずに自分の肉体の力で飛行したいと人力飛行機(自転車?)でチャレンジすることは何人たりとも邪魔できない。「自由」なのだよ。
しかし、その「自由」とは実際に鳥のように長時間・長距離の飛行が可能となることを意味しない。「チャレンジする自由」にとどまる。
↑~
人間には、
飛行機・機械で空を飛ぶ自由はあっても、
鳥のように自分の体で空飛ぶ自由はない。
>お宅の息子の述べた「真の自由など無い」との「真の自由」とは「私が帝王」との自由であるし「自分のことばかりか他人のことも自分一人が決める」という相手の自由権を侵害し蔑ろにする「自称、自由」なのだ。
↑
ここでも誇大妄想狂癖が…
私の息子を知らない沢庵お宅に、
「息子の述べた…」事が正しく分かる訳なし!
そもそも…「帝王」も人間である。
人間に「真の自由」などありえない。
あるのは、「真の自由」ではなく、
生物的な限界ある「自由」である。
>お宅のような考えでは「世の中に自由など無い」し「人類、みな奴隷」という戯けた思想を未成年に植えつける百害あって一利なしの老害でしかない。
↑
現代は幸せな時代なのか?
それとも恐怖の時代なのか?
沢庵お宅のような妄想狂が普通に社会生活を営める「幸せな時代」。
大人しい自由びと・ブログ書きが誹謗中傷を受ける「恐怖の時代」。
>直ちに子どもたちに関わることを止め給え。
↑
真面目に子育てに励んでいる親に対して、
「関わることを止め給え」と命令される時代。
まあ~何も知らない、何も分からない、のに…
自分勝手な自由放題の妄想狂時代なのかも…
>コメントを書いた人
>沢庵
・>コメント
>>私はお宅に合わせての
>私のせいなわけですか?www
>お宅のように他人のせいにばかりしている人間を「自由でない」(と自分では思っている)と言うのです。
↑~
「お宅に合わせて」の決定は自由びとの意志。
「責任」を問うなら自由びとの責任となり得る。
しかし、ここは裁判所法廷でない。
ここで責任の所在を問う必要なし。
本当は沢庵お宅って…
被害妄想狂なのかもね!
>「自由」とは「自分のことは自分で決められる」ということなのですよ。お宅の理解しやすい?小学校のペーパーテストを例にとれば「選択肢のどれを回答に選ぶかは本人の意志に任されている、自由だ!」ということであるが、その自由に選んだ回答が正解か不正解かを決めるのは生徒自身でなく学校教員だということ。
沢庵お宅と自由びと では「自由」に対する見解に多いなる相違がある。
自己の「自由論」の正解・不正解は、自分の人生の中で確認すべきモノ。
自由びとの個人ブログという私的場所で、
己の持論の強引なる押しつけは全く迷惑千万、
不届き者の行為、自由びと法の違反である。
それは不法行為であるから
即刻ここからを立ち去れ!
>それがヘーゲルの言う「昔はたった一人だけが自由だったが今は全ての人が自由となる」という意味であり、お宅が入学したい学校もお宅は自由に選択できるが、相手の学校のほうにだって選択する自由はあるのだから入学できるか?採用されるか?は双方の合意に基づかなければ成立しないということでしかない。
↑~
自由である事と自由に行動するは別物。
この二つは「相対的独立」関係にある。
人には、殺人の自由はあっても、
殺人者は不自由な刑務所犯罪者。
犯罪者は自由な思考はできても、
その行動範囲は非常に不自由だ。
>同様に、機械の力を借りずに自分の肉体の力で飛行したいと人力飛行機(自転車?)でチャレンジすることは何人たりとも邪魔できない。「自由」なのだよ。
しかし、その「自由」とは実際に鳥のように長時間・長距離の飛行が可能となることを意味しない。「チャレンジする自由」にとどまる。
↑~
人間には、
飛行機・機械で空を飛ぶ自由はあっても、
鳥のように自分の体で空飛ぶ自由はない。
>お宅の息子の述べた「真の自由など無い」との「真の自由」とは「私が帝王」との自由であるし「自分のことばかりか他人のことも自分一人が決める」という相手の自由権を侵害し蔑ろにする「自称、自由」なのだ。
↑
ここでも誇大妄想狂癖が…
私の息子を知らない沢庵お宅に、
「息子の述べた…」事が正しく分かる訳なし!
そもそも…「帝王」も人間である。
人間に「真の自由」などありえない。
あるのは、「真の自由」ではなく、
生物的な限界ある「自由」である。
>お宅のような考えでは「世の中に自由など無い」し「人類、みな奴隷」という戯けた思想を未成年に植えつける百害あって一利なしの老害でしかない。
↑
現代は幸せな時代なのか?
それとも恐怖の時代なのか?
沢庵お宅のような妄想狂が普通に社会生活を営める「幸せな時代」。
大人しい自由びと・ブログ書きが誹謗中傷を受ける「恐怖の時代」。
>直ちに子どもたちに関わることを止め給え。
↑
真面目に子育てに励んでいる親に対して、
「関わることを止め給え」と命令される時代。
まあ~何も知らない、何も分からない、のに…
自分勝手な自由放題の妄想狂時代なのかも…