事実と言語について…
言語とは、認識の表現である。
言語とは、事実を捉えて文字・音声表現にしたモノ。
言語とは、その人が関わった事実を文字・音声で表現したモノ。
言葉は、他人へ自分の思い・考え…認識を伝える為の道具として人類が誕生したモノ。
言葉の始まりは、人に何かを伝えたい…という感情…。
言葉の始まりは、人に見せる為の落書き・絵画…。
相手に「俺は怒っている!」と言う言葉は、
「怒(怒鳴)っている)事実・感情」ではなく。
自分が「怒(怒鳴)るに至った…その思い」を伝えて・知って欲しい思いの表現…。
言葉は事実か、否か…
言葉は、認識の文字・音声表現したモノ。
事実は、今・現実に起こっている物事、過去に起こった物事。
現在の事実は無限。
過去の事実も無限。
その無限の事実の全てを人間が認識する事は不可能。
だから、人間は、全ての事実の中から、
自分の必要・可能な事実を認識する努力・言語化する努力をし続けてきた…。
その結果、事実の「ひとまとまり」を言語で表現した。
「ひとまとまり」≠事実ではなく、
「ひとまとまり」<事実であろう。
その「ひとまとまり」は、事実の中の「開始⇒途中・過程⇒終了」。
事実の言語化とは、事実の論理化であり、事実の論理的表現。
言葉が
事実の部分的・論理的表現なら、事実の全体的表現とは?
それは、その事実に対する瞬間的・直接的な感情表現であろう。